デート・ア・ラブ
――その日の放課後。
「お――お疲れ様でーす……」
文芸部の引き戸を恐る恐る開けながら、既に部屋の中に居る人物に向けて、俺はおずおずと挨拶した。
カタカタ……カタッ カタタタ……
「……お疲れ様、高坂くん」
キーボートを叩く手は止めぬまま、挨拶を返してきたのは、もちろん諏訪先輩だ。
俺は、ぺこりと頭を下げると、ギクシャクとした動きで先輩の隣のパイプ椅子を引き、肩に提げていたカバンを机の上に置きながら、静かに腰を掛けた。
カタタタッ カチッ……カタタ
「……」
リズミカルに鳴るタイピング音を聴きながら、俺は恐る恐る隣の諏訪先輩の横顔を覗き見る。
小首を傾げ、垂れた黒髪を耳にかけながら、眼鏡の奥の瞳はタブレットの文字を追っている先輩の横顔はやっぱりきれいで、つい見とれてしまう……。
――と、不意に、諏訪先輩がこちらを向く。
「――どうしたの、高坂くん? さっきから押し黙って」
「あ――ッ! い、いやいやいやっ、スミマセン!」
訝しげな表情を浮かべる先輩に、俺は慌ててブンブンと首を横に振った。
「……変な高坂くん。まあ、高坂くんが変なのは、割といつもだけれど」
「あ……はは……」
呆れつつも苦笑を浮かべた諏訪先輩に、俺は引き攣り笑いで返す。
……というか、変なのはしょうがないだろう。
何せ、つい一週間ほど前に、俺は先輩の告白を断っているのだ。気にしないはずが無い。
……もっとも、当の諏訪先輩は、あの日以降すっかりいつもの様子に戻っていて、俺は拍子抜けしてもいるのだが。
ぶっちゃけ、『もしかして、あれは先輩の仕掛けた壮大なドッキリか、或いは夢オチだったんじゃないだろうか……?』と、邪推してしまうほどには当惑していた。
――と、
「あ……そうだ」
ふと、俺は、朝に小田原と交わした会話を思い出した。
俺はエヘンと咳払いをすると、再びキーボードを打ち始めた諏訪先輩に向かって、祝福の言葉を述べる。
「あの……、おめでとうございます」
「え……何が?」
「いや……何がって……」
首を傾げて、キョトンとした様子の諏訪先輩の声に思わずガクッとしながら、俺は言った。
「そりゃ……『Sラン勇者と幼子魔王』が、のべらぶコンの一次選考を突破した事ですよ」
「あぁ……」
タブレットに目を落としたまま、諏訪先輩は気の無さそうな返事をする。
「ありがとう。……とは言っても、まだ一次を通っただけで、大した事は無いわよ。喜ぶのは、まだ早いんじゃない?」
「いやいや……一次選考突破を『大した事無い』って……マジっすか……」
諏訪先輩の言葉に、思わず俺は顔を引き攣らせる。
そんな俺が漏らした声に、諏訪先輩は眉を顰めた。
「あら、違う?」
「違うに決まってるじゃないっすか……」
あかん、この人、のべらぶコンの一次を突破するって事がどんな事なのかを、マジで分かってない……。
「いいですか、先輩」
俺は机の上に自分のスマホを出し、のべらぶのホームページを開きながら、諏訪先輩に言った。
「……今回の『第8回のべらぶコン』、応募総数が8537作品です」
「……うん、そうね」
スマホの画面に表示された『のべらぶコン』の特設ページの画面を覗き込みながら、諏訪先輩が頷く。
俺も頷き返すと、画面をスワイプさせながら言葉を継ぐ。
「……で、今回の一次選考通過作品は、779作品。――つまり、応募作品の内の10パーセントにも満たないんですよ」
「……うん」
「上位10パーセントに食い込んでるって……凄くないっすか?」
「うん……そう言われれば、そうね」
