午前の待ち合わせ
木枯らしが吹き始めた日曜日の北丈寺駅前には、沢山の人が溢れ返っていた。
もうコートを羽織っている気の早い人や、ギターケースを担いだバンドマンらしい男、日曜日なのに、キッチリとスーツを着こなして、足早に歩くサラリーマン……。
俺は、大きな花時計の前の石段に腰を下ろして、忙しなく行き交う人々の流れを、落ち着かない思いで眺めていた。
今日の俺の格好は、グレーのパーカーに、黒のズボン――確か、スキニージーンズとかいうんだっけ?
下半身に張り付くようにフィットしていて、少しキツい。……敢えてどこがとは言わないが、まあ、察してくれ。
ちなみに、靴はベージュのスニーカーだ。
…………
……て、誰だ、『地味』って言った奴は!
それは、今朝家を出る時に、ウチの女連中から散々言われてますから、残念ッ!
前回に続いて、ハル姉ちゃんが、またサークルの男子に声をかけて、“勝負服”を借りてきたらしいけど、今回は断固として断った。
だって、ハル姉ちゃんが持ってきた紙袋の中が、やたらとごわついていた上、ジャラジャラという金属音まで聞こえてくるんだもの。中に何が入っているのか、大方の察しがついた。
――もとより、今回は、余りに時間が無かった前回とは全く違う。
万が一に備えて、着々と準備を進めていたのだ。
そして、“前回”の轍を踏まないように、気恥ずかしい思いをして買ったメンズファッション誌を参考にして、俺なりに精一杯コーディネートを考えた結果が、今のこの格好である。俺のなけなしの貯金の範囲内で、少しでもデートっぽい格好になるように……。
そして、それはある程度成功して、周りの人が見ても、普通のデートの格好に見えているのではないかと思う。だって――この前の栗立駅の時と比べて、人の視線が痛くねーもん! ……比較的に。
……あ、いや、まあ……デートでは無いんだケドね。
――閑話休題。
俺は振り返って、背後の花時計を見る。
大きな花時計は、もう少しで11時を指そうとしていた。
と、その時、
「あー、ごめーん! 高坂くん!」
駅の方から、待ち望んでいた声が、俺に向かってかけられた。
その声を聞いた途端、俺の心臓の鼓動が大きくなる。
「ごめんね、電車を一本乗り損ねちゃって……。高坂くん、待った?」
鈴を転がるような可愛らしい声が、軽快な足音と共に近付いてきた。
俺は、思わず緩む口元を懸命に引き締め、メンズファッション誌で読んだ特集記事“彼女が惚れる! オトナの余裕”の一節を思い出しながら、声の方へと振り向き、
「う――ううん! 全然大丈夫だよ。今が丁度、時間ジャストだし。早瀬さ――んんん?」
――俺が顔面に貼り付けた“余裕あるオトナの微笑み”は、瞬く間に凍りついた。
「あ、本当だぁ。ちょうど11時だね。良かったぁ!」
……前回の事から、薄々予想はしていて、それなりの覚悟も固めていたはずの俺だったが、今日の彼女の格好は、その俺の予想と覚悟のラインを軽々と超えてきた――悪い意味で。
無邪気な声を上げて、俺に向かって可愛らしい笑みを浮かべた早瀬は、庇に大きく“誠”の文字が染め抜かれた水色のキャップを被り、襟元と袖先にふさふさのファーが付いた、黒いロングコートを羽織っていた。――そう、ゲームや少年マンガで、スカした二枚目ボスキャラが良く纏っている、アレである。
それなのに、ロングコートの下から覗く脚は、白茶チェック柄のダルダルズボンを穿いているのが、何ともミスマッチ……。
更に、背中には、前回の時にも持ってきていたBL作品のキャラの缶バッジで“装甲”を固めたリュックサックを背負っているのである。
――百歩……いや、千歩譲って、アキバあたりならギリギリ溶け込めそうだったが、有数のオサレエリアである北丈寺では、問答無用で悪目立ちする格好だった。
俺は、周囲からの奇異の視線が、一斉に集中するのを感じ、思わず首を竦め、
「よ、よし! じゃ、じゃあ、行こうか、早瀬さん! 一刻も早く!」
そう早口で捲し立てながら、俺は彼女の袖を引いて早足で歩き出した。
早瀬は、俺に引きずられるように歩きながら、目を丸くして首を傾げる。
「あ、あれ? ど……どうしたの、高坂くん? そんなに急がなくても、まだ……」
「う、うん、分かった! とにかく、急ごう! とにかく建物の中! できるだけ人の居ない所に!」
俺は、早瀬の言葉に対して、適当に相槌を打ちながら、まるでパニック映画でゾンビに追われる生存者の様なセリフを吐く。
……とにかく、一秒でも早くこの場から離れようと必死だった。
◆ ◆ ◆ ◆
「……ねえ、高坂くん。どこに行こうとしているの……?」
と、早瀬が怪訝な声を上げたのは、北丈寺の駅前から“逃走”してから、10分程迷走した後だった。
「……ハッ! え――ええと……あれ、ここは……?」
彼女に声をかけられて、俺はようやく我に返る。
俺は、キョロキョロと辺りを見回す。
――どこだ、ココ? 大通りから外れた脇道なのだろうか。人通りは大分少ない。
俺は、バツの悪い表情で、おずおずと早瀬に訊いた。
「ええと……俺たちって、今日どこに行くんだっけ? ……ごめん、俺、ど忘れしちゃったかも」
「――いや、多分、私まだ高坂くんに言ってないよ」
「あ……そうだっけ……」
早瀬に言われて、俺はポリポリと頭を掻く。
――と、突然、早瀬が俯いた。そして、俺の袖を抓んで、小声で囁く。
「そ……それよりも、早く、ここから離れよう……」
「え――? ここから……って、あ――ッ!」
早瀬の言っている意味が良く分からず、道端の建物を見上げた俺は、飛び出さんばかりに目を見開いた。
俺の目に飛び込んできたのは、オシャレな外装のビルと、どこか艶めかしい字体の文字が躍る看板の数々。
そう、例えば――、
『ホテル・シャングリラ』『ホテル・ラブタイム』『HOTEL ZEED』『失・楽・園』『LOV-INN YOU』……!
や……ヤベえっ! こ……ここは――ッ!
十八歳未満の禁足地――オトナの宿泊施設の密集地だァッ!
「あ、その……!」
俺は、ワタワタと狼狽えながら、早瀬の方を振り返る。
キャップを目深に被り、顔を俯かせた早瀬の表情は窺い知れなかったが、その頬が熟れたリンゴのように真っ赤になっているのは分かった。
それを見て、俺は声を裏返しながら、声を張り上げた。
「そ――そそそそそうだね! は早く! 早く、ここから出ようッ! はりいいぃぃぃあああっぷ!」
「は――ハアアアイッ!」
湯気が噴き出るかと思う程に頬を熱くした俺と早瀬は、脇目も振らずに、慌てて走り出す。
多分、その時の俺たちは、逃げ出すはぐれメ○ルや、史上最速の男・ウサイン・ボ○トなんかよりも、ずっと速かったに違いなかった――!
サブタイトルの元ネタは、アニメ「ノラガミ」のOP『午夜の待ち合わせ』(Hello Sleepwalkers)です。




