PHILOSOPHY in a Coffee Cup
「ふあ~、ごちそうさまぁ」
早瀬が、至福の表情を浮かべて、ナイフとフォークを皿の上に並べた。
そんな彼女を真っ正面から眺められる僥倖を得た俺も、至福に満ちた心地で、砂糖を三杯半と、コーヒーミルクを二匙入れたコーヒーを啜った。
と、
「――高坂くん、ごはん食べなくて大丈夫なの? お腹空いてない?」
紙ナプキンで口の回りのソースを拭きながら、早瀬が少し表情を曇らせながら訊いてきた。
俺は、そんな彼女に、弱々しい微笑みを向けながら言った。
「あ……ああ、大丈夫。……全然、ハラ減ってないから――」
そう言った瞬間、腹の虫が盛大に鳴って、俺は慌ててへその辺りを押さえた。
――幸い、その音は早瀬の耳までは届かなかったみたいだ。
俺は、空きっ腹を慰める為に、五杯目のコーヒーを胃へと流し込む。
「……」
「……」
まずい、会話が途切れた。
早瀬は、何故か忙しなくキョロキョロしながら、もぞもぞと身体を揺らしている。
当然、俺の方から振る話題も度胸もないので、俺と早瀬の間に、妙な沈黙が流れる。
……気まずい。
俺は、とにかく場を繋ごうと、コーヒーカップを口元に持っていくが、カップの中に何も入っていない事に気付く。どうやら、さっき飲み尽くしてしまったらしい……。
恥ずかしい思いを何とか胸の中で圧し殺し切り、涼しい顔を保ったまま、俺はコーヒーカップをソーサーの上に置いた。
……が、事態は何ら好転していない。
どうしよう……と、俺が秘かに途方に暮れていた時――、
「――お客様、終わったお皿をお下げ致します」
丁度良いタイミングで、通りがかった男性店員が皿を下げに来た。――ナイスタイミング! 俺は、心の中で店員さんに向けて親指を立てる。
すると、早瀬が突然立ち上がった。
「高坂くん。私、ドリンクバーのおかわりに行くから、高坂くんの分も持ってくるよ。何がいい?」
「え……ああ――」
彼女の問いかけに、俺は虚を衝かれて、キョロキョロとテーブルの上を見回し、空になったコーヒーカップに目を留めて、咄嗟に答えた。
「あ……コ――コーヒーで、お願いします……」
「あはは。高坂くんって、コーヒーが好きなんだねぇ。分かった!」
早瀬は、俺の答えに顔を綻ばせながら席を立ち、ドリンクバーの方へ歩いていく。
……本当は、コーヒーに飽きていた俺は、違うものを頼めば良かったと、少し後悔しながら、テーブルの上に目を落とし、空のコーヒーカップが残ったままなのに気が付いた。
あ、そうだ。おかわりなんだから、コーヒーカップを持っていってもらわないと……。
『ドリンクバーのカップは、おかわりの度に代える』っていう人も居るらしいが、俺は『ひとつのカップで何杯も注ぐ』派だ。だって、洗い物が増えて、店の人が大変じゃん。
……ケチとか貧乏性とか言うな。
なので、俺はカップを手に、早瀬の背中に向けて声をかけようとする。
――が、
「あ、お客様、そちらのカップもお下げしますね~」
テーブルの上の皿を下げていた茶髪のチャラい店員さんに、持ち上げたカップを取り上げられてしまった。
「――あ、あの! それ、まだ使うんですけど――」
「……お客様」
勝手にカップを奪われた俺は、思わずムッとして、店員さんに文句を言おうとするが、その言葉は途中で遮られた。
チャラ店員は、ニッコリと爽やかな笑みを浮かべると、俺に顔を近づけ、小声で囁きかけてきた。
「――お連れ様は、ドリンクバーじゃなくて、トイレに行ったんすよ。おかわりがどーのこーのっていうのは、カモフラっす」
「へ――?」
「……女の子の気持ちを察してあげなきゃダメっすよ、カレシさん。ここは、大人しく待っててあげて下さい」
「ファッ! か――カ……カレシ……サンッ?」
店員さんは、重ねた皿を両手に抱えながら、「どうぞ、ごゆっくり」と軽く一礼し、俺に向かって片目を瞑ってみせた。
だが、その時の俺は、そんなキザったらしい事この上ない店員さんの仕草にも全く気が付かず、彼の言葉に含まれた“カレシ”という単語に、心臓の鼓動を加速させつつ、意識を涅槃の彼方まで吹き飛ばされていたのだった。
◆ ◆ ◆ ◆
「ごめーん、高坂くん! 遅くなっちゃった」
「……はっ? あ――い、いや、全然! 全然待ってないよ! あは、アハハハハ!」
早瀬の声に、俺はやっと我に返り、バカみたいに笑って誤魔化した。……いや、別に嘘は言ってない。
店員さんの言葉に舞い上がった俺は、“幸せな想像”に浸りっぱなしで、早瀬を待つ時間など、ちっとも気に留めていなかったからだ。
早瀬は、小さなトレイに載せた新しいコーヒーカップを、俺の前に置いた。
真っ黒な液体で満ち、湯気を立てるコーヒーカップの横には、スティックシュガーと小さなコーヒーミルクのポーションがひとつずつ添えられている。
「ごめん、高坂くんがどのくらい砂糖とミルクを入れるのか分からなかったから、ひとつずつにしちゃった。足りなかったら持ってくるから――」
「あ! だ、大丈夫大丈夫! 一個ずつで全然オッケーっす!」
俺は、慌てて指でOKサインを作ると、砂糖とミルクをカップの中にぶち込み、かき混ぜた。黒一色だった液体が、くるくると回転しながら、焦げ茶色へと色を変えてゆく。
そんな俺の様子を見た早瀬は、「そっか、良かった~」と言って微笑むと、向かいの席へ腰を下ろした。
そして、持ってきたメロンソーダのストローを咥えながら、片手で傍らに置いたリュックを持ち上げて、その中に入っていたものを、次々とテーブルの上に並べはじめる。
……次々と取り出されるそれを目にした俺は、激しい既視感に襲われ、頭を抱えた。
――いや、あのリュックを背負って、その独特の重量と感触を感じながら、薄々察しはしていた……その予感は当たってほしくはなかったのだけれど……。
「じゃあ、これ! 高坂くんに貸してあげるねっ!」
満面の笑みを湛えながら、早瀬が両手を広げて指し示したのは、その悉くが……さっき、嫌になる程見た、耽美なふたりのキャラが妖しく絡み合っている姿が描かれた、女性同人誌だった――。
今回のサブタイトル、『PHILOSOPHY in a Coffee Cup』は、テレビアニメ『トライガン』のBGM『PHILOSOPHY in a Tea Cup』から取りました。
トライガンのBGMは、オープニングの『H.T』をはじめとして名曲揃いなので、是非とも聴いてみて下さい。