ニュー・シネマ・パラライズ
「……あのさ、早瀬さん――」
クレープを食べ終わった(早瀬からもらった分は、俺の口の中に入る事無く成仏なされたが……)俺は、満腹になって、すっかり元気になった早瀬の後を歩きながら、躊躇いつつその背中に向けて声をかける。
「んー? なぁに、高坂くん?」
クルリと振り返って、早瀬は小首を傾げ、俺に向かって微笑みかけた。
――止めてくれ、その笑顔は、俺に効く。……いや、嘘。もっと下さいお願いします。
と荒れ狂う、心の中のドギマギをどうにか圧し殺しながら、努めて平静を装った顔で、俺は早瀬に尋ねる。
「あ……あの。俺たちって、これから何処へ行こうとしてんのかな――って、ちょっと思ってさ……」
「あれ? 私、まだ高坂くんに言ってなかったっけ? ごめんね」
早瀬は、ビックリした表情を浮かべて、ペロリと舌を出した。
……う~ん、ズルいぞ早瀬! そんな可愛らしい顔をされたら、何も言えなくなっちゃうじゃないかよ……!
と、地面につかんばかりに鼻の下を伸ばした俺に、彼女は言った。
「映画館だよ! エーモンシネマ北丈寺!」
「あ……映画――!」
早瀬の答えに、俺は虚を衝かれた。
俺はてっきり、またこの前みたいに『アニメィトリックス北丈寺店』や、南口にある『ししのあな北丈寺二号店』辺りに連行されるもんだとばかりに思っていたのだが……。
「じゃ、じゃあ……。俺たちは、映画を観に来たんだ……」
「うふふ、そうだよー」
早瀬は、ニコニコと笑いながら頷いた。
「丁度、一昨日の金曜日に封切りになったから、高坂くんと一緒に観ようと思ったんだぁ」
「ふえぇっ?」
早瀬の言葉に、俺の心音はドラムロールの様になった。
一緒に……観ようと思った? は、早瀬が……おおお俺とおおお!
「……て、いけない! もうこんな時間じゃん! 早くしないと始まっちゃうよ。――急ご、高坂くん!」
手首の腕時計を見た早瀬が、慌てた声を上げて、その歩くスピードを速める。
「あ……う、うん!」
俺も、慌てて彼女の後を追う。
――と、
(……早瀬は、俺と一緒に、何の映画を観ようとしてるんだろ?)
不意に、その事が気になった。
えー……と――。
確か早瀬は、「一昨日の金曜日に封切りになった」って言ってた。
金曜日から上映されてる映画だと……。
一番メジャーなのは、アメコミの実写映画の『リベンジャーズ』だな。……いや、違うか。『リベンジャーズ』は、確かに物凄く金をかけて、CG使いまくったアクション映画だけど、早瀬が好きそうな感じじゃない。
……じゃあ、あのスズタクが主演してる『BAD LUCK!』かなぁ? ……うーん、彼女が好きそうなタイプっぽくないんだよなぁ。早瀬の口から、アイドル関係の話題が出たのを聞いた事が無いし……。
なら、最近やたらとTVでCMが流れてる、深海誠監督の『電気の子』かな……? ――そう言えば、早瀬が被っているキャップにも『誠』の文字がある!
……でも、『電気の子』の公開は、二週間くらい前だったはず。
じゃあ、違うのか……。
――と、俺が、答えの出ないクイズに頭を悩ませている内に、俺たちはエーモンシネマ北丈寺の表玄関に着いてしまっていた。
心なしかスキップをしているかのような、軽快な足取りの早瀬に続いて、俺はチケット売り場に並ぶ。
――ギブアップだ。
結局、俺は、早瀬が何の映画を観に来たのかが分からずじまいだった。
こうなったら、本人に直接訊く事にしよう。
「あ……あの、早瀬さん! お……俺たちって、これから何の映画を――」
「楽しみだねっ、高坂くん!」
「へ? あ――ああ、はい……ソウデスネ……」
アカン……。そんな無邪気な笑顔を向けられたら、今更映画のタイトルなんて訊けねえよぉ。
ま……まあいい。どうせ、これからチケット買うんだから、そこで嫌でもタイトルは分かる。
「……どうしたの、高坂くん? 変な顔をして、いきなり頷き始めたりして?」
「あ……いや。ナンデモナイッス」
訝しげな表情を浮かべる早瀬を前に、ぎこちないカタコトで答える俺。不自然すぎる俺の様子を前に、早瀬は猶も首を傾げていたが、
『お次でお待ちのお客様~。三番窓口にどうぞ~』
という店員さんのマイク音声に、俺は助けられた。
早瀬は、にんまりと笑うと、「はーい!」と手を挙げながら、小躍りして三番窓口へと向かう。俺も、ホッと安堵の息を吐きながら、彼女に続いた。
『いらっしゃいませ~』
と、ガラス窓の向こうの若い店員さんは、営業スマイルを浮かべて、俺たちに向かって会釈してきた。そして、にこやかな表情のままで、俺に向かって尋ねる。
『お客様、前売り券などはお持ちでしょうか?』
「あ……ええと。ま、前売り券……?」
俺は、店員の言葉に目を白黒させた。いや……つうか、何の映画を観るのかも知らないんですけど、俺……。
――と、
「あ、はーい! 私、持ってまーす♪」
明るく弾んだ声で答えると、早瀬は背負っていたリュックを床に下ろし、一枚の封筒を取り出し、中に入っていた二枚の紙を取り出した。
そして、ガラス窓の下にその紙を滑り込ませ、店員に渡しながら、元気いっぱいに叫ぶ。
「はい、これっ! 十二時四十分からの『新撰組契風録』のチケットを二枚お願いします!」
うん?
俺は、どこかで聞いた事のあるタイトルに、思わず首を捻った。
『新撰組契風録』……確かそれって……どこでだっけ? 正直……あんまりいいイメージが無い気がするんだけど……何でだろ?
(あ……そうか)
ここは、『新撰組契風録』の映画とやらを上映する映画館じゃないか。どこかに、ポスターが貼ってあるはずだ。それを見れば、このボンヤリとした記憶がハッキリするに違いない。
そう考えて、俺はロビーの壁面をジロジロ眺め、――すぐに目的の『新撰組契風録』のポスターを発見し、
そして――、
「ゲ――……ッ!」
俺は、顎を外さんばかりに大きく開けて、硬直した。
俺の目に飛び込んできたのは、互いにきつく抱き合い、熱く濃厚な口づけを交わすふたりの男。
そして、俺は思い出した。
――『新撰組契風録』が、この前に早瀬から渡された女性同人誌の内、数冊の元ネタである、深夜BLアニメのタイトル名だったという事に……!




