サヨナラステーション
「じゃ、すごく参考になるから、ちゃんと読んでね! 特にオススメなのは、『ふたりの宿星』っていう、有名なBLマンガの同人誌なんだけどね。あの『割り切れない想い』で有名な五月雨緑雨先生が、デビュー前に書いた同人誌で、ずっと幻の一冊だったんだけど、元ネタの『炎愛の極星』が連載再開したから、この前復刻出版されたんだよー。ホント、原作に負けないくらいエッ……感動するから、絶対に読んでみてねっ!」
「う――うん……」
人でごった返す夕方前の栗立駅の改札前で、ガトリングガンの様に同人誌の事を熱く語りまくる早瀬を前に、俺は引き攣った笑いを浮かべつつ、コクコクと頷いていた。
俺の右腕には、アニメィトリックスの紙袋がかかっている。よりによって、絵柄がきわどい水着を着た女の子なので、俺が着ている服装と相俟った結果、周りからの視線が痛い痛い……。
その中身は言うに及ばず、早瀬厳選の傑作女性同人誌たちである。
そいつらは、二重の意味でずっしりとした重みを湛えて、俺の掌に痛い程食い込んできている。
早瀬は、複雑な表情の俺には気付く様子も無く、ニコニコとチャーミングな笑みを振りまきながら、俺に言う。
「返すのはいつでもいいからねー。ゆっくり読んで、工藤くんをキュンとさせちゃう作戦を考えておいてね。私も、今日買った本で研究してみるから~」
「あ……う、うん……わかった――よ……はい」
無邪気に笑いかけてくる早瀬に、俺は戸惑いがちに頷く。……と、ふと、ある事が心を過ぎり、俺は躊躇いがちに彼女に尋ねる。
「あ……あのさ。本を返す時なんだけど……さ」
「んー?」
「返す時って、どうやって渡したら――いいかな?」
「え? 返す時……? あ」
と、彼女は少し首を傾げて、考え込む素振りを見せ、何かに気付いた表情を浮かべる。
そして、「……そうだよね」と呟くと、何故か少し寂しそうな微笑みを浮かべて答えた。
「あ……うん。いやぁ、別に学校とかで渡してくれてもいいよ――」
「いや! が……学校は、マズい……多分――いや、絶対!」
俺は、彼女の言葉が終わる前に大きく頭を振った。
学校では、常に陽キャ達に囲まれている早瀬。彼女に近付く事は、俺にとっては最難関の試練だし、それ以前に、こんな“危険物”を学校でやり取りするわけにはいかない!
一瞬、「郵送で送ります」と口走りそうになったが、もっと簡単で自然な返し方がある事に思い至った俺は、その事を提案しようと口を動かす。
「――が、学校じゃなくてさ……その……」
が、緊張と――恥ずかしさ――そして、恐怖で、唇が悴んだように縺れ、スラスラと言葉が出てこない。
その時、
(――ええい、何をビビってるんだ、高坂晄!)
と、俺の心の中に居るもうひとりの俺は、臆病風に吹かれた外面の俺を怒鳴りつける。
(今さら、何を躊躇ってんだよ! 断られてもいいじゃんか! 考えてみろよ。お前が早瀬とふたりで出かけてるって事自体、望外の奇跡みたいなモンなんだよ。――もしも、断られて……嫌がられて、これっきりになったって、百がゼロに戻るだけ……失うモンなんてハナっから無いんだよ! 腹を括れ、ヒカル!)
「……よ、よし!」
もうひとりの俺の叱咤に背中を押された俺は、一世一代の勇気を振り絞って、彼女に言った。
「あ――あの! き……君さえ良ければ……なんだけどッ!」
「……ん?」
突然声を張り上げた俺を前にして、早瀬はビックリして、その大きな瞳をまんまるにしている。
俺は思わず、言葉を喉に詰まらせかけるが、唾を飲み込んで耐え、必死で言葉を捻り出す。
「きょ……きょー……今日みたいにッ! また、ふたりで会って、その時に返す感じでも……い、いい……いいいいかなッ?」
――言った! どもりまくりで、我ながら不様だけど……言いたい事は吐き出せた!
俺は、やり尽くした達成感に胸を熱くしながらも、早瀬の反応を見るのが怖くて、グッと目を瞑った。
駅前の喧騒が、ひどく遠くで聞こえる――。
そして――、
「――いいの?」
「――へ?」
耳に届いた彼女の意外な言葉に、俺はビックリして、思わず目を開け、彼女を凝視した。
目の前に、俺と同じようなビックリ顔をした早瀬がいた。
彼女は、その子猫のような大きな黒い瞳を見開いて、俺に尋ねる。
「……いいの、高坂くん? また、私と会うって……?」
「――へ? あ、いや……いや! もちろんッ! ……は、早瀬さんが宜しければ……ですけど……」
「……ッ!」
俺の答えに、早瀬は更に目を丸くし――大きく頷いた。
「うん……もちろんっ! 会おっ! また一緒に……お休みの日に!」
またしても想定外の早瀬の反応に、俺の脳内は情報の目詰まりを起こし、フリーズする。
――ただ、俺の申し出が早瀬に認められた事だけは――間違いないようだ。
奇跡が起こった――!
