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愛、I、哀

 「…………まないわね」


 諏訪先輩が、窓の方に目を遣りながら、ポツリと言った。


「……え?」


 だが、パイプ椅子の上に腰をかけながら、緊張のあまり、心は別の次元に飛んでしまっていた俺は、先輩が何を言ったのか聞き逃した。

 俺は、目をパチクリさせながら、おずおずと先輩に訊き返す。


「あ……あの、スミマセン。その……聞いてなかったです……」

「……」


 俺の謝罪にも、先輩は無言のままだった。彼女は何も言わずに、湯気が立ち上るマグカップを、俺の前にそっと置いた。


「……外、寒かったでしょ? 取り敢えず飲んで。温まるから」

「あ……はい。スミマセン。……ありがとうございます」


 俺は、いつもと同じ素っ気ない態度の諏訪先輩に、ペコリと頭を下げると、言われるままにマグカップの縁に口をつけ、


「……ん?」


 一口啜った途端に、違和感に気付いた。

 口の中で広がったのが、いつものコーヒーの香りと苦みではなく、もっと柔らかな香りと甘味だったからだ。


「諏訪先輩……これって……」

「……ホットココアよ。ココアには、身体を温める効能があるし、それに……」


 諏訪先輩はそう言うと、つと視線を逸らす。そして、机の上に置かれていた自分のマグカップを手に持ち、一口啜ると言葉を継いだ。


「今日はその……バレンタインデー……だから」

「あ……」


 蚊の鳴く様な声で、そう言った先輩の頬が仄かに紅く染まっているのに気付いた俺は、顔面がボッと音を立てて熱くなったのを感じた。

 それを誤魔化す為に、慌てて手にしたマグカップを口元に運び、一気に傾け――、


「――あっつぅっ!」


 まんまと舌を火傷した。


「ちょっ……大丈夫、高坂くん――」


 舌を出して悶絶する俺の様子を見て、諏訪先輩が慌てて声をかけてくる。

 俺は、出した舌に息を吹きかけて冷ましながら、安心させようとして首を横に振りながら言った。


「あ! ら、らいりょうるれる! れんれんもんらいらいっる!」

「ちょっと、何言ってるか分からないんだけど……。ま、大丈夫そうね……」


 舌足らずな発音の(舌を出しているので当たり前)俺の言葉に、諏訪先輩は呆れつつも頷き、苦笑いを浮かべる。


「……」


 そんな彼女の表情を見た俺の胸の中で、何かが疼く。――だが、何も言えなかった。


「……」

「……」


 それから、諏訪先輩も黙りこくり、狭い部室の中に重ったるい空気が淀む。

 聞こえるのは、少ない部費から工面して導入した、小型ヒーターのファンの音だけ……。

 その中で、俺と諏訪先輩は無言のままで、ひたすら各々のマグカップを傾け続けていた……。


「……」

「……」


 ――き、気まずい!

 5分と経たずに、この部室が月の上よりも息苦しいと感じた俺は、取り敢えず会話の糸口を掴もうと、目をキョロキョロと巡らせ、話題にするのにピッタリなネタを見つけた。


「そ……それにしても……」


 俺は、ようやく回復した舌を動かし、できるだけ明るい声色を出した。

 そして、窓の外に目を遣りながら、言葉を継ぐ。


「よ……良く降りますね、雪。こ、この分だと、結構積もっちゃうんじゃないかなぁ。あはは……」

「……それ、さっき私も言ったんだけどね」

「……へ?」


 先輩がポツリと呟いた言葉に、俺は思わず凍りついた。

 ――や、やっちまった……ぁ!


