肉焼く人
毎月第四週の金曜日。
高坂家では、その日を『肉の祭典』と呼んでいる。
いつも残業がちな父さんだが、第四週の金曜日は俗に言う“ノー残業デー”とやらで、必ず定時で帰ってくる――“高級牛肉”を携えて。
そして、その牛肉たちで焼肉パーティーを開催する。――それが、我が高坂家伝統の『肉の祭典』なのである。
もっとも、“高級牛肉”と言い張るのは父さん本人だけで、本当はスーパーの特売コーナーに並ぶオーストラリア産牛肉の疑いが濃厚なのだが、それでも牛肉は牛肉。美味いものは美味いのだ。……本当の高級牛肉の味なんて知らねーし。
この日ばかりは、日頃は外をフラフラしていて帰りが遅いハル姉ちゃんも、キッチリ5時には帰宅してきて、文字通り、垂涎の表情でテーブルの前にスタンバっている。
……いや、母さんを手伝えし。
そして、今日は第四週の金曜日。
高坂家のリビングには、脂ぎった煙と、肉汁の芳しい匂いが充満していた。
「お、遙佳! そこのカルビ、もういいぞ」
「ありがと! ――あ、父さん、そこのタレ取ってぇ」
「うえっへっへ~! このタン塩は、ワシが育てたぁッ♪」
「ちょ! 愚兄ッ、返せッ! それ、アタシのタン塩ぉぉぉぉっ!」
「こらこら、喧嘩しないのぉ。まだお肉はあるんだからぁ」
“肉の祭典”――それは、正に戦国乱世の如し。
俺たち家族五人は、協力と裏切りを繰り返し、鉄板の上の領地 (肉)を奪い合う。
――いや、今日はもうひとり――。
「おばさん! ごはんのおかわり、お願いします!」
そう、元気よく叫びながら、母さんに向けて丼を差し出したのは、シュウだった。
「……」
……だが、母さんは、その言葉に反応しない。ジッと鉄板に目を落とし、自分のロースが育つのを、じっと見つめている。
シュウは、ハッとすると、もう一度言い直す。
「――楓花さん、おかわりをお願いします!」
「あ、はーい、シュウ君♪ ごめんねえ、気付かなかったわぁ♪」
名前を呼ばれた途端、表情を一変させ、満面の笑みでシュウから丼を受け取ると、鼻歌を歌いながら白飯をよそう母さん。
「はい、どうぞ! 遠慮しないで食べてねぇ♪」
「あ、ども、おばさ……楓花さん」
「……母さん……」
シュウに名前で呼ばれて上機嫌の母さんを尻目に、俺は顔を引き攣らせる。
だが、シュウの両脇に陣取ったふたりは目の色を変えた。
「シュ、シュウちゃん! はい、アタシの牛タン、一枚あげるね!」
「あ、サンキュ、羽海ちゃん」
「あら、シュウくんには、牛タンよりもカルビよねぇ~。はい、どうぞ! シュウくんの為に育てておいたとっておきよ~」
「あ、ハル姉ちゃん、あざっす」
「ちょ! シュウくんが、まだ牛タン食べてるでしょうがァッ!」
「へーん! 育ち盛りのシュウちゃんは、牛タンなんかより、脂が滴るカルビの方がいいに決まってますぅ!」
「こぉの、お姉ちゃんッ! タン塩のコリコリした歯ごたえをナメるなああ!」
シュウを挟んで、熾烈な争いを繰り広げる我が姉妹。
……止めてくれ。身内が“女”を丸出しにして、ひとりの男を取り合う様など見たくない……。
俺は、思わず頭を抱え――、
「お、ヒカル、もう腹一杯か? だったら、そのハラミ、もらうぞ」
「て――オイ待てクソ親父ィッ!」
――せっかく手元で育てていた牛ハラミを、父さんにかっ攫われた。
◆ ◆ ◆ ◆
「ふえ~……お腹いっぱい……。もう食べられないよ――ただし、アイスは除く」
「お腹が破裂しそう……でも、デザートは別腹……」
