見るべきか、見ざるべきか、それが問題だ
その日の夜――。
「……見るべきか、見ざるべきか、それが問題だ……」
俺は、自宅のパソコンの前に座ってかれこれ一時間近く、そうブツブツ呟きながら、マウスカーソルを行きつ戻りつさせていた。
目の前のノートパソコンの液晶画面には、ウェブ小説サイト『ノベライブラリ』のトップ画面が開いていて、その検索ウインドウには『星鳴ソラ』と、既に文字が入力されている。
このまま検索すれば、たちどころに“星鳴ソラ”というアカウントのユーザーページが開き、その情報を確認する事が出来るのだ。
……ただ、
俺は、その横の検索ボタンをクリックする事がなかなか出来ないまま――今に至る。
――星鳴 ソラ。
あの時、偶然部室で見てしまった、諏訪先輩のタブレットに表示されたマイページのアカウント名だ。
状況から、『星鳴ソラ』という名は、諏訪先輩の『ノベライブラリ』における仮の名――ペンネームなのだと考えるのが自然だ。
『ノベライブラリ』では、アカウントを登録した者ならば誰でも、自分が書いた小説やエッセイを手軽に投稿する事が出来る。
つまり、誰でも“作家”になる事が可能なのだ。――しかも、無料で(ココ重要)!
そして、このサイトで掲載した小説が高く評価されるか、或いはサイト内で開催される小説大賞で受賞するかして、出版社や編集者の目に留まれば、多くのサイト登録者達が目標とする“書籍化”という道も開けるのだ。
実際、ノベライブラリの連載から、書籍化され、コミカライズされ、アニメ化された作品も存在する。
最近大流行した『転生したらスレンダー美女になったので、魔王を誑かして甘い汁を啜ります』――略称『転スレ』も、ノベライブラリ出身の作品である。
そんな訳で、今のノベライブラリは、まさに旭日の勢いと言うに相応しい盛況ぶりなのだ。
「……マイページを持ってるって事は、先輩も、作品を投稿しているんだろうな……」
俺は、パソコンの画面とにらめっこしながら呟く。
……『ノベライブラリ』に投稿された作品は、基本的に誰でも読む事が出来る。読むだけならば、アカウントは要らないのだ。
だが、“作家”として、自作を投稿する為には、アカウントは必須である。よって、
『アカウントを持っている』=『作品を投稿している作家』
という等式が成り立つ。
――ただし、作品に感想を寄せたり、“オススメレビュー”と呼ばれる紹介文を書く際にもアカウントは必要だ。
“読み専”と呼ばれる人の中には、感想とオススメレビューの為だけにアカウントを作る人もいるので、諏訪先輩が“作家”ではなく“読み専”である可能性も捨てきれない。
……いずれにしても、ほんの一瞬、マイページを覗いただけでは、諏訪先輩がどちらなのかは解らない。
だから、この『作家検索』で、作家として“星鳴ソラ”という名前がヒットするのか確認しようと思ったのだが……なかなか、クリックする決心がつかない。
(――何か、諏訪先輩が隠したがっている秘密を、わざわざ暴こうとしているみたいで、嫌だなぁ……)
今まで、諏訪先輩は、自分がノベライブラリのアカウントを持っている事を、決して自分の口から言わなかった。つまり、俺のような顔見知りに知られてしまう事を避けているという事だ。
先輩の性格ならば、そう考えても不思議ではない。
そんな、彼女がひた隠しにしているであろう秘密を、俺如きが、ゲスな興味に駆られて暴いてしまっていいのか……。
「いや……良くないよな、やっぱり……」
俺は、そう独りごちると、詰め込んでいた肺の中の空気を吐き出した。
「……止めよ」
そして、マウスをブラウザの×ボタンに合わせる。
――が、
「…………やっぱ、気になるッ!」
嗚呼、意志薄弱なり、高坂晄!
……だって、気になるじゃん! あんなに俺の短編に容赦の無いダメ出しをしてくる諏訪先輩が、ノベライブラリの中でどんな活動をしているのか――。
湧き起こる好奇心には抗いがたく、俺はマウスを勢いよく左にずらし、サイトの『検索ボタン』に重ね――クリックした。
画面が切り替わる数秒間、俺は慚愧の念と期待感に苛まれつつ、胸を高鳴らせて検索結果を待つ。
「――出た……!」
そして、切り替わった画面に映し出されたのは――確かに部室で見たのと同じ、
『星鳴 ソラさんのマイページ』
と、一番上に記されたページだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「……やべえ、もうこんな時間か」
俺は、壁に掛かった時計の短針が“2”を指しているのに気が付いて、愕然とした。
すっかり、時間を忘れて読み漁ってしまった。
俺は、大きく腕を広げて伸びをすると、口を窄めてゆっくりと息を吐き、恍惚としながら呟く。
「すげえなぁ……」
――面白い。
俺の貧困な語彙では、それしか言えない。
“星鳴ソラ”のマイページで表示されていた連載は8作品。驚く事に、その全てが別のジャンルだった。
王道のファンタジーに、思わず腹を抱えて笑ってしまうコメディ、壮大な戦記もの、ヒロインの可憐さにキュンとしてしまうラブコメなどなど――。
そして、更に驚いた事に――その全てが面白かった。
簡潔ながら要点を押さえ、読み進めやすい地の文と、軽妙な言い回しの応酬が繰り広げられる会話シーン、個性豊かで血の通った、劇中の世界で確かに“活きている”キャラクター達……。そして何より、起伏に富んだ、読者を飽きさせる事の無いストーリー……。
本屋に並んでいる書籍並み……いや、下手な書籍化作品など裸足で逃げ出しそうな、質の高いエンターテインメントが、“星鳴ソラ”の書く全ての作品には溢れていた。
正直、読んでいる途中、何度も「こんな凄い作品を、無料で読めちゃっていいのかな……?」と、首を傾げたものだ。
――で、気が付いたら午前二時になってしまっていたという訳だ。
……これ以上は、さすがに朝が辛くなる。明日も学校だ。
俺は、時の流れる速さを残念に感じながら、ホームページを閉じて、パソコンの電源を落とす。
だが――、
(でも、何でなんだろう……)
パタンとノートパソコンを閉じ、天井に目を泳がせながら、俺は漠然とした疑問と――不満が、心の中を蠢くのを感じていた。
放課後の部室で、いつも無表情のまま、黙々とキーボードを叩く諏訪先輩の横顔が思い出される。
……俺は静かに、心の中で湧き起こった疑問を音声にした。
「――何で、“星鳴ソラ”が連載している8作品の全てが、連載の途中で止まってしまっているんだろう……?」




