高坂家の一族
「ねえねえ、ヒカル! そのお友達って、どんな子なのかしら?」
切ったリンゴを載せた皿を運びながら、母さんが興味津々な様子で訊いてきた。
「えと……」
俺は言葉に詰まって目を逸らす。
「そ、そりゃ……普通の同級生だよ。うん……」
うん、普通の同級生だ。普通に呼吸して、普通に高校に通ってる、普通の高校一年生だ。――ちょっと趣味が特殊で、ファッションセンスが独特で、メチャクチャ可愛いけどね……。
と、突然、テーブルの向こうから手が伸び、俺の胸倉を掴んだ。
「ん――んがぐぐ……ッ!」
「そ……その友達って、男よね! まさかとは思うけど……女じゃあ無いわよね!」
羽海が、目を血走らせながら、俺の首を締めあげつつ詰問する。
「く――苦し……や、止めろ……羽海……!」
「こら、答えろ! 答えろ、愚兄ィッ!」
「こ……答えろ……って、い、言われても――」
すっかり興奮した羽海が、手加減なく俺の首を締め上げてくる為に、俺は声を出す事も出来ない。
……あ、やべ……だんだん感覚が遠くなってきた……。
――あれ? 何だか、広い川が見える。……あれは……三年前に死んだじいちゃ――。
「ほら、羽海ちゃん、それくらいにしないと、ヒカルが遠い所に行っちまうぞ」
「あ――しゅ、シュウくん……!」
見かねたシュウが、俺の襟首を締める羽海の手に、そっと自分の手を添えた。途端に、羽海は顔を真っ赤にして手を放す。
「ご……ゴメン、シュウくん! アタシ、ついカッとして……」
「お、オイコラ羽海……。あ……謝る相手が違うだろが……」
「うるっさい愚兄! 邪魔すんな!」
「…………スミマセン」
……あれ? 今の、明らかに俺が被害者だよね? なんで加害者に怒鳴られて睨みつけられて、俺が謝ってるの?
「……で、どっちなの? 男の子なの? それとも……女の子?」
「う……」
――今度はコッチか……。
言葉に詰まった俺は、どう質問の矛先を躱そうかと思案するが、
「そりゃ、もちろん女の子よねえ。……じゃなかったら、この前、あんなにおめかしして、ウキウキで出かけたりしないもんねぇ。……そうでしょ、ひーちゃん?」
「う……ハル姉ちゃん……」
ニヤニヤ笑いを浮かべたハル姉ちゃんの言葉に、俺はいよいよ答えに窮した。
と、父さんがポンと手を叩く。
「おー。そういやあ、三週間くらい前に、仮装大会みたいな格好で出かけたが……あれか!」
「……仮装大会ゆーな」
「そうよ。あれは、私がひーちゃんの為に、サークルの男子から無理を言って借りてきた“勝負服”なのよ?」
「勝負服? ……どこぞの世紀末覇王と、ツボを突き合いにでも行ったのか?」
「んな訳あるかい! つか、ネタが昭和じゃ!」
俺は耐えきれずに、思わずツッコんだ。
――と、ハル姉ちゃんが、ズイッと身を乗り出し、俺に尋ねてくる。
「で――、女の子なんでしょ、ひーちゃん?」
「……」
ハル姉ちゃんの顔は笑っているが、その目は笑っていない。それを見た俺は背筋を凍らせ、同時に悟った。
――これ以上、しらばっくれようとしたら、ヤバい……。
いつもはのんびりとしているハル姉ちゃんだが、その心の許容量は無限ではない。一度、その心のダムが決壊したら、貯め込める量が多い分、その被害はより甚大なものになる事を、俺は今までの十五年の人生で、嫌と言う程叩き込まれてきたのだ。
……これ以上、のらりくらりと質問を躱す事は困難だし、賢明でもない――。
俺は、そう判断して、小さく頷いた。
「は……はい、一応……」
「きゃー! ホントなの? あのヒカルが! お出掛け! しかも、女の子とッ! もう~、もうちょっと早く言ってくれれば、今日のごはんはお赤飯にしたのにぃ!」
途端に黄色い声を上げたのは母さんだった。……つか、赤飯はイミが違うだろ。
その隣で父さんも、驚きながらも喜びの声を上げる。
「本当か、ヒカル! それはめでたい! てっきり、我が高坂家もヒカルで断絶するのかと覚悟していたが……!」
いや、大袈裟だから。……て、そんな事で涙目になるな、クソ親父! ――つか、気が早えよ!