「ふぃ~、食った食った……晩酌は液体だからノーカンな」
「もう、二・三日はごはん食べなくても良さそうねぇ……でも、チョコは外せない……」
「……アンタら、意外とまだ余裕じゃねえか……」
俺は、腹を抱えて椅子の背もたれに身を預けている家族たちに、白けた視線を浴びせる。
――そして、もっと白けた視線を、向かいの席の真ん中で、7杯目の白飯を掻き込む男に向けた。
「つうか……お前、まだ入るのか、シュウ……」
「ん? ふぁふぁふぁふぁほふうふぁほ」
俺のジト目にも涼しい顔で、口いっぱいに白飯を頬張りながら、シュウは答える。……何を言ったか分からなかったが。
シュウは、コップの麦茶で白飯を胃へと流し込むと、けろりとした顔で手を合わせた。
「ごちそうさまでした! 美味しかったっす!」
「あらぁ、もういいの? 一升炊いたから、もうちょっとだけ、ごはん残ってるわよ?」
「あ、大丈夫っす! お――楓花さん!」
母さんの問いかけに、爽やかな笑顔で答えるシュウ。母さんは、「あら、そう……」と、少し残念そうな顔をすると、椅子から腰を上げた。
「じゃあ、デザートのリンゴを切るわね。シュウ君も食べるでしょ?」
「あ、はい。いただきます!」
「……まだ入るんかい、お前……」
元気のいい返事を返すシュウに、呆れながら俺は言った。
――と、俺は大切な事を思い出した。
俺は、台所でリンゴを切っている母さんの背中に声をかける。
「あ――そういえば、母さん。ちょっと、お小遣いの前借りしたいんだけどさ……」
「えー? 前借り? 珍しいわね、ヒカルがそんな事を言うの」
母さんは背中を向けたまま、意外そうな声を上げる。
「何に使うの? ゲームか何か?」
「あーと……。そうじゃなくってね……」
俺は、切り出すのに一瞬躊躇したが、意を決して言葉を続ける。
「ちょっと、明後日の日曜日さ……。友達と会う事になって……」
「「「友達ィッ?」」」
俺の言葉に、その場で椅子に凭れていた三人が反応した。
同時にガバリと身を起こすと、目の色を変えて、俺に詰め寄ってくる。
「何だヒカル! お前、友達なんて出来たのか! ……て、何だ、秀くんか」
「だ――誰よ! 日曜日に、わざわざアンタなんかと遊ぼうなんて人――! あ、シュウちゃんか、どうせ」
「ええ? ひーちゃんのお友達? シュウくん?」
……何で、俺の友だちってなると、シュウで確定なんだよ? ――まあ、実際そうなんだけどさ……ついこの間までは。
と、名指しされた当のシュウが首を横に振った。
「あ、いや……。明後日は、学校で野球部の練習試合なんで、オレじゃないっすよ」
「お、そうなのか……? じゃあ――」
シュウの答えに、父さんは訝しげに首を傾げ――、ハル姉ちゃんが「あっ!」と叫んで、ポンと手を叩いた。
「ひょっとして、アレ? ひーちゃんが何週間か前に言ってた……」
「……うん、まあ」
ハル姉ちゃんの問いかけに、俺は不承不承といった感じで頷く。
途端に、驚いた顔を見せたのは羽海だった。
「え――? あ、アレって本当に居たの? ――この前の日曜日に出かけた時に、会うって言ってた友達って……」
「……おい、『本当に居た』って、どういう意味だよ?」
「いや……てっきり、ぼっちに耐えきれなくなった愚兄の脳が生み出した、空想上の存在か何かだと……」
「おい」
妹が漏らした、兄に対する紙のように分厚い信頼を示す言葉に、思わず俺は、天を仰いだ――。




