萌えよ件
『新撰組契風録』とは、一年程前に、テレビの深夜枠で放送され、腐女子界隈で爆発的な人気を博したオリジナルアニメ――らしい。
確か――、幕末に京都で暴れ回った新撰組の一番隊組長・沖田総司が、現代の日本に、己の子孫である沖田司として転生し、彼と同じく、副長・土方歳三の末裔にして生まれ変わりである土方豊霞と共に、『新世紀維新』を果たそうと暗躍する、かつての攘夷志士の転生者たちと死闘を繰り広げる……っていう感じのストーリーだった気がする。というか、当然俺は観てないから、詳しい事は知らない。
あらすじだけ見れば、ただの転生伝奇アクションもののように感じるが、この作品に腐女子が食いついたのは、もうひとつの要素の力がずっとずっと大きい。
“もうひとつの要素”……それは、映画館のフカフカの椅子に座った俺の膝の上に置かれたパンフレットの表紙を見れば、一目瞭然だろう……。
「いいよねえ、このキービジュ! ポスターサイズに引き伸ばして、部屋に飾りたいよねっ」
げんなりした顔で、熱い接吻を交わすふたりの男とにらめっこしていた俺に、満面の笑みを浮かべた早瀬が言う。
俺は、口元を引き攣らせながら答える。
「う……う~ん……そ、そうだね……」
「もう、このね! ツカの半分開いた瞳と、ユタの固く閉じた目の表現の対比が……もう、サイコー♪」
「う……うん……そ、ソウデスネ……」
すっかり陶酔した様子で、恍惚の表情を浮かべている早瀬を前に、俺はぎこちなく笑って誤魔化す。
どこがサイコーなのか、全く分からないのだが……取り敢えず、彼女の意見に合わせておこう……。
「な……何て言うんだっけ? 確か――ユタツカだっけ……?」
「違うよっ! 私は認めなぁ~い!」
俺の言葉を遮って、早瀬が大声で叫んだ。
その剣幕にビックリした俺は、目をまん丸くして、思わず身体を縮こませる。
早瀬が、彼女らしからぬ――正に般若の形相で、俺を睨みつけていた……!
「あ……スミマセン……」
反射的に謝った。何か、早瀬の目がギラギラしてて……怖かった。
「あ……! ごめん、高坂くん……」
幸い、早瀬はすぐに我に返った様だ。慌てて片目を瞑ると、俺に向かって軽く頭を下げてきた。
「ごめんね。……私は、どっちかというと……ううん、絶ッ対にツカユタ派だから、ちょっと我慢できなくて……」
「は……はあ……」
早瀬から謝罪されたが、俺は何のことだか分からず、キョトンとしながら目をパチクリさせる。
ユタツカとツカユタ……どう違うんだろ……?
――と、俺と早瀬の席の間から、突然手が伸びてきた。
「う――うわっ!」
「……話は聞かせてもらったわよ、デュフフ」
仰天する俺を余所に、低い女の声が聞こえてきた。恐る恐る背もたれの向こう側を見ると、鮮やかな赤色で、袖先が波形に白抜きされた羽織を着た、いかにも根暗そうな少女が、不気味な笑みを顔面に貼り付けながら、早瀬に話しかけていた。
「あなたもツカユタ派なのね。……気が合うわね。あたしもよ……!」
少女は、そう言うと、早瀬の手を無理矢理握って、ブンブンと激しく振る。
はじめは早瀬もビックリしていたようだが、少女の言葉を聞くと、たちまちその顔を綻ばせた。
「あー、一緒だねっ! やっぱり、ツカユタだよねぇ!」
「デュフフ……もちろんよねえ。ユタツカなんて、面白くもない……。このふたりだったら、どう考えてもツカのヘタレ攻めの方が萌えるわよねえ……あー、尊い……」
「だよねっ! 戦場では、ユタに従順だけど、ベッドの上では逆に……っていうのが、サイコーなんだよねぇ!」
「……」
何やら、耳を塞ぎたくなるような方向へ会話が盛り上がりつつある二人をよそに、俺はいそいそとスマホを取り出し、WAHOO神様のお力に縋る。
……んー、何々……?