「待て待て! さっきも言ったけど、早瀬とは、ホントにただの友達で――」
「ふーん……ハヤセさんって言うんだ。ひーちゃんのお友達って……」
「う――!」
しまった……。つい、口が滑って、余計な情報まで漏らしてしまった……!
「ど――どんな女よッ! そのハヤセとかいう女! ど……どんな顔をしてるのよ! しゃ、写真とか無いのッ?」
再び羽海が、今にも掴みかからんばかりの剣幕で、俺に向かって叫ぶ。
――『写真』と言われて、俺の脳裏に、早瀬が最初のLANEで送ってきた自撮り画像のことが過ぎったが、アレを見せたら、ただでさえ混沌に満ちたこの場が、ますます収拾つかなくなるに違いない。
そう考えた俺は、慌てて首を横に振る。
「……な、無いよ、そんなモン!」
「ウソ! 絶対持ってる! いいから見せなさいよ、愚兄!」
「い……イヤ、モッテナイデス……」
「ほら! 左頬がひくついた! アンタが嘘をつく時のクセなの、お兄ちゃ――じゃなくて、愚兄ぃ!」
そう叫んで、すっかり興奮して、我を忘れた羽海は、再び俺の喉元を狙って腕を伸ばすが――、
「ほら、羽海ちゃん。止めなって」
シュウが、その大きな手で、羽海の肩をガッチリと掴んで止めた。
途端に、三倍早いアイツみたいに、顔を真っ赤にする羽海。
「あ……ひゃ、ひゃい……シュウくん――」
「うん、いい子だな、羽海ちゃん」
と、羽海に向かってニコリと微笑んだシュウは、何故か淋しそうな顔をすると、静かに言葉を継いだ。
「早瀬は……いい女子だよ。ヒカルとも、お似合い……。オレは――そう思うぜ。…………でも――」
「シュウ……くん?」
「あ……と。やべ」
突然、シュウはそう呟くと、やにわに椅子から立ち上がる。
「遅くまですみませんでした。オレ、もう帰ります」
そう言って、俺たちにペコリと頭を下げると、自分の食器を台所のシンクに置き、そのまま真っ直ぐ玄関へと向かった。
俺たち家族は、突然の事に、呆気に取られてその背中を見送るだけだったが、
「お――おい、シュウ。ちょい待て!」
我に返った俺は、慌ててシュウの後を追う。
俺が玄関に行くと、シュウは三和土に腰を下ろして、靴の紐を結んでいるところだった。
その背中に、俺は上ずった声をかける。
「ちょ、どうしたんだよ、シュウ! 急に――」
「……いや、言ったじゃん。もう遅いから――って」
首だけで振り返ったシュウは、一見いつも通りの微笑みを浮かべていた。しかし、俺は、その目に強い違和感を感じた。
「いや……何か怒ってるだろ、お前。――何か、俺が気に障るような事を言っちゃったのか? ……だったら、ゴメン……」
「……いや、違えよ。別に、そんなんじゃない……マジで」
「いや、絶対に怒ってる。幼馴染みを舐めるなよ」
「……だから! 何でもねえって!」
「……ッ!」
突然、言葉を荒げたシュウに、俺は驚いて息を呑んだ。
そんな俺を尻目に、シュウはカバンを肩にかけると、俺の方を一瞥もせずにドアを開ける。
俺は、慌ててその背中に声をかける。
「しゅ……シュウ――」
「……怒鳴って悪い、ヒカル」
シュウは背中を向けたまま、俺に言った。そして、右手を軽く上げて、ヒラヒラと振ってみせた。
「じゃあな、ヒカル。……日曜日、頑張れよ」
「が、頑張るって……あ、いや――うん、分かった。――お前も頑張れよ、練習試合」
「……おう」
シュウは、俺の言葉に背中越しに頷くと、――そのまま出ていった。
――最後まで、俺の方を見る事無く。




