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子の心、母知る

 ――土曜日の午後。

 俺は、緊張の面持ちで、市立大平病院のエレベーターに乗り込んだ。

 操作パネルの“5”のボタンを押し、次いで“閉”ボタンを押す。

 エレベーターが、重力に逆らって上昇し始めると、ずっしりと重い背中のリュックのショルダーベルトが、更に深く肩に食い込み、俺は微かな呻き声を上げる。


「……ああクソ。やっぱ、全巻じゃ無くて、10巻分くらいにしておきゃ良かったかな……」


 身体を揺すって、ベルトの位置をずらし、痛みを和らげながら、思わず俺は愚痴った。

 そんな恨み言をブツブツと呟く内に、エレベーターの扉の上で輝く回数表示が“5”を表示し、鳴っていたモーター音が低くなると同時に、床に押し付けられるような不快な感覚が治まる。

 そして、


 ポーン――


 という電子音がエレベーター内に響き、ガタガタという音を立てながら、前の扉が開いた。

 病院特有の消毒液の匂いが微かな風となって漂い、目の前には、病院特有の真っ白い壁と、黄色い導線が引かれた、灰色の廊下が伸びている。

 俺は、もう一度肩を揺すって、リュックを担ぎ直すと、


「……さて、行くか……」


 そう、覚悟を決めるように呟き、エレベーターから一歩脚を踏み出した。

 ――と、


「……あ、晄くん! 来てくれたのね――」


 廊下の向こうから、俺の名を呼ぶ声がし、見慣れた女性が笑顔を浮かべてこちらに向かって歩いてくる。


「あ……お、お久しぶりです。――おばさん」


 俺も、ぎこちない笑顔を浮かべて、小さく頭を下げた。

 おばさん――樹里(じゅり)さんは、シュウの母親である。

 某一流企業の部長だか何だかの、バリバリのキャリアウーマンである。

 シュウがまだ幼い頃に、夫――つまり、シュウの父親と離婚したらしく、その後は、仕事をこなしながら、女手ひとつでシュウを育ててきた。凄い女性(ひと)だと、ガキの俺でも素直に思う。

 ――そして、綺麗だ。

 確か、ウチの母さんと、そう変わらない年齢の筈だが、スラリとした長身でパンツスーツを纏い、一分の隙も無いメイクをバッチリと決めた姿は、二十代だと言っても通るだろう。

 ……正直、おばさんと面と向かって話す時は、ドギマギしてしまう。

 ――だが、


「ウチの子の為に、わざわざお見舞いに来てくれて、ありがとうね……。秀も喜ぶわ」


 そう言って、力無く笑う今日のおばさんは、いつもと違っていた。

 明らかにノーメイクで、目の下にはクマが浮いていたし、後ろで結わえた髪の毛も乱れている。


「だ……大丈夫ですか? 何か……疲れてるみたいっす――けど?」


 思わず俺は訊いていた。おばさんの、普段とかけ離れた様子に、不安を覚えたからである。

 そんな俺の問いかけに対して、おばさんは、ニコリと優しい微笑みを浮かべて頷いた。


「あ――、大丈夫よ。秀が事故に遭ったって聞いて、すぐに海外出張を切り上げようとしたんだけど、引き継ぎやらトラブルやらがあって、なかなか戻って来られなくて……。やっと、昨日の夜中に帰ってきたばかりだから、まだ時差ボケが抜けてないの」

「ああ……そうなんですね」


 はにかみ笑いを浮かべるおばさんの様子は、いつもと変わらなかったので、俺は胸を撫で下ろした。

 ――と、おばさんが声を顰める。


「ところで……。晄くん、秀と何かあったの?」

「……え?」


 おばさんに顔を近づけられて、そう尋ねられた俺は、二重の意味でドキドキしながら、間の抜けた声を上げた。

 すると、おばさんは眉間に皺を寄せる。


「……やっぱり。どうもあの子の元気が無いと思ったら……」

「……すみません」


 俺は、バツが悪くなって、ペコリと頭を下げた。すると、おばさんは、慌てて手と頭を横にぶんぶんと振った。


「あら、良いのよ。どうせ、悪いのは秀の方なんでしょ?」

「……どうしてですか?」

「そりゃあね、伊達に16年もあの子の母親をやってないわよ。まあ……一般的な母親よりは、ふれ合う時間は少ないけどね……」


 そう、どこか自嘲的に言うと、おばさんは気を取り直すようにニコリと微笑んだ。


「――あの子が、あんなしょげ返った顔をしてる時は、『自分が悪かった』って、ハッキリと自覚している時なのよ」

「はあ……」

「ていうか……ごめんね、晄くん。身体ばっかり大きくなったクセに、頭の中は小学生な子で」

「い……いや! そんな事は……」


 シュウの事で、おばさんに謝られた俺は、慌てて首を横に振った。


「こ……子どもっぽいっていうのは、寧ろ俺の方で――」

「……いつまで経っても甘えん坊なのよね、あの子。晄くんが優しいから、ついつい甘えたくなるのよ」

「や……優しい? お――俺がッスかぁ?」


 思いもかけぬ言葉に、思わず俺は素っ頓狂な声を上げる。途端に、ナースステーションの方から「病棟では静かにして下さい!」という叱責が飛び、俺は首を竦めた。

 そして、また怒られないように声を潜ませながら、おばさんに言った。


「……勘違いっすよ。俺は、全然優しくなんかないです。……現に、あいつの冗談にマジギレして――」

「まあ、その辺は、本人とじっくり話しなさい。――できれば、キッチリとお灸を据えてあげて」


 俺の言葉を遮って、おばさんはそう言うと、俺の背中をポンと押した。


「じゃあ、あの子の事をよろしくね。晄くん」

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