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恋する女性(ひと)のすれ違い

 「え……? と……」


 俺は、早瀬の口から出た言葉の意味を、すぐには理解できなかった。

 ポカンと口を開けて、目線を虚空に漂わせながら、さっき鼓膜を打った彼女の言葉を脳内で咀嚼する。

 ――ええと、早瀬はさっき、何て言ってたんだっけ?

 確か――、


『バレンタインのチョコだよ。……私が、高坂くんへ渡した――ね』


 ……バレンタイン。

 ……チョコ。

 ……早瀬が、渡した。

 ――()()


「……えぇッ?」


 ようやく言葉の意味するところを把握した俺は、飛び出さんばかりに目を剥いて、世田谷の妻の実家で舅家族と同居する男の様な、素っ頓狂な声を上げた。

 そして、自分の掌の上にちょこんと乗っかった青い袋を、穴が空きそうなくらい凝視する。


「こ……これ……は、早瀬さんが……お、俺に……?」


 ドキドキドキドキと、左胸が狂ったように脈動していて喧しい。

 ――だが、


「……あ、もしかして……」


 『早瀬が俺にチョコをくれた』という目の前の事実に対し――最初に俺が考えた理由よりも、ずっとありえそうな理由を思いついてしまい、俺の膨張しまくった期待はみるみる萎んだ。

 その事を確かめる為、俺は震える声で早瀬に尋ねる。


「……いや、多分そうだよね……。このチョコって……」


 上目遣いで早瀬の顔を窺いながら、俺はおずおずと言葉を継ぐ。


「ぎ……義理チョコ……だよね……?」

「……!」


 俺の問いかけに、早瀬の形のいい眉がピクリと上がった。

 そして、俺の質問には答えぬまま顔を背ける。

 そんな彼女の態度に、俺は大いに焦った。


「あ! ご……ごめん! 今のは、ふ、不満だとか、そ……そういうアレじゃなくて、その――」

「あの日……クリスマスイブの日、ね」

「……へ?」


 必死で弁解する言葉を遮って、早瀬が口にした声に、俺は虚を衝かれる。

 だが早瀬は、そんな俺のあげた間抜けな声も耳に入っていない様な様子で、訥々と言葉を続ける。


「……あの、観覧車のゴンドラの中で、高坂くんが告白してくれた時……ホントは違う返事をしたかったんだ……」

「……え?」


 早瀬の言葉に、俺の脳味噌は再びバグる。


 ――ち、違う返事? チガウヘンジッテナンダ……?


「……それまで私は、『高坂くんが好きなのは工藤くんなんだ』ってずっと思い込んでたから、高坂くんが私をそういう風に想ってくれてたなんて、考えもしなかったんだけど……」

「……うん」

「――でも、高坂くんに……『好き』って言われて……私も気付いたの……自分が高坂くんの事をどう想ってるのか――を」

「……え?」


 ――自分が……早瀬が、俺の事をどう想ってるのか……?

 それって――!


「……でも、私は知ってたから……()()()()()()()()()……」

「……す、諏訪先輩?」


 突然、早瀬の口から出た諏訪先輩の名に、俺はハッとした。

 早瀬は、俺の漏らした呟きにコクンと頷くと、指で目尻を拭いて、言葉を継ぐ。


「……何となくだけどね。香澄先輩の高坂くんへの態度とかを見てるうちに、“ああ、多分、香澄先輩は高坂くんの事が好きなんだなぁ”……って」

「……」

「その事を思い出したから……あの場で、高坂くんに自分の正直な気持ちを伝える事なんか出来なくなっちゃって……」

「そ――」

「だから……あの時……あんな風に答えちゃったんだ……」


 ――『……ごめんなさい……』


 あの日、俺にそう告げた早瀬の声と、花火の光に照らし出された彼女の顔が、脳裏に鮮やかに蘇る。

 ――と、顔を窓の方に向けていた早瀬が、手の甲で頬を拭った。

 そして、震える声で呟く。


「……でも、ずっと後悔してたんだ、私。あの日から……」

「え……?」

「――『何で素直にならなかったんだ? 何であの時、香澄先輩の事なんて考えちゃったんだろう?』って……」

「……」

「――だから、年明けにハワイから帰ってきた後、空港でスマホをチェックしてた時に、高坂くんからメッセージが届いてるのを見つけた時にはビックリして……嬉しくて、思わずその場で連絡しちゃったんだ……」

「あ……ああ、そうだったんだ……」


 あの時のやりとりは、俺も良く覚えてる。――っつうか、あの時は俺も負けず劣らず嬉しかったと思う。


「それで……もう一度高坂くんと会えることになって……。決めたんだ」

「決めた……? 何を……」

「高坂くんと会って、今度はちゃんと伝えようって。――私の本当の気持ちを。……でも」


 そう言うと、早瀬は困り笑いを浮かべた。


「……なかなか、言い出すタイミングが無くて。口に出せないまま、北八玉子駅まで来ちゃって……。でも、やっぱり伝えようって決意して……でも、怖くて……」


 そう言いながら、彼女は俯いた。


「だから……言う前に、高坂くんが香澄先輩の事をどう想ってるのか聞いてからにしようと思って――」

「――あ、だから……」


 ――『こ……高坂くんは、か……()()()()()()()、どう思ってるのっ?』


 あの日――駅のホームで、やたらと思いつめた顔をした早瀬がそう尋ねてきた事を思い出した。

 ……あの質問は、そういう事だったのか。

 そして、その質問に対して、俺は――。


「でも、そしたら高坂くんが……『香澄先輩に告白された』って答えて……。だから、結局伝えられなかったの。――だって、そうでしょ? せっかく、香澄先輩も高坂くんも幸せになりそうなのに、今更私なんかが出てきたら、絶対に邪魔になっちゃうだろうから……」

「そ……そんな事は……」


 『無い』……とは、言い切れなかった。

 でも、今の早瀬の言葉を聞いて確信した。

 ――ホームを出る電車の窓越しに見た、しゃがみ込む早瀬の姿。

 あの時……彼女は泣いていたんだ。


 ――自分の想いを伝えられずに終わってしまった事が哀しくて。

 ――俺と諏訪先輩の幸せを妨げぬ様、何も言わずに退いた事によって生じた、自分の心の痛みに耐えかねて。

 ――そして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「……早瀬さん、ごめん」


 気付いたら、俺は謝っていた。

 謝らない訳にはいかなかった。

 そして、同時に――、


 ――彼女の事を好きになって、本当に良かった。


 心から、そう思った。

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