NO PAIN NO AGAIN
『もう答えが出てるんだと思いますよ』――。
糟賀さんの口から発せられたその言葉に、俺は思わず絶句する。
「い……いや……それは……」
「え? それっておかしくない?」
上手く声が出せない俺に変わるかのように、羽海が怪訝な顔をして口を挟んできた。
「愚兄がもう答えを出してるんだったら、お金も無いのに、何でわざわざこんな所まで、アンタなんかに相談しに来てるんだよ? 答えが分からないから、せっかくの休みを潰して、アンタみたいなエッチチャラ男に縋りに来てるんだろ?」
「エ、エッチチャラ男って……まあ、いいっスけど」
糟賀さんは、羽海の歯に衣着せぬ呼び方に、さすがに一瞬顔を引き攣らせたが、すぐに気を取り直したように、柔らかな笑みを浮かべて言う。
「――つうかね、お兄さん……ヒカルくんが分かってないのは、『答え』じゃなくて、『自分の心』なんすよ」
「……自分の、心――?」
「そうっス」
呆然と呟いた俺に、糟賀さんは小さく頷いた。
「ヒカルくんは、自分では気付いてないかもしれないっすけど、心の奥ではとっくに、もう自分がどうするべきか――どうしたいかが決まってるんすよ」
「……」
「……でも」
と、糟賀さんは苦笑を浮かべて言葉を続ける。
「ヒカルくんのメインの心……“人格”っていうか“表層意識”っていうか、そんなカンジのモン――それが、自分がそう思っているって事自体に気付いていない。……というか、そう考える事を無意識に“否定”しようとしてるんす」
「ひ、否定……?」
「そう。否定――それとも、“放棄”かな?」
……言われてる事が、良く分からない。
俺は、眉を顰めて首を傾げる。
「そ……そんな事は、無いと思います。他ならぬ自分の心の事は、自分自身が一番良く分かってるつもりですし……」
「――人間ってね、意外と自分自身の事が見えてないもんなんすよ」
そう言うと、糟賀さんは俺の顔を指さした。
「だって……現に今、ヒカルくんは、自分がどんな顔をしてるか見えてないでしょう?」
「え……?」
「もちろん、君だけじゃないっすよ。オレも、ウミちゃんも、――それどころか全ての人類は、何か映像を反射できるものを使わない限り、自分の顔だけは、絶対に見えないんすよ」
「ま、まあ、そりゃ、そうですけど……」
「それと同じっすよ。自分の心っていうのも」
当惑する俺に向かって、糟賀さんはニヤリと笑う。
「もちろん、心は自分の脳みその中だか胸の中だかにあるものなんで、自分にしか分からない部分が大半っす。――でも、自分から見えていない、気付いていない部分ってのも、確かにあるんです」
「気付いていない……部分……」
「だから、人は悩み事を他人に聞いてもらうんです。自分から見えない部分を、第三者の目線から見てもらう為に。――鏡で自分の顔を映すのと同じように、ね」
「……そっか」
糟賀さんの言葉は抽象的ではあったが、スッと胸に落ちた。
――そうか。
俺は、自分がどうしたらいいのか全然分からなくて、糟賀さんに会いに来たんじゃないんだ。
自分が薄々勘づいている事を、第三者からハッキリと指摘してもらって気付かせてもらう為に、ここに来たんだ――!
