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怒りを止めないで

 「……大丈夫、高坂くん……?」


 放課後の文芸部の部室。

 いつものように、無表情でキーボードを叩いていた諏訪先輩が、そう突然訊いてきた。


「へ?」


 突然、尋ねかけられた俺は、豆鉄砲を喰らった鳩のような顔になっていたと思う。

 目を白黒させながら、隣に座る諏訪先輩の横顔を見た。


「え……と。大丈夫って――な、何が……ですか?」

「……隠していたつもりだったらごめんなさい。でも……高坂くんが、あんまりあからさまに落ち込んでるから」

「お……落ち込んでる? ――俺がっすか?」


 俺は、内心でドキリとしながらも、涼しい顔を作ってしらばっくれた。


「べ……別に、俺はいつも通りっすよ。これは――『Sラン勇者』の次の展開をどうしたらいいかなぁって、このプロットを見ながら考えてただけで……」

「――その割には、プロットの1ページ目で手が止まってるみたいだけど」

「う……」


 諏訪先輩の鋭く容赦ない指摘に、俺は言葉に詰まった。

 と、諏訪先輩は、キーを叩く手を止めて、じっと俺の顔を覗き込んでくる。

 まじまじと見つめられて、思わず俺はドギマギとして、顔を背けた。


「……な、何なんですか……? だから、何でもないって――」

「――聞いたわ。あなたの心友(・・)が、車に撥ねられて入院したって」

「――!」


 諏訪先輩の言葉に、俺は驚いて振り返った。まさか、彼女の口からその話題が出るとは思わなかったので、完全に意表を衝かれたのだった。


「な……何でそれを……?」

「この前、ここに来た子――確か、早瀬さんだったかしら? さっき、高坂くんが来る前に、ここに来た彼女が教えてくれたのよ。『そういう事情で、高坂くんは絶対に落ち込んでいるから、先輩からも励ましてあげて下さい』――ってね」


 諏訪先輩が、マグカップのコーヒーに口を付けながら、種明かしをしてくれた。


「……そうですか」


 俺は、そう呟いて、思わず天を仰いだ。……正直、良い気分はしなかった。


「――わざわざ、気遣ってもらって有り難いですけど……別に、言われる程落ち込んでる訳でも無いですよ。寧ろ――」

「腸が煮えくりかえる程怒っている――かしら?」

「……っ」


 またしても意表を衝かれた俺は、思わず目を白黒させる。

 そして、仄かな苛立ちを覚え、小さく舌を打った。


「……それも、早瀬から――ですか?」

「――うん」


 俺の静かな言葉の端々から零れる怒りの熱を感じたのだろう。諏訪先輩は、眼鏡の奥の目を細めた。


「ごめんなさい。高坂くん個人の問題だから、本来、私なんかがあまり立ち入るべき事じゃ無いっていうのは、重々承知しているのだけれど……。今日の高坂くんの様子を見ていたら、どうしても黙ってられなくて」

「……」

「――多分、早瀬さんも、私と同じ事を感じたんじゃないかしら。……だから、わざわざ、あなたの目に触れないようにしながら、私に昨日の顛末を教えてくれたんだと思うの。だから――」

「……余計なお世話ですよ」


 俺は、諏訪先輩の言葉を遮って、低い声で呟いた。


「さっき、先輩が言ってた通り、これは俺とアイツの問題です。……『本人が反省しているなら、許してあげなさい』とか、『そんな小さな事でいつまでもグジグジ怒るな』とか、『大人になれ』とか言うつもりなのかもしれませんが――」

「あら、私は別に、そんな事を言うつもりはないわ」


 俺の呟きに頭を振った諏訪先輩に、俺は三度意表を衝かれ、「……はい?」と間抜けた声を上げた。


「……言わないんですか?」

「言わないわよ。それとも、早瀬さんもそう言ってたの?」

「……そういえば」


 ――確かに、昨日の電話では、早瀬の口からそんな言葉は出なかった。


「早瀬は……『許さなくていい』って……言ってましたね、確かに……。そう口うるさく言ってきたのは、専らウチの親ですね」

「でしょうね……」


 諏訪先輩は、眉を顰めながら小さく頷いた。


「親ならね。――私の時も、そうだった……」

「――え?」

「あ……ああ。いえ、何でもないわ」


 思わず訊き返した俺を前に、慌てた様子で首を振る諏訪先輩。

 彼女は、間を開けるかのようにマグカップに口を付け、ほうっと息を吐くと、言葉を継いだ。


「……とにかく、高坂くんが折れる事じゃ無いし、折れる必要も無い。――いえ、絶対に(・・・)高坂くんの方から折れてはいけない。――私は、そう思うわ」

「ぜ……絶対に――ですか? それは、いくら何でも……」


 諏訪先輩の断固とした言葉に、俺は逆に驚いた。


「そ……そりゃ、昨日のアイツの仕打ちには本当に傷ついたし、まだ赦す気は無いですけど……。でも、シュウ――アイツが本当に反省して謝ってきたら、許してやるべきじゃないんですかね……」

「じゃあ、その彼が本当に反省して謝罪してきたら、すぐに許してあげるの、高坂くんは? 自分の気持ちが治まってないのに、それにフタをして?」

「そ……それは……」


 諏訪先輩の問いかけに対し、俺は答えに窮した。

 そんな俺の様子を見た諏訪先輩は、フッと表情を和らげる。


「怒るんなら、徹底的に怒りなさい。その彼が、あなたにとって大切なら大切である程ね」

「……でも」

「中途半端に自分の気持ちを誤魔化して、表面だけで仲直りしたとしても、そのモヤモヤした黒い感情は、心の中には絶対に(しこ)りとして残るのよ。……その痼りのせいで、その人との関係がだんだんとギクシャクしてきて、終には修復が効かない程のヒビが入ってしまうの」

「……」

「……あなたが、その心友と、もう一度心の底から笑い合いたいんだったら、自分の感情に嘘をついたりしちゃダメ。絶対に妥協しちゃいけないの。――だから高坂くんは、心の中の感情の赴くままに、怒って怒って怒って怒りなさい」

「怒る……ですか」


 呟いた俺に、諏訪先輩は柔らかな笑みを浮かべて頷いた。


「そう……。そうして、自分の中に溜まったどす黒い感情がすっかり無くなったと思ったら――その時に初めて、笑って赦してあげて。そうすれば、すぐに元通りよ」

「……で、でも……!」


 だが、諏訪先輩の言葉に対して、俺は大きく首を横に振った。


「もし……! もし、その前に、アイツが俺に愛想を尽かしてしまったら、たとえ俺が許しても、元には戻らなくなってしまうんじゃ――」

「……かもね」


 俺の問いかけに、諏訪先輩は小さく首肯した。だが、口角を僅かに上げると、すぐに言葉を続ける。


「――だから、高坂くんは急いで怒り切りなさい(・・・・・・・)。早く、その心友くんを許してあげられるように」

「い……急いで怒り切る……?」


 困惑の表情を浮かべる俺に、ニコリと微笑いかけると、先輩は席を立った。

 そのまま、戸棚の前に立ち、ポットからお湯を注ぎながら言った。


「……頑張りなさい、高坂くん。その心友くんや、あなたの事を心配してくれてる早瀬さんの為にも。――そして…………ううん、何でもない」

「……?」


 不自然に切れた言葉に訝しげな表情を浮かべた俺に対し、誤魔化すようなはにかみ笑いを浮かべながら、諏訪先輩は湯気を立てるマグカップを差し出すのだった。

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