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その日タイムリミット

 「……」


 小田原が立ち去った後、部室に戻ろうと、引き戸の取っ手に指をかけた俺だったが――そのまま金縛りに遭ったかのように、微動だに出来なかった。


 ――怖い。


 中に入ったら最後、諏訪先輩と一対一で対峙する事になる。俺が仲立ちした小田原に、突然告白され、それを断った直後の諏訪先輩である――どう楽観的に考えても、怒っているのは間違いない。

 まあ、怒りのレベルでも、様々なレベルがあるのだが、諏訪先輩の場合、ウチの羽海あたりとは違って、どこが怒りのマックスレベルなのか自体が分かり辛いのだ。

 だが、今回の件は、今までとは比べ物にならないレベルで、先輩の機嫌を損ねているに違いない――それだけは断言できる。


「……先輩がガチギレしたら、どうなるんだろう――」


 俺はそこまで言いかけると、ブルリと身を震わせた。

 冷え切った廊下に長時間立ち続けていた――からではなく、『ガチギレした諏訪先輩の図』を少し想像しただけで背筋が凍ったからだ。


「……帰りてぇ」


 俺は、思わず弱音を吐く。

 ――実際、本当に身体が回れ右をしかけたが、部室の中にカバンとコートを置いたままだった事を思い出し、絶望の溜息を吐く。

 カバンはともかく、この1月の寒空の中をコート無しで帰るのは、さすがに命の危機を感じざるを得ない。


「……はぁ~……」


 観念した俺は、大きく息を吐いて、覚悟と決意を固めると、ゆっくりと建付けの悪い引き戸をこじ開けた。


 ――カタタタッ! カタッ! カタタタタッ! ガダダダダッ!


 ……やべえ。

 怒ってるよ。これは確実に怒ってる。

 だって、いつものタイピング音じゃないもん。もれなく後ろに『!』付いてるし、濁点が付くほどの強さで、キーボードに何かの思いをぶつけてる……。


「……お……お疲れ様……です……」

「……」


 ガダダダダッ! ガダダダッ! ガダダダダダダダダッ!


 諏訪先輩からの返答はなく、その代わりに、一層激しくなったキータッチ音が、俺の耳朶と心を痛いほどに打つ。


「……」


 俺は、背中に冷たい汗が伝うのを感じながら、取り敢えず椅子に掛けようと、いつもの位置――諏訪先輩の隣のパイプ椅子を引いた。

 ――その途端、


「……高坂くん、ソッチ!」


 氷の矢のような諏訪先輩の鋭い声が、俺を突き刺す。


「――ひゃ、ヒャイッ!」


 俺は、電撃に打たれたかのように直立不動になって、悲鳴のような返事をする。

 そして、恐る恐る諏訪先輩の様子を窺うと、タブレットの画面を見据えたままの彼女が指を伸ばして、自分の真正面の席を指さしているのが見えた。

 俺は、目をパチクリさせつつ、おずおずと尋ねてみる。


「あ……あの~……きょ、今日は、そこに座れ、と――」

「他にどんな解釈が出来るのかしら?」


 取り付く島もない諏訪先輩の冷たい声に、俺は顔面の血の気が引くのを感じながら小さく頷いた。そして彼女の言う通り、先輩の真向かいのパイプ椅子を引いて、ちょこんと座った。


「……」

「……」


 小さな部室に、緊張の糸がまるで蜘蛛の巣のように、縦横無尽に張り巡らされているようだった。ついでに、俺の座るパイプ椅子の座面には、まるでアイアン・メイデンの内部のような細長い針が何本も生えていて、俺の身体をまっすぐに刺し貫いているかの様な錯覚を覚える――。

 ――その時、


「……高坂くん」


 キーボードを打つ手は止めぬまま、諏訪先輩が低い声で俺の名を呼んだ。

 俺は、身体をびくりと震わせてから、まるで電池が切れかけたロボットの様な動きで「は……はひ……」と頷いた。

 と、諏訪先輩がタブレットに向けていた視線をずらし、俺の顔を上目遣いで睨んだ。――美人が見せる本気(ガチ)の睨み顔は、何とも言えない凄みがある……コレ、豆知識である。

 正に蛇に睨まれた蛙の様に、俺が身体を硬直させていると、先輩は溜息交じりに言った。


「……知ってたの? 彼――小田原くんの事……?」

「……は、はい。まあ……はい……」


 諏訪先輩の問いかけに、生きた心地もせぬまま答える俺。

 俺の返事を聞いた諏訪先輩は、「ふーん……」と息を漏らした。そして、その形のいい眉を顰めると、更に問いを重ねる。


「で……、私の気持ち――は、もう知ってるわよね?」

「――はい、もちろん……」


 もう気分は赤べこだ。俺は折れよとばかりに、何度も首を縦に振る。

 俺の答えを聞いた諏訪先輩は、ひときわ大きな溜息を吐くと、ジト目で俺を見据えながら、低い声で言葉を継いだ。


「じゃあ、何で? 何であの小田原くんに、望みの無い告白なんてさせたの、あなた……?」

「それは……」


 諏訪先輩の問いかけに、俺は思わず言い淀んだ。

 俺の躊躇いを見た先輩の目が、一層険しさを増す。


「ひょっとして、あなた……彼の事が好きじゃないから、私に告白させて恥をかかせようとか――」

「そ……そんなんじゃないですよ!」


 諏訪先輩の類推に、俺は思わずカッとして声を荒げてしまった。

 俺が怒鳴った事に、諏訪先輩は驚いて目を丸くし――、深く頭を下げた。


「……そうね。さすがに、そんなにひどい事はしないわよね……。ごめんなさい、高坂くん。つい、酷い事を言ってしまって……」

「あ……い、いえ……大丈夫っす……」


 神妙な表情で謝る諏訪先輩に、俺は慌てて言った。

 ――と、顔を上げた諏訪先輩は、訝しげな様子で首を傾げる。


「じゃ……じゃあ、何で……? 何で、彼に――」

「それは……同じだったんです」