……あー成程、そういう事か……。
――どうやら、テレビ放映された『新撰組契風録』は1クールで、主人公の司と豊霞のバディ結成と、そこで徐々に強まる絆を描いたのだが、結局、ふたりが恋仲になるかならないかの所で最終回を迎えてしまったらしい。
……その為、後々のふたりが“アッー”した時に、どっちが主導権を握るのかについて、ファンの腐女子達の間で激しい議論が巻き起こったという。
即ち、イメージ通り、豊霞が攻めの“ユタツカ派”と、一見女面で気弱な司が、肝心な所では男になる“ツカユタ派”の二派。
ふたつの派閥は、主にSNSを戦場にして、激しい論戦を繰り広げた。しかし、当然の事ながら、公式が答えを出していない以上、勝敗もつかない。
そのまま、この論戦は千日戦争と化すのではないか……と思われていたのだが――半年前、突然発表された『劇場版・新撰組契風録上映決定!』に、界隈はたちまち沸き立った。
更に、同時に公開された例のキービジュアルが、テレビ放映時には実現しなかった、ふたりの濡れ場をも想起させ、彼女達の萌え上がる興奮にニトロをぶち込む。
『これは、決着がつかなかった、“受け攻め論争”の決着がつくのでは……?』――婦女子達が、そう期待を抱いたのも無理はない……。
その想いが、加熱に加熱を重ね、SNSでは、情報公開から数日にわたり、『契風録』関連の新着書き込みが、次々現れる新しい書き込みに押されて、秒で消えていく程の事態となったという――。
――閑話休題。
「――それって、ユタが伏見公園で高杉と戦った時に着てたコートのレプリカでしょ? ……それに、そのキャップは、最終回で、満身創痍のツカがユタに託した“誠”キャップ……どこで売ってたの、ソレ?」
「えへへ~。この前、アキバでやってた即売会で売ってたんだよぉ。……そっちの“新世新撰組”の隊羽織も、すごいクオリティ!」
「デュフフ……何を隠そう、自作なのよ、コレ」
「うわぁ、スゴいなぁ~! まるでホンモノみたい!」
……相変わらず、俺の傍らでは腐女子ふたりが、濃ゆい事この上ない話題で盛り上がっている。
すっかり置いてけぼりにされた俺は、所在なげに辺りを見回し――、
「――ッ!」
四方から俺たちに……いや、俺に突き刺さる視線の槍を感じ、思わず総毛立った。
恐る恐る、俺は視線を巡らせ、その視線の源を見回し、
(……み、見られてる――!)
俺の顔面から、サーッと音を立てて血の気が引いた。
館内の椅子の七割程を埋めた観客――全て女性――の殆どが、俺の事を冷たい目で凝視していたのだ。
俺は、ゴクリと唾を呑み、必死で気付かないフリを装って、手元のスマホに目を落とす。……万が一、俺が気付いた事を察せられたら最後、この場で八つ裂きにされかねない様な敵意と殺意を感じたのだ。
……明らかに、この館内で唯一の“男”である俺に向けられている。この前の、アニメィトリックス栗立店の四階と同じように……!
――と、その時、
「……映画館でスマホ見てんじゃねえよ、クソ男が……」
「ッ!」
誰かがボソリと呟いた声が耳朶を打ち、俺は激しく身を震わせた。まだ、上映前で照明が明るいままだったが、今すぐ言う通りにせねば、確実に命を殺られる――! そう、俺の本能が必死で訴えかけていた。
「……あ、いっけなーい! スマホの電源切らなくちゃあ~!」
俺は、わざとらしい程に声を張り上げながら、大袈裟な仕草でスマホを操作しようとする。
――と、その時、
……チャン チャララ チャン チャン♪ チャン チャララ チャン……
「――!」
突然、手元のスマホが振動しはじめ、思わず俺は手にしたスマホを落っことしかける。
「「「「「チッ!」」」」
同時に、四方八方から一斉に鳴った舌打ちが、ハモりながら、場内に反響する。
「ひ、ひ――ッ!」
怯えた俺は、猶も鳴り続けるスマホの電源ボタンを、震える指で力の限りに長押しする。
唐突に着信音が消え、同時にスマホの画面も暗転したのを確認し、俺はホッと安堵の息を漏らした。
「……いけないなぁ、そこのキミ。映画館では、スマホ厳禁だよ。パトランプ頭の警察官に逮捕されてしまうよぉ」
後ろの席から、少女の陰気な声が聞こえるが、逮捕ならまだ良い方だろう。万が一、上映中にスマホが鳴りでもしたら、俺は多分この映画館から生きては出られない――さっきの周囲のリアクションから、そう確信した。
「シッ! 始まるよ!」
早瀬が、小声で囁いて、人差し指を口の前に立てる。
同時に、場内の照明が落ち、前方のスクリーンが明るくなり、鮮やかな映像が映し出された。
パトランプ頭の警察官と、ビデオカメラ顔の観客の寸劇が流れはじめる中、俺は、
(そういえば……さっきの着信って、誰からだったんだろう……?)
と、少しだけ気になったが……、俺の意識は、すぐにスクリーンの方へと移っていった――。




