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待ち人、来たらず

 「……っ寒ぅぅううっ!」


 コートを羽織っているにも関わらず、骨の髄まで凍りつきそうな寒さに包まれたA階段の踊り場で、階段の段差に腰を下ろしていた俺は震え上がった。

 屋内にも関わらず、吐く息は白い。

 俺は堪らず立ち上がると、その場で小刻みに足踏みし、少しでも体温を上げようとする。……が、それは圧倒的な寒気の前では、儚すぎる抵抗でしか無かった……。


「……ふぇっくしゅっ!」


 俺があげた盛大なくしゃみは、踊り場の冷たい空気を揺らし、こだまとなって上下階まで反響していく。

 ずるりと垂れた鼻水を啜り上げると、俺はまたぶるりと身震いした。


「さ……寒すぎて寒すぎてぇふ~るえ~る~……」


 と、思わず俺は、昔流行った曲の替え歌を口ずさみながら、悴んで思う様に動かない手でポケットをまさぐり、大いに手こずった挙句、やっとの思いでスマホを取り出した。


「うわぁ~……あったかいナリぃ……」


 年季の入り、寿命が近いスマホが発する僅かな熱も、この極寒の地(踊り場)においては貴重なものだ。

 俺は、スマホを両手で挟み込んで暖を取った後、電源ボタンを押して液晶画面を表示させる。

 そして、心臓を高鳴らせながら画面を覗き込み、


「……やっぱり、既読すら付いてない……」


 ――失望の溜息を漏らした。

 さっき、“YUE♪”のトーク画面に送った、


『早瀬さんに伝えたい事があります。良かったら、来て下さい』

『A階段の踊り場まで』


 というふたつのメッセージに、“既読”の表示が付いていなかったからだ……。


「お……オーケーオーケー……ま、まだあわてるような時間じゃない……うん」


 俺は、脳裏に過ぎった嫌な予感を振り払うように首を小刻みに振りながら、どこかのバスケ部のエースの様に呟くと、一旦LANEの画面を閉じる。

 ――ふと、ホーム画面に戻った液晶画面に浮かぶ“16:35”の時刻表示が目に留まる。


「……まだ20分も経ってねえのかよ」


 と、俺は独り言ちながらスマホを乱暴にポケットに突っ込み、今度は踊り場の大きなガラス窓に目を向けた。

 すっかり薄暗くなった窓の外には、先程までよりは幾分か小降りになっていたものの、相変わらず大粒の雪が降り続いているのが見える。


「う――っ、寒ぅっ!」


 その景色を見た瞬間、つかの間忘れられていた凄まじい寒気の事を思い出してしまった俺は、まるで道路工事でアスファルトを固めるランマみたいに身体を震わせる。


「うーっ! こ、このままじゃ凍死しちゃう! 無理無理無理無理無理無理無理無理ィッ!」


 某・仮面を被って吸血鬼になった男みたいな声を上げながら、俺は、何か体が温まるものが入ってなかったかと、慌ててカバンの中を漁り始める。

 ――すると、役に立ちそうなものが三つくらい見つかった。

 それは……ラッピングされた()()()チョコレート――!

 高カロリーなチョコレートは冬山での必需品ともいうし、こんな極寒の中を耐え忍ぶには最適であろう。

 取り敢えずチョコレートを食って、この寒さを凌ぐ事にしよう――そう考えた俺は、手に持った三つの包みを見るが、


「いやいや、これは食っちゃマズいだろう……」


 そう呟いて、ふるふると首を横に振りながら、そのうちの一つをすぐにカバンに戻す。

 そして、残る二つを見比べながら、どちらにしようか思案する。

 二つのチョコレート……それは言うまでもなく、朝にシュウから貰ったものと、さっき部室で諏訪先輩から貰ったものだ。


「……」


 俺は、複雑な思いで二つの包みに目を落としていたが、やがて、シュウの包みをカバンに戻した。

 そして、諏訪先輩から貰った包みに軽く一礼すると、リボンに指をかけ、静かに解く。

 ――袋の口が開いた途端に漂ってきたチョコレート特有の甘い匂いが、俺の鼻腔と食欲をくすぐった。


「……頂きます、諏訪先輩」


 匂いに誘われ、口の中に湧いた唾を飲み込んだ俺はそう言うと、開けた袋の中に手を突っ込み、茶色いチョコの塊を一つ取り出す。

 中に入っていたのは、周りにココアパウダーを塗したトリュフチョコレートだった。


「……」


 口の中に放り込んで一噛みすると、ココアの風味とチョコレートの甘味が、たちまち俺の感覚を魅了し、


「甘――いっ!」


 と、思わず声が漏れた。


『リュウやタイガにも同じチョコをあげたけど、『甘くて美味しい』って言ってたから、高坂くんの味覚にも合うと思うわ』


 ――先ほど聞いた諏訪先輩の言葉が、脳裏に蘇る。

 俺は、鼻の奥がツンとするのを感じながら、天井に目を向けながら、


「……甘くて美味しいです、先輩……」


 と、そっと呟く。

 そして、二つ目のチョコを取ろうと手を伸ばした時――、


 “ピロリン”


「――ひっ!」


 突然鳴ったポケットのスマホの通知音に、素っ頓狂な悲鳴を上げた。

 やにわに、心臓がドラムロールの様なリズムを刻み始める。

 俺は、コートのポケットに手を突っ込むが、取り出すのを一瞬躊躇った。


「……ふぅ~」


 目を瞑って大きく深呼吸をし、気持ちを落ち着かせてから、ゆっくりとスマホを取り出し、画面に表示されたLANEの通知ウィンドウを確認し――、


「……何だ、シュウかよ……」


 てっきり、早瀬からの返信だと思ったのに……と、当てを外された俺は思わず嘆声を漏らした。


「まったく……お、驚かせやがって……」


 俺は、ガッカリと安堵が入り混じった複雑な気分で、液晶画面をタッチし、『しゅう』のトーク画面を開く。


『センパイは、だいじょぶそうだ』


 トーク画面の新着メッセージには、そう書いてあった。


「……そっか」


 そのメッセージを読んだ俺はホッとして、小さく息を吐く。

 ――と、


“ピロリンッ”


 再び、通知音が鳴り、『しゅう』の新しいメッセージが追加表示された。


『がんばれ』

「……おう」


 表示された短い激励の言葉が、唐突にぼやける。

 俺は手の甲を口元に当てて、漏れそうになる声を押さえながら、


『あざっす』


 と返信を打った。

 ――と、その時、


「……ん?」


 俺は階段を駆け上がってくる、けたたましい足音を耳にして、驚きながら背後を振り返った。

 そして、


「あ――」


 目を大きく見開いて、まるで石化魔法をかけられた勇者の様に身体を硬直させる。


「あ……あ……」


 驚きで言葉にならない声を上げる俺の目の前には――、


「はぁ……はぁ……、お、お待たせ……高坂くん……」


 息を切らせ、顔を上気させた、


 ――早瀬結絵が立っていた。

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