愛と誠人
それから5分後――、
「お客様~! お待たせしました~!」
通路の向こうから素っ頓狂な声が聞こえてきたと思ったら、見覚えのある茶髪のお兄さん――糟賀さんが、こちらに向けて小走りでやって来て――俺たちの座るテーブルの前まで、見事なスライディング土下座を極めた。
そして、床に額を擦りつけんばかりに、深々と頭を下げる。
「この度はぁ、大変申し訳ございませんでしたぁ~!」
「わぁっ! ちょ、ちょっと!」
いきなり全力の謝罪をされて、俺は慌ててソファーから腰を浮かせる。
「いや、何でいきなり土下座? ちょ、止めて――」
「いや、ホントマジでスミマセンっす! ボクとしても他意は無かったんですが些細なボタンの掛け違いが彼女との間にクレバスの様な亀裂を生み出してはじめは小川くらいの幅だったのがいつしかそれが利根川くらいの大きな隔たりとなってしまいまして彼女と心が通わなくなってしまいそれが寂しかったボクはつい他の魅力的な女性にフラフラとそうまるで誘蛾灯に集まる蛾のように――」
俺の制止も聞かず、突然ペラペラペラペラと、立て板に水どころかナイアガラの大瀑布の様な勢いで言い訳を並べ立て始めた糟賀さん。
「ちょ! す、ストップストップ!」
俺は慌てて声をかけて、糟賀さんのマシンガン謝罪を必死で止める。
「さ、さっき、女性の店員さんにも言いましたけど、俺達は、そういう事であなたに会いに来たわけじゃないんです! 取りあえず、土下座止めて、普通に立って下さいお願いします!」
「……あ、そうなんっスか?」
俺の懇願がやっと届いたのか、頭を下げていた糟賀さんが、ひょこりと頭を上げた。
「なぁんだ。オレはてっきり、この前シュラバったアケミちゃんかエナちゃんかヒナコさんかヒマっちかモモカの家族が、クレームつけに乗り込んできたのかと思ったっす」
「……」
「いやぁ~、お客様も人が悪いっすよ。それならそうと、先に言ってくれればいいのに……」
「いや……こっちがそう言う前に、全身全霊を込めた焼き土下座かましてきたのはそちらじゃないですか……」
「あ、そうでしたっけ? ――って、あれぇ?」
俺の言葉に、締まりのない笑みを浮かべて頭を掻いていた糟賀さんだったが、ふと怪訝な表情を浮かべて首を傾げる。
そして、しげしげと俺の顔を見ると、ポンと手を打った。
「お客様は確か……この前、晴れ着姿の女の子と一緒に来てたカレシさんじゃないっすか?」
「いや……カレシじゃないんですけどね、前から……。っつーか、あの日で、あの子とは完全に縁が切れちゃいました……」
「あら? てっきり、あの後告るか告られるかして、夜の街でシッポリいったんだとばかり――」
「し、シッポリってなんですか! そ……そんな事し、してないです!」
い、いきなり何を言い出すんだ、この女ったらしは……!
俺は顔を真っ赤にして、ブンブンと首を横に振る。
そんな俺の反応を見た糟賀さんが、つと顔を曇らせた。
「……あ~、そうだったんすか。オレはてっきり……。あ、いや、それは失礼しましたっす」
「……いえ」
ぺこりと頭を下げる糟賀さんに、俺はぎこちなく首を横に振った。
――と、頭を上げた糟賀さんは、俺の向かいに座る羽海の顔をじーっと見つめる。
「……な、何です……か……?」
糟賀さんの視線に気付いた羽海が、僅かに身を捩った。
……ん?
羽海……お前、何だか顔が赤くないか?
「あの……そ、そんなに見られたら……は、恥ずいんですけど……」
……いやいや! 何だ羽海、その恥じらいの表情は? そんな顔、めったに……シュウの前くらいでしか見せねえだろ、お前!
顔だけイケメンに熱い目線を送られ、思わず“女”の表情を浮かべた妹を目の当たりにして、俺は驚愕する。
っつーか、糟賀さんも、人の妹に向かって、何熱い目線を送ってくれちゃってんだよ!
――そもそも、羽海はまだ12歳の小学六年生だぞ! 何を色目使って――!
「……いや~、やりますねぇ、カレシさん!」
と、羽海と糟賀さんの顔を見比べながら、ただただ動揺していた俺に顔を向けた糟賀さんが、その整った顔に爽やかな笑みを浮かべながら、力強くサムズアップしてきた。
そのジェスチャーの意味が解らず、俺は首を傾げる。
「……は? やりますね……って、何が……?」
「そりゃあ……」
俺の問いかけに、糟賀さんはウインクしながら言葉を続ける。
「この前のカノジョさんにフラれたと言いながら、早速新しいカノジョさんをキープ済みとは! なかなか隅に置けないじゃないっすか! ――まあちょっと、新しいカノジョさんの年齢が、倫理っつーか条例的にアレな気がしますが、愛に年齢はカンケー無いって事で――」
「ちょ、ちょっ! こ、コイツは違いますよっ! か、彼女なんかじゃなくって――!」
「だ、だだだだだだ誰がこんな愚兄のかかカノジョじゃこのボケが――ッ!」
慌てて否定しようとする俺よりも早く、顔をホオズキよりも真っ赤に染め上げた羽海が糟賀さんに向かって躍りかかる。
「お、わわっ?」
そして、彼の背中に飛び乗ると、その顎を両手で抱えるように掴み、思い切り引っ張り上げた。
「お……オ、オゥゴ――ォッ?」
今度は、怒りの羽海に渾身のキャメルクラッチを極められた糟賀さんの断末魔が、店内を騒然とさせるのであった――!