……とはいえ、俺は嬉しさよりも疑問の方が先に立って、首を傾げる。
が、訊く前に、彼女の方から俺の疑問の答えを語ってくれた。
「……『また会おう』って言ってくれたの、高坂くんが初めてだよ」
「……え、そ――そうなの」
「うん」
驚いて聞き返す俺の言葉に、彼女はコクンと頷いた。
「……私、結構男の子に誘われて、いっしょに出かける事が多いんだけど――」
(……まあ、当然だよな)
「不思議な事に、二回目が無いんだよねぇ……。誘ってくれないし、私から持ちかけても、断られる感じで……」
「……断られる? ――あ」
早瀬の言葉に、俺は眉を顰めて首を傾げ――かけて、ピンときた。
俺は、彼女のシャツを指さして、訊いてみた。
「――早瀬さん。ひょっとして、その――男と出かける時って……そういう系の格好だったりする?」
「へ……? まあ、うん。いっつも、これじゃあないけど……。『純情☆トルネード』のレン×ロジーTシャツだったり、『サミサネ』のロクス様柄の――」
「あ、もういいっす。大体分かった……」
俺は掌を挙げて、また止まらなくなりそうな彼女の口を制し、もうひとつ質問を重ねる。
「……それで、そいつら――男の子達と出かける先っていうのは、やっぱり――」
「うん。今日みたいな感じかな~。大体いっつも『君の行きたい所に連れて行ってあげるよ』って言われるから、アキバとかブクロとかまで出て、アニメィトリックスとかG-BOOKSとか、ししのあなとかに行って~ってカンジ?」
「……なるほど」
俺は、思わず頭を抱えつつ、深く納得した。――彼女が、何故二度目のデートに誘われないのか、そんなに可愛い顔立ちにも関わらず、一度も男と付き合った事がないのか――を。
即ち――、
彼女をデートに誘えるような行動力と度胸を持つ男は、確実にイケメンカーストの最上位に位置する者。言いかえれば、『選ばれし陽キャ』だ。
そういう手合いはおしなべて、そのプライドはエベレストのように高い――と思う。知らんけど。
……そんなプライドの塊が、如何に顔面偏差値がずば抜けているとしても、服装のセンスが壊滅的で、腐女子沼にどっぷり浸かった早瀬に連れられて、さっきの俺のように、女性同人誌コーナーを“市中引き回し”される屈辱に耐えられるはずがない。
再び、そんな目に遭わされるよりも、容姿では早瀬より少し劣っていても、普通以上のセンスと趣味を持った陽キャ女で妥協した方がマシだと判断する事は自明であろう……。
「……高坂くん? 『なるほど』って、何か分かったの?」
「――あ、い、いや! 何でもない。コッチの話でス、ハイ」
不思議そうな顔で俺を見る早瀬に、慌てて首を横に振る。早瀬は訝しげに首を傾げるが、ニコリと笑って言った。
「――だからね、ちょっとビックリしちゃって。高坂くんに『また会おう』って言って貰えて……結構、嬉しかったりもして……へへ」
「そ、そう?」
俺は、照れ笑いを浮かべた早瀬の顔を見て、思わず頬が熱くなるのを感じた。
と、彼女が突然両手を広げ――右手を差し出した。
そして、はにかんだような上目遣いで俺に言った。
「高坂くん、これからも――よろしくね。私、高坂くんと工藤くんが恋人同士になれるように頑張るから! いっしょに頑張ろうねっ!」
「ふえ……が、頑張るって……あ、ああ、ハイ――コチラコソ……」
一瞬、先程のアニメィトリックスの事が頭を過ぎったが、俺は首をブンブンと振って、その記憶を脳味噌から無理矢理追いやると、引きつり笑いを浮かべながら、彼女の柔らかい掌をしっかりと握ったのだった――。
今回の会話の中で出てきた『炎愛の極星』や、その同人誌『ふたりの宿命』は、別シリーズ『田中天狼のシリアスな日常』でも出てきました。
ですが、ふたつの作品が同一世界かどうかは、今のところ特に決めてません。
でも、作者の気が向いたら、天狼や水たちをこちらの方にも出すかもしれません(笑)。