「そ……それじゃ――!」
俺は、テーブルの上に身を乗り出し、興奮に心臓を高鳴らせながら、声を上ずらせる。
「糟賀さんから見て、俺はどうしたいと考えていると思いますか? 諏訪先輩の告白を受けるべきか、それとも……一度フラれた早瀬に、もう一度――」
「――いやー。それは、オレの口からは言えないっすよ~」
「……へ?」
屋上に上がった途端、梯子を外されてしまったような気分で、俺は間の抜けた声を上げた。
「いや……。だって、さっき糟賀さんは、『自分からは見えない部分を見てもらう為に、悩み事を聞いてもらう』……って」
「うん。だから、聞いたじゃないっすか。ヒカルくんの抱えている悩みってのを。そして、気付かせてあげたじゃないっすか」
「だったら――」
「でも、答えを全部相手に委ねるのは違うっスよ」
糟賀さんは、じっと俺の目を見て、小さくかぶりを振った。
「だって、あくまでヒカルくんの恋の当事者は、君自身なんすから。最終的にどうするかは、オレの言葉なんかじゃなくて、君自身が見つけなきゃいけないっす」
「……で、でも――」
「おっといけない。もう、休憩終わりっすね、オレ」
なおも言い募ろうとする俺の声を遮って、糟賀さんはそう言うと、テーブルの上のコップを手に取り、一気に飲み干した。
そして、コップを手にしたまま席を立つと、俺と羽海に向かって、ひらひらと手を振ってみせる。
「……じゃ、オレはこの辺で失礼するっすね。……あ、オーダーの時は、そこのチャイムでお呼びくださいっす」
「ちょ、ちょっと待っ――」
「あ、ヒカルくん。最後にひとつだけ」
「――え?」
糟賀さんの声に目を丸くした俺に、彼は微笑みを向ける。
そして、優しい声で静かに言った。
「君は、もう少し自分に自信を持った方がいいっすよ」
「……あ」
――『ヒカルはさ、自分の事を過小評価しすぎだよ』
――『自信を持ちなさい、高坂くん。あなたにだって、工藤くんに負けないくらい、良い所がいっぱいあるの』
俺の頭の中に、いつか聞いた、シュウと諏訪先輩の言葉が蘇る。
「――そういえば、前にもそういう事を言われてたな、俺……」
「でしょ? 見てる人には分かるんすよ」
俺の呟きを聞き留めた糟賀さんが、得たりとばかりにサムズアップしてみせる。
「どうせ、そう言われてしばらくは自信を持ててたのに、ちょっとしたきっかけで、また自信喪失して……っていうのを繰り返してる感じなんでしょ?」
「う……そ、そうかもしれない……」
まるで見てきたかのような糟賀さんの的確な指摘に、俺は思わずたじろぐ。
そんな俺に、糟賀さんはウィンクしてみせながら言う。
「でも、そんなに自分を卑下する事も無いと思うっすよ、オレは。話を聞いている限りでも、君は充分に、人に好意を向けられるに足る人っすよ。……ねぇ、ウミちゃん?」
「ふぇ、ふぇっ?」
突然話を振られた羽海は、目を大きく見開き、頻りに口をパクパクさせていたが――やがて、顔を真っ赤にしてコクンと頷いた。
「ま……まぁ、そうね。何だかんだで優しいし、自分より他人の事を考えてる感じだし、切ったスイカを食べる時は、アタシに真ん中の方を譲ってくれたりするし……」
「……羽海――」
「……でも、基本オタクだし、しょっちゅうウジウジしてて辛気臭いし、大雑把で、きちんと片付けが出来ないし、人のシャンプーを勝手に使っても謝らないし、トイレに入ったら便座を上げたままで下げないし……」
……て、何か、マイナス面の方が項目多くね?
「――それに! アタシに黙って、しょっちゅうシュウちゃんとご飯食べに行ってるし! おんのれ、この愚兄ぃっ! たまには気を利かせて、アタシも一緒に連れてけよぉっ! ……お姉ちゃんは別にいいけどッ!」
「痛ぇっ!」
勝手にヒートアップした羽海に、思い切り頭をシバかれ、悲鳴を上げる俺。
「あっはっは、仲がいい兄妹っすねぇ。羨ましいっス」
「「どこがっ?」」
羽海に胸倉を掴まれた俺と、俺の胸倉を掴んだ羽海が同時に叫んだ。
そんな俺たちの抗議も馬耳東風の様子で、糟賀さんは爽やかな笑みを浮かべると、ポンと俺の肩を叩き、
「じゃ、恋に頑張って下さいっす。熱き血潮の若人よ……なんつって」
「……はい、頑張ります」
俺は、糟賀さんの笑みにぎこちない笑みを返しながら答える。
「おかげで、何となく、自分がどうしたいのかが分かってきたような気がします。……まだまだぼんやりとしてますけど。これから、さんざん悩んで、自分で答えを見つけようと思います。――今度こそ、悔いを残す事の無いように」
「その意気っす。ガンバレ、ヒカルくん!」
糟賀さんはそう言うと、白い歯を見せて笑い、サムズアップしてみせた。
「――ありがとうございました!」
俺は糟賀さんに向けて、深々と頭を下げた――。
◆ ◆ ◆ ◆
「……つうかさ」
と、羽海がチョコレートパフェのクリームをスプーンで掬いながら、ぼそりと言った。
「……ん?」
俺は、ドリンクバーコーナーから持って来た、昼飯代わりの氷をバリバリと噛み砕きながら答える。
「……さっきさ。あのエロチャラ男と話してた時さ」
「うん……」
「アンタ途中で、『自分の友達の話』って設定を完全に忘れて、自分の事として話してたじゃんよ」
「――あ」
「……」
「そういえば、忘れてた……」
「アホ愚兄」