今日は……こんなに病気です
「おにい……愚兄、大丈――生きてるか……る?」
控え目がちのノックの後に、そう言いながら、おずおずと首を出してきたのは、学校から帰ってきた羽海だった。
「う……うん……まぁ一応……」
俺は、横たわっていたベッドから半身を起こして、羽海に答える。
「む……無理しないで……すんなよ」
羽海は、安堵の表情を浮かべながら、ドアを開けて、部屋の中に入ってきた。
だが、入ってすぐのところで足を止めると、やたらともじもじしながら、横目で俺を見る。
そして、
「……熱は、まだ下がらないの?」
と、小さな声で俺に訊いてきた。
俺は、自分の額に手を当ててみる。
「うーん……大分下がったと思うけど……、まだ微妙にありそうだなぁ……」
「……シュウくんのいる病院で、貰ってきちゃったんじゃない?」
羽海の言葉に、俺は苦笑を浮かべた。
「うん……かもしれないな……」
俺は、シュウの見舞いから帰ってきてから、突然熱を出して、ずっと寝込んでいたのだ。
今日は水曜日だから、四日間。
もちろん月曜日に、かかりつけの病院に行って診察を受けたが、風邪の症状などは出ておらず、ただただ熱が高いだけだった。
とにかく安静にしておけとの医者の指示を受けて、高校も休んで、今日までずっと自室のベッドに横たわるばかりの生活――。
正直、飽きた……。
「……でも、良かった。大分元気になったみたいで……」
羽海は、ホッとした顔をして、微笑んだ。
つられて俺も、優しい笑みを浮かべて、
「……普通の時も、そのくらい素直に接してくれれば、可愛げもあるんだけどなぁ……」
――つい、口を滑らせる。
それを聞いた瞬間、
「な――な……っ!」
羽海は絶句し、顔を真っ赤に染め……眉を吊り上げた。
「う――うるせえよ、愚兄ッ! な、何言ってやがるんだ、気色悪ッ!」
そう叫ぶや、床に落ちていたクッションを引っ掴み、俺に向けて全力投球してきやがった。
「ぶ――ぶべらっ!」
『頭部死球は一発退場だぞォ!』と、抗議の声を上げる事も叶わずに、顔面にクッションをぶつけられた俺は、ベッドの上に倒れ臥した。
「と――とにかく! 何が原因なのか知らねえけど、元気になるまで大人しくしておけよ! クソ愚兄ッ!」
羽海は、そう言い捨てると、家を倒壊させそうな程の勢いで、ドアを思い切り閉めて出ていった。
階段を踏みつけながら下りる、怒りに満ちた足音が徐々に小さくなるのを聞きながら、俺はごろりと寝返りを打ち、部屋の天井を見る。
「……んだよ、まったく……」
俺は、口を尖らせて、独りごちた。
「――大体分かってるよ。熱の原因が何なのか……」
そう呟くと、俺は大きな溜息を吐く。
……そう。
大体見当は付いているんだ。……このしつこい熱の元が何なのか、は。
これは――
“知恵熱”
――ってヤツだ。
ある事を考えに考えまくって、脳味噌がオーバーヒートを起こしてる。そんな感じだ。
そして――、『何をそんなに考えまくっている』のかは明白。
『つ――“月は、出ているか”ぁ――――ッ!』
「――ッ!」
ほら、気を抜くと、すぐにあの時の事がリバイバル再生される。……思いっ切り間違えてたけど。
「……一応、あれも、“告白”ってヤツなんだよな……」
呟くと同時に、頬が燃えるように熱くなるのを感じ、俺は慌ててその思考を振り払おうと、ブンブンと忙しなく首を振った。
そして、大きな溜息を吐く。
「な……何であいつが俺に……こ、こここ――告白なんて……!」
そもそも――いつから、シュウは俺にそんな想いを抱くようになっていたんだろう?
俺が早瀬の事を相談し始めてからか……それとも、中学に入ったあたり……いや、小学生の頃か? ――それとも、幼稚園の入園式で最初に逢った時……?
「……って、分かるかッ!」
俺は、頭を激しく掻きむしった。
シュウとは、何時でもどんな時でも一緒に居る事が多すぎて、正直、心当たりが多すぎる……。
いや……『何時から』とかは、考えてもしょうがない。
問題は――、
「……これから、どんな顔してアイツと顔をつき合わせれば良いんだよ……」
それな。
あの後シュウは、こう言っていた。
『べ……別に俺は、お前につ……付き合ってほしいとか、お前の気持ちを聞かせてほしいとか……そんな事は求めてないから……。ただ――、俺自身の心のケジメをつけたっつーか何つーか……。だから……今日の事は、きれいさっぱり忘れてくれて――構わないから……』
「――って!」
俺は、その時の事を思い返し、意味も無く手にした枕を壁に叩きつけた。
「――あんな事いきなり言われて、そうそう簡単に忘れられる訳ねえだろうがぁ! あ……あれが、は……初めてされたこ……こここ告白だぞ! 普通だったら、ボケて親の顔を忘れたとしても、絶対に忘れられないような出来事だぞ!」
そう絶叫しながら、俺はベッドの上をゴロゴロと転がり回る。
「あ――ッ、もうッ! モヤモヤすんだろうがっ!」
――だが、何でだろう?
男に告白なんてものをされたら、もう少し嫌悪感や拒絶感を感じるように思うのだが――、奇妙な事に、そういった感情が全くと言っていい程浮かんで来ないのだ。
……ひょっとして、俺は本当は男の事が――
「いやいやいやいやいやいやいやいやッ! それは無いッ!」
俺は慌てて、首を千切れんばかりに横に振る。
……それは無い!
確かに、早瀬に連れて行かれた『新撰組契風録』や、半ば強引に渡されたBLものの薄い本を読んで、以前よりはそういう方面の理解も増したとは思うが……、だからといって、俺の性癖が変わったという事は無い。断じて無いッ!
だって、俺が好きなのは、早瀬結絵だし……。
――だとしたら、
「……やっぱり、相手がシュウだから――なのかなぁ……」
――確かにアイツは良いヤツだ。それには疑いの余地はない。そんな良いヤツに、そこまで想われているって事は……正直、嬉しい。
でも……。
と、その時、
ピーン ポーン……
――俺の思考は、階下で鳴ったチャイムの音で、突然遮られた。
何だろう? ……宅配便か何かかな?
そう考えていると、「はーい」という羽海の声と共に、パタパタと玄関へ歩くスリッパの音が聞こえた。
そして、ドアが開く音がしたので、来客の応対は羽海に任せる事にして、再び俺はベッドの上に寝転がった。
(……色々考えてたら疲れちゃったから、もう一眠りしよう)
俺はそう思い、思考停止と決め込んで目を瞑ったが――、
パタパタ……と、何かが小走りで階段を上がる音が聴こえ――、
「ぐ――愚兄ィッ!」
羽海が、ドアを蹴破るような勢いで開け放った。
「な――何だよ、羽海! ドアが壊れたらどうするん――」
「そ……そんな事、どーだっていいよ!」
俺の抗議の声を途中で遮り、血相を変えた羽海は一方的に捲し立てる。
「お……お客……お客さんなの! 愚兄にッ!」
「……はい?」
妹の言葉に、俺は目を点にした。
「お……俺に?」
「う――うん!」
呆気に取られながら尋ねる俺に、力の限りに頷き、羽海は更に喧しく喚き立て――、
「し……しかも! その人――お兄ちゃんと同じ高校の……女の人なんだけどッ!」
その言葉を聞いた瞬間――、俺は驚愕で、飛び出さんばかりにその目を剥いたのだった――。




