Snowy Blue
「お、ヒカル!」
校舎に戻り、昇降口で上履きに履き替えていた俺の背中に、聞き慣れた声がかけられる。
振り返ると、バットを抱えた練習着姿のシュウが、こちらに向かって走り寄ってくるところだった。
「……よぉ」
俺は、力無い微笑みを浮かべながら、シュウに向かってひらひらと手を振る。
シュウは、満面の笑みを湛えながら、俺の前まで来て――、
唐突に顔を顰めて、ブルリと身を震わせた。
「っ寒ぅうッ! 外の風、冷たぁっ!」
「そりゃ寒いだろ。雪だぜ、外」
俺は、シュウのオーバーなリアクションに呆れ顔で返す。
「……つうか、真冬に半袖のアンダーシャツなんかを着てる方が悪いだろ。長袖着ろ長袖」
「いやぁ、長袖だと暑いんだよ。グラウンドで身体動かしてるとさ」
そう答えると、シュウはニカッと笑った。一方の俺は、ブルブルと身体を震わせながら、シュウをジト目で睨んだ。
「……つか、見てるコッチの方が寒いわ。風邪ひいちまうぞ、お前」
「大丈夫だよ。ほら、良く言うじゃん。『子どもは風邪ひかない』ってさ」
「……多分それ、『子どもは風の子』と『バカは風邪ひかない』が混ざってるぞ」
「ありゃ、そうだっけか?」
俺のツッコミに、シュウは苦笑いを浮かべ、斜めに被った野球帽の上から頭をポリポリと掻く。
そんな調子のシュウに溜息を吐いた俺は、廊下の向こうを一瞥し、シュウと同じ練習着を着た一団が柔軟体操をしているのに気付いた。
「……やっぱり、今日は室内なのか、野球部?」
「まあな。こんだけ降ってちゃ、グラウンドもぐちゃぐちゃで、ちゃんとした練習なんて出来ねえしな。それに、身体が冷えちゃったらケガの元になる……って事で、今日は屋内練習だ」
そう答えながら、シュウは手にしたバットを構えて、軽く一振りし、言葉を継ぐ。
「……つっても、体育館はバスケ部やらバレー部やらが使ってるから、踊り場で素振りするか、廊下で筋トレするくらいしか無いんだけどさ。……って」
と、シュウは訝しげな表情を浮かべて、俺の顔をまじまじと見つめた。
そして、真顔になって、静かに尋ねる。
「ひょっとして、センパイを……」
「……ああ」
シュウの問いに、俺は微かに頷く。
「……諏訪先輩の告白は――断ったよ」
「……そっか」
俺の答えに、シュウは神妙な表情を浮かべ、頷き返す。
そして、おずおずと言葉を重ねる。
「じゃあ……お前は早瀬を――」
「うん」
俺はもう一度頷くと、手にしたスマホの画面をシュウに見せた。
「決めたよ。俺は……もう一度、早瀬にアタックする」
「……そうか」
シュウは、液晶画面に映し出されたLANEのトーク画面をチラリと見ると、俺に訊く。
「で――センパイは、何て言ってた? お前の答えを聞いて……」
「……『頑張って』って。――あと」
「あと?」
怪訝な表情で、シュウは聞き返した。
俺は小首を傾げながら、言葉を継ぐ。
「あと――何でか分からないけど、『ありがとう』って……。何とも言えない微笑みを浮かべながら……」
「……」
「……つか、何で『ありがとう』なんだろ? 俺は、先輩にお礼を言われるような事は何も……」
「オレは……何となく分かるな。――センパイの気持ち」
俺の言葉尻を捉まえて、シュウはポツリと言った。
「センパイの言った『ありがとう』ってさ――お前が自分の気持ちをしっかり受け止めて、その上でキッパリと答えを出してくれた……だから、『終わらせてくれて、ありがとう』……そういう意味だろうな」
「……そうなのかな?」
「そうだよ。絶対な」
シュウは、懐疑的な俺に向かって、力強く頷きながら言った。
「だって……オレもそう思ったもん。……お前に断られた時に、な」
「……そっか」
シュウの言葉が心にぶっ刺さり、俺は唇を噛んで俯く。
と――、
「――あっ、そうだ!」
突然、シュウが何かを思い出したような顔を作って、わざとらしくポンと手を叩いた。
「そういえば、オレ忘れ物してたんだった! 部室棟まで取りに戻らねえと」
「へ?」
「つー事で、ちょっと行ってくるわ! じゃな」
そう言い残すと、シュウは俺の返事も聞かずに、さっさと靴を履き替える。そして、三盗するランナーの様な勢いで、雪の降りしきる校舎の外へと走り出て行った。
取り残された俺は、呆気にとられてその背中を見送るだけだったが、
「そっか……」
そう呟くと、口の端を綻ばせる。
――シュウは、それとなく様子を見に行くつもりなのだろう。俺に告白を断られ、傷心を抱いて部室でひとりきりになっている諏訪先輩の様子を……。
……同じ痛みを抱く者として、ほっとけないんだろう。
アイツは、昔からそういう奴だ。
「……いつも、ありがとうな、シュウ」
俺はそう呟いて、シュウが消えた校舎の外に向かって、小さく頭を下げる。
そして、くるりと振り返り、
「――よし」
気合を入れる為に、両手で頬を思い切り叩き、
「……い、ちちちち……」
予想以上の衝撃と痛みに、両掌を両頬に当てた体勢のままで悶絶する。
どうやら、部室棟からここまで、雪が降る中を歩いてきたせいで、頬が冷え切っていたかららしい。
めっちゃ掌と頬がジンジンする……。
でも、おかげで色々と気持ちが吹っ切れた。
「――行くか」
と、自分自身に向けて声をかけ、俺は急ぎ足で目的の場所に向かう。
――『早瀬さんに伝えたい事があります。良かったら、来て下さい』
さっき、早瀬に送ったLANEのメッセージ。
その中で指定した、
俺と早瀬が初めて会った、すべての始まりの場所である……
――『A階段の踊り場まで』




