ヒカルにでも秘密がある
バレンタインデーに降った雪は、結構記録的なものになって、各種交通機関に深刻な影響を与えるほどだったが、それでも一週間くらいでキレイさっぱり溶け消えてしまった。
だが――それでも、一気に春が訪れたという訳でもなく、依然として、朝晩の冷え込みは厳しいままだ。
「う~、寒いッ!」
二月最後の金曜日。自転車通学のせいで、すっかり悴んでしまった両手に息を吹きかけながら、俺は教室の扉を開け、窓際の自分の席についた。
冷え切った座面に小さな悲鳴をあげつつ、自分の椅子に腰を落ち着けた俺は、ふぅと一息つき、そそくさとスマホを取り出す。
野球部の朝練を終えたシュウが教室に来るまでの間、LANEを開いて、表示されるメッセージにニマニマするのが、最近の俺の日課となっていた。
――そして、今日も、
「……ふふ」
俺は鼻の下を伸ばしながら、いそいそとスマホのロックを解除し、目当てのアカウントのトーク画面を開こうと――
「やぁ、ヒカル氏。グドゥモウニング」
「ど、わぁああっ!」
突然、耳元で囁かれた俺は、驚いて素っ頓狂な叫びを上げる。
クラス中の注目が一気に集まる中、俺は急いでスマホの画面を消した。
「アーハァン? どうしたんだい、ヒカル氏? 魔女に心臓を掴まれたような叫び声を上げたりして」
「て……お前かよ」
相変わらず、上手いんだか上手くないんだかイマイチ分からない発音で、俺に挨拶の言葉をかけてきたのは、小田原翔真だった。
俺は、内心ドキドキとしたまま、努めて平静を装いながら、取り敢えず挨拶を返しておく事にする。
「お、おう。おはよう……小田原」
「オゥイヤァ! “小田原”なんて他人行儀な呼び方は止めてくれたまえと言ったじゃないか! ここは気安く、“ショーマ”と呼んでくれていいのだよ。いや――いっそ君になら、“ショー”でも……何なら“ショーちゃん”と呼ばれても構わな――」
「だが断る」
俺は、やたら馴れ馴れしい小田原の提案を0.03秒で却下すると、ジト目で彼の脂ぎった顔を一瞥して、素っ気なく尋ねる。
「――で、何か用か。朝はいつも、“ラノベ精読の時間”だったんじゃないのか?」
「まあ……確かに、いつもならそうなんだけどね」
小田原はそう答えると、キザったらしく肩を竦めてみせる。
「今日は特別さ。キミ達にお祝いを言いたくてね、ヒカル氏」
「……お祝い?」
(この野郎……いつの間にか、俺の事を名前呼びしてやがる)――と、心中秘かにイラっとしながらも、俺は小田原の言った『お祝い』という言葉に引っかかりを感じ、眉を顰めた。
そして、すぐにある可能性に思い当たる。……俺達が祝福されるような事といえば、ひとつしか無い。
――も、もしかして、この男、あの事に感付いているのか……?
あの事は、まだほんの一部の人しか知らない機密事項なのだ。
この学校で知っているのは、俺と彼女を除けば、シュウと諏訪先輩しかいない。
それなのに、コイツは――、
「お……おい、小田原――」
「おッと、ヒカル氏。ノンノン♪」
血相を変えて詰め寄ろうとする俺の目の前て立てた指を振った。
「な……何だよ?」
「だーかーらー。“小田原”じゃなくて、“ショーマ”或いは“ショー”、もしくは“ショーちゃん”でヨ・ロ・シ・ク♪」
そう言うと、小田原はお道化た調子で片目を瞑ってみせる。
――うわ、殴りたいこのドヤ顔。
と、俺は激しくイラついたのだが……今はそれどころではない。
ムカムカする感情を胸の奥で圧し殺しながら、俺は身を乗り出し、小田原に尋ねる。
「……ど、どこで、その情報を知ったんだ、小田原」
「……」
「……しょ、ショーマ……」
「ハッハッハッ! そんなに知りたいのかい、マイソウルフレンド・ヒカル氏よ!」
「……」
名前呼びされた瞬間、愉悦の極みみたいな表情を浮かべる小田原を前に、何か……とても大切な何かを喪ってしまったかのような敗北感を感じる俺。
一方の小田原は、満面の笑みを浮かべながら、俺の問いに答える。
「――まあ、とは言っても、そんなに面白い答えでも無いんだけどね。……普通に、ネットで見たんだよ、昨日ね」
「ね――ネットォッ?」
小田原の答えに驚愕する俺。
ね……ネットって……!
――ま……まさか、俺と早瀬の事が、インターネットで世界中に拡散されたのか……?
俺は、ガクガクと唇を震わせ、思わず腰を椅子から浮かしながら、小田原に更に尋ねる。
「ね……ネットって、例えば……にゃ、22ちゃんねる……とか?」
「あー、そうだねぇ。確かに、22ちゃんねるにも速報スレが立ってたよ」
「ま……マジでか……」
小田原の答えに、俺は膝から崩れ落ちた。
そ……速報スレが立つほどの事なのか……?
――俺と早瀬が付き合う事になったって事実は……!
俺の脳裏に、
『【大悲報】都立大〇南高校の女神、どこの馬の骨とも分からない陰キャの手に落ちる【見敵必殺】』
『【WANTED!】俺達から太陽を奪った高〇晄を許すな【滅殺せよ】』
『【集結セヨ】結絵を取り戻せ!【同志求ム】』
みたいな、剣呑なタイトルのスレタイがズラリと並んだ、22ちゃんねるの画面が浮かび、俺は震え上がった。
い……いかん! このままでは、ワイは“世界の敵となってしまう……!
――と、そんな俺の心中も知らずに、小田原はなおも言葉を続ける。
「――でも、まあ。もちろん、ボクが初めて知ったのは、『のべらぶコン』特設ページの一次選考通過作品発表でだけどね」
「……は?」
小田原の言葉に、俺はキョトンとした表情を浮かべて、目をパチクリさせた。
「は……? の……のべらぶコン……?」
「? どうしたんだい? 他に無いだろう?」
呆けた俺の顔を見た小田原も、怪訝な表情を浮かべる。
そんな彼に、俺は恐る恐る訊く。
「あ……あの~……お、小田原クン……?」
「……」
「……ショーマくん?」
「何だい、マイソウルフレンド?」
「…………さ、さっきから君が言ってる“お祝い”って、い……一体、何の事に対して……なのかな?」
「はぁ? そんなの、決まっているじゃないか」
俺の問いかけに、呆れ顔で肩を竦めながら、小田原は言葉を続けた。
「諏訪センパイ……星鳴ソラ先生の、のべらぶコンエントリー作品『Sラン勇者と幼子魔王』が、見事一次選考を突破した事さ。――まあ、作品の完成に協力してたって事で、キミもついでにね」
「……あ、あぁ~、そ、ソッチの事かぁ~! カンペキに理解したわ~!」
小田原の答えに、俺はブンブンと小刻みに首を上下に振りながら、不自然に声を高めた。
「そ……そうだよね~! す、凄いよね~! 初応募で、いきなり一次選考突破とか! さっすが諏訪先輩だなぁ~、そこに痺れる憧れるぅ~っ! ウンウン!」
「……ヒカル氏?」
「……あ、は、ハイ?」
「キミ……何か隠してやしないかい?」
「そっ……そんな事無いよ、ある訳無いじゃないか! か、勘ぐり過ぎだよ、お……小田わ……いや、ショ……ショーちゃぁ~ん! あはは、あははは、あはは!」
度の厚い眼鏡の奥から、疑いの眼差しを向けてくる小田原を前に、俺は冷や汗をダラダラと垂らしながら、全力でしらばっくれるのだった……。