俺のスマホの小さな画面を見る為に身を乗り出していた諏訪先輩が、もう一度頷いた。
そして、顔を上げて、穏やかな微笑みを俺に向け――
「そっか……確かに、そう考えれば凄い事よね、我ながら――あっ!」
「――ふぁッ!」
顔を上げた諏訪先輩の顔が、俺の顔と10センチほどの距離まで接近し、俺と先輩は同時に目を丸くし、固まった。
「……」
「……」
先輩の吐息が、俺の頬を撫でる――。
と、
「――ダメッ!」
「う……うおぉわぁっ!」
甲高い悲鳴を上げた諏訪先輩に思い切り押し退けられた俺は、もんどりうって椅子から転げ落ちた。
鈍い音と共に、腰から背中にかけて鈍い痛みが広がる。
「い……痛つつつ……」
「ご――ごめんなさいっ、高坂くん!」
顔を顰めて尻を擦る俺に、慌てた様子で諏訪先輩が手を差し伸ばしてきた。
その手を反射的に掴もうとした俺だったが、
「あ……いや、だ、大丈夫です……」
ハッと気が付くと、一旦伸ばした手を引っ込め、自分で立ち上がる。尻から落ちたのが幸いしたのか、そんなに痛みは残っていない。
「あ……ごめんなさい……」
諏訪先輩も、バツが悪そうな顔をしながら手を戻すと、自分の椅子に座り直した。
俺も、倒れた椅子を直して、腰をかける。
「……」
「……」
ふたりの間に、気まずい沈黙の空気が流れた。
……と、
「……明日、だっけ? ――早瀬さんとの……初デート」
ぽつりと、諏訪先輩が訊いてきた。
その問いかけに対し、俺は目をパチクリさせながら、小さく頷く。
「あ……はい。まあ……デート……なんですかね……?」
「? 違うの?」
「いやぁ……」
怪訝な顔をして聞き返してきた諏訪先輩を前に、俺は困ったような顔をして、髪の毛を弄りながら首を傾げた。
「何て言うんですかね……、そもそも“デート”っていうもの自体、これまでの俺の生涯の中で最も縁遠いイベントだった訳でして……イマイチ実感が湧かないっていうか……」
「でも、何回か、早瀬さんと一緒に出掛けてるんでしょう?」
「ええ、それは……まあ、そうなんですが」
「じゃあ……それと同じなんじゃないかしら?」
「そうなのかなぁ……」
「……まあ、それを言ったら、私も経験が無いから、良く分からないんだけどね」
そう言うと、諏訪先輩は困ったような笑みを浮かべ、更に言葉を継ぐ。
「でも……お互いに楽しければ、それでいいんじゃない? デートって」
「楽しければ……ですか」
諏訪先輩の言葉に、俺は難しい顔をして唸った。
「いやぁ……多分、俺は120パーセント楽しめると思うんですけど、早瀬の方が楽しんでくれるかは……うーん」
「……相変わらずの心配性ね」
悩む俺の様子を見ながら、諏訪先輩は呆れたように言った。
――と、少し表情を和らげると、ポツリと呟く。
「でも――私は楽しかったわよ。……お正月に、高坂くんと初詣に行った時」
「……え?」
諏訪先輩の言葉に、思わず聞き返す俺。
すると、先輩は「あ、変な意味じゃないの」と言うと、苦笑いを浮かべながら言葉を継いだ。
「……でも、私にとっては、楽しい思い出よ」
「……」
「多分、ね」
と、諏訪先輩は、穏やかな表情で、ポツリと言う。
「――好きな人と一緒に楽しい時間を過ごせるのなら、それだけで充分なんじゃないかしら? それが、“恋”っていうものだと……今は、思うの」
「――そう、ですね……」
諏訪先輩の言葉と表情から、彼女が心に抱いていた本当の思いを悟った俺は、あの時彼女から伝えられた告白の言葉を疑ってしまっていた事に慙愧の念を覚えながら、俺は小さく頷いたのだった。