『……雪、降りやまないわね……』


 どうやら、さっき俺が聞き逃した先輩の言葉が、まさにソレだったようだ……。


「あ……あの、その……す、すみま――」

「でも、確かにね……」


 慌てふためく俺を尻目に、諏訪先輩は小さく呟きながら、つと席を立った。

 そして、窓の傍に寄り、曇ったガラス窓を拭いて、外の様子を窺う。


「……もう、積もり始めてるわね。これじゃ、あんまり遅くなったら、帰れなくなっちゃいそう」

「あ……そ、そうですよね」


 先輩の漏らした言葉に、俺は慌てて頷いた。


「先輩、太刀川ですもんね……。電車が止まったらヤバいですよね――」

「うん。――だから」


 俺の言葉に頷いた先輩は、窓から離れると、長机の端に置いてあった、自分のカバンに手を入れた。

 そして、静かに言葉を継ぐ。


「……早めに渡すわね」

「あ……」


 その言葉と共に、頬を染めた先輩が目の前に差し出したものを見た俺は、思わず声を漏らした。

 ――彼女の手の上には、紅いリボンで口を縛った、淡いピンク色の小さな袋がちょこんと乗っていた。

 俺は、それが何なのかは、解っていた。

 だが、それでも、尋ねずにはいられなかった。


「……それは――」

「……ひと月前に約束したでしょ」


 先輩は、眼鏡の奥の黒い瞳を僅かに潤ませながら、静かに答える。


「2月14日……バレンタインに、あなたの為に甘いチョコレートを作ってくるって。……忘れてた?」

「そ……そんな訳無いじゃないですか!」


 おずおずと尋ねてくる諏訪先輩に向けて、思わず俺は言葉を荒げた。


「きょ……今日まで、ひと時も忘れた事はありませんでしたよ! 俺は、この一ヶ月間ずっと、自分がどうするべきかを考えて考えて、悩んで悩んで悩みまくって――!」

「あ……ご、ごめんなさい……」

「あ……いえ」


 感情の赴くまま紡いだ言葉が、まるで諏訪先輩を責めるような感じになってしまった事に気付いた俺は、慌てて首を横に振る。


「せ……先輩が謝るような事じゃないです。こちらこそ……怒鳴ってしまって、すみません」

「……ふふふ」


 俺の謝罪に、諏訪先輩は何故か、口元を手の甲で押さえながら微笑んだ。


「え……? な、何かおかしい事言いました、俺?」

「あ……ううん、違うの」


 俺の問いかけに、諏訪先輩は小さく(かぶり)を振ると、言葉を続けた。


「何か……嬉しくて。高坂くんが、私の事でそんなに悩んでくれてたって事が……」

「あ……えと……ども……」


 諏訪先輩の言葉に、俺は返事に困って、取り敢えず頭を掻く。

 そんな俺の様子に、諏訪先輩はもう一度くすりと笑って、それからコホンと咳払いをした。


「……じゃあ、訊くわね」

「あ…………はい」


 静かな問いかけに、ゴクリと生唾を呑んでからゆっくりと頷く俺。

 諏訪先輩も頷き返すと、もう一度俺にチョコレートの包みを差し出し、声を震わせながら、それでも俺の目をじっと見つめて、ゆっくりと口を開く。


「――高坂くん。高坂晄くん」

「は……はい」

「私は……あなたの事が好きです」


 その言葉を聞いた瞬間、彼女の気持ちは既に知っているはずなのに、胸の中がカッと熱くなった。

 俺は、鼻の奥がツンとするのを感じながら、小さく頷く。


「はい……ありがとうございます」

「……」


 俺の返事を聞いた諏訪先輩が、一瞬目を伏せた。

 だが、すぐに目を開くと、再び俺を真っ直ぐに見つめる。――その瞳が、蛍光灯の光を反射して、キラリキラリと光っていた。

 そして、かすれる声を振り絞って、更に言葉を紡ぐ。


「高坂くん……」

「……はい」

「私の想い、受け取ってくれますか……?」


 そう言うと、先輩はチョコを両手で包み込むようにして、俺に差し出す。


「……」


 ――俺は、思わず天井を仰いだ。

 そして、ぎゅっと目を瞑る。

 瞼の裏に、今までの色んな記憶が、次々と浮かんできた。


 ――部室でキーボードを打つ先輩の横顔。

 ――俺が熱を出して寝込んだ時に、見舞いに来てくれた時の先輩。

 ――ハル姉ちゃんプロデュースによって、イメチェンした先輩の姿。

 ――徹夜で『Sラン勇者と幼子魔王』の最終話を書き上げた時に見せた、先輩の泣き顔。

 ――そして、

 夜の公園で、俺に恋心を告げてくれた時の、月明かりに照らし出された先輩の笑顔――。


「……」


 俺は、目を固く閉じたまま、グッと唇を噛みしめる。

 そして、決断と覚悟を固めた。


 ――先輩に、一ヶ月かけて俺が辿り着いた答えを告げる覚悟を。


 俺はゆっくりと目を開くと、俺に向けて包みを差し出したままの諏訪先輩を見る。

 諏訪先輩の視線と俺の視線が一瞬交差し――、

 俺は、そのまま深々と頭を下げた。


「――諏訪先輩」


 そして、血を吐く様な声で、その言葉(こたえ)を告げる。


「……ごめんなさい……」

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