読者(きみ)が望まない永遠
その日の昼休み、俺は小田原を誘って、一緒に昼飯を摂ることにした。
読泣ソラ……もとい、星鳴ソラについて、ウェブ小説界隈に詳しそうな小田原から、もっと詳しく聞き出したいと思ったからだ。
授業が終わる度に誘ってくる俺に対して、はじめの内は陰キャらしい警戒を顕わにしていた小田原だったが、あの手この手で、彼の豊富な知識を煽て囃してやると、だんだんと乗り気になり、四時限目が終わると、素直に俺の後をついてきたのだった。……案外とチョロい奴だな、コイツ。
本当は、全く無関係のシュウは抜きにして、小田原と二人きりで話をするつもりだったのだが、廊下を歩いている内に、気が付いたらシュウがしれっと混ざっていた。
俺と一緒にいるシュウに気付いた小田原は露骨に嫌そうな顔をする。
無理もない。
俺なんかとつるんではいるが、花形の野球部の一年生レギュラーであるシュウは、陽キャの中でも上位のカーストに位置する男だ。
陰キャの小田原にとっては、決して相容れることの出来ない存在だといえる。
だが、陰キャの哀しさ。それをシュウ本人に直接言える胆力は小田原にはなく、憮然とした顔で、シュウから目を背けるだけだった。
俺達は人目を避ける為に、中庭の奥まったベンチに座った。何故、人目を避ける必要があるのかは、俺とシュウには良く分からなかったが、小田原が頑強に拘った点だったので、ここはおとなしく彼に従う事にする。
俺とシュウは、購買で買ってきた菓子パンとコーヒー牛乳を開け、小田原は、教室から持参してきた弁当の包みを開けた。
「……で、ボクに何が聞きたいっていうんだい、コーサカ氏?」
弁当の真っ赤なタコさんウインナーを一口で頬張り、もしゃもしゃと咀嚼しながら、小田原は訊いてきた。
俺は、コーヒー牛乳で焼きそばパンを胃へと流し込むと、小さく頷く。
「うん。朝にも聞いた、“星鳴ソラ”の事について、もう少し詳しく教えてほしいんだ」
「……“読泣ソラ”について――ねえ……」
今度は、エビフライを尻尾ごと、バリバリと音を立てて噛み砕きながら、彼は口元を歪める。
その、星鳴ソラに対するそこはかとない侮蔑を感じさせる彼の態度に、俺は心の底でムカついたが、表面では平気な顔をして頷いた。
「そう。――小田原はさ、星鳴ソラの書く文章って、どう思う?」
「……おや、コーサカ氏? 君は、読んだ事が無いのかい? 星鳴ソラの作品を」
「――いや、読んだよ。連載の8作品全部」
「へえ……。じゃあ、君は、その作品たちを読んで、どんな印象を持ったんだい?」
……俺の問いに対して、問いで返してきやがった、この野郎。
小田原に対して、またイラつきを覚えながらも、俺は答える。
「……一言で言えば、『面白い』……だね。ぶっちゃけ、文庫になってる作品よりもずっと面白い、まであると思う」
「ホフほほはふぃふぁほ」
「……いや、何言ってるか分からないんで、口の中のモンを飲み込んでからでいいよ」
「……ひっふぇい」
小田原は、水筒をグビリと呷ると、もう一度言い直す。
「――ボクも同じだよ。……文章力もストーリーの構成力も、商業作家と遜色が無いものを持ってると思う。……正直、のべらぶで埋もれているには惜しいよ」
「……のべらぶ? 何の話? ゲームか何かか?」
すっかり話から置いてけぼりにされたシュウが、首を傾げながら口を挟む。筋金入りの体育会系のシュウには、ウェブ小説界隈の事なんてチンプンカンプンに決まっている。こうなるのが目に見えていたから、シュウは誘わないつもりだったのになぁ……。
しょうがないので、話の腰を折られて憮然とする小田原を横目に、シュウに事の概要を説明する。
俺の話を、うんうんと頷きながら聞いていたシュウは、
「――ふうん、そうなのか」
ようやく解ったという顔で頻りに頷きながら、シュウはキッパリと言い切る。
「……つっても、オレは本なんてあんまり読まないから、良く分からねえけど」
「いや、ここまで懇切丁寧に説明してやったのに、結局解らないんか―いッ!」
そう叫びながら、渾身の勢いで繰り出した俺のツッコミの手刀を、並外れた動体視力を以て軽く躱しながら、シュウは首を傾げてみせた。
「まあ、でもさ。ラノベオタクの小田原や、文芸部のヒカルが認めるくらいなんだから、相当凄い奴なんだろ、その“星鳴ソラ”って作家は。……でも、だったら何で、その凄い奴が“夜泣きソバ”なんてヘンテコなアダ名を付けられちまってるんだよ?」
「「読泣ソラ!」」
うわマジか。期せずして、俺と小田原のツッコミがハモってしまった。……何かイヤっつーか、気まずい。
向こうも俺と同じ事を思っただろうと、横目で見ると――。
……う!
な、何だ、『思わず同時にツッコミを入れる、マンガやラノベで定番のハプニングを実際に体感できて、ボカァ幸せだなぁ』みたいな、満ち足りた笑顔を浮かべるんじゃない! ……傍で見てて痛々しい程に哀しいから、止めて下さいお願いします!
「ゴ……ゴホンゴホンッ!」
俺は、わざとらしく咳払いをして、横道へ逸れかけた場の空気を元に戻す。
「え――と……。俺も不思議なんだよね。何で、『完結作が無い』ってだけで、そんな蔑称を付けられるまでに叩かれなきゃならないのか――っていうのがさ」
「おいおい……コーサカ氏、それは本気で言っているのかい?」
俺の言葉に、小田原は薄い眉を吊り上げ、心底呆れたように肩を竦めてみせた。……何だ、そのキザったらしいインチキメリケン人みたいなじぇすちゃーは。
頼むから、その弛んだほっぺたを思いっ切り抓らせてくれ。
――そんな俺の心中も知らず、小田原は得意げな顔をして、俺に向かって話し始めた。
「コーサカ氏。キミは、少年ジャンクの二十週打ち切りについて、どう思うかい? もし、キミが面白いと思って、毎週楽しみにしていたマンガが、突然『俺たちの冒険はこれからだ!』エンドを迎えたとしたら?」
「え?」
俺は、小田原から突然投げかけられた奇妙な問いに、面食らって目を白黒させた。
俺の代わりに、彼の問いに答えたのは、シュウだった。
「そりゃあ……いい気持ちはしないだろうな。『オレは、もっとこいつらの活躍を見たいのに、勝手に打ち切ってるんじゃねえよ』――って」
「そうだね。ボクも同意見だよ、クドー氏」
シュウの答えに、満足げに頷く小田原。そして、「……でもね」と言葉を継ぐ。
「それはまだマシな方なのさ。最後のページに『終』や『完』、或いは『未完』でもいい――その単語が付きさえすれば、どんな形であれ、物語はキチンと閉じている訳だからね。――でも、それよりも、もっと最悪な事がある」
「――! それって……!」
俺は、ようやく気が付いた。小田原が何を言おうとしているのかを――。
彼は、弁当の隅にへばりついた最後の飯粒を箸で掬い上げながら、問いの答えを明かす。
「それはね……掲載雑誌の廃刊で、作品がぶつ切りで中断してしまうことさ。そうなったら最後、まるで時間停止モノのAVみたいに、その物語の時間は止まり、凍りつく。読者の誰一人として、その物語が、これからどうなるのかを知ることはできないんだ」
そこまで言うと、小田原は水筒を飲み干し、ヒキガエルのようなゲップを吐いてから言葉を続けた。
「……分かっただろう? 星鳴ソラがしている事――連載していた作品を途中で投げ出し、エタる行為――は、それと同じなんだよ。作品を夢中で読んで追っかけていた読者にしてみれば、たまったモンじゃないよねぇ」
「……」
「……ちょっと待て。“エタる”って、どういう意味だ?」
と、眉根に皺を寄せたシュウが、口を挟んだ。
「“エタる”っていうのは、作品が途中で止まって、永遠に終わらなくなる事だよ。永遠だから、“エターナルする”――略して“エタる”だ」
「あー……なるほど、分からん」
「……」
「……話を続けて良いかな、クドー氏?」
「……あ、ゴメン」
再び話の腰を折られて、さすがに小田原に睨まれて、俺は慌てて謝った。……いや、何で俺が謝ってんの?
小田原は不機嫌そうに鼻を鳴らすと、言葉を続ける。
「星鳴ソラは、今まで連載していた7作品すべてで、それをやらかしていて、今連載中の『愛と呼ぶには辛すぎる』も、更新のスピードが落ちつつある。……あの分じゃ、今回もエタるのは時間の問題だね」
そう言って、小田原は小さく溜息を吐いた。
「それが――星鳴ソラが、“読泣ソラ”と呼ばれて叩かれる理由なのさ」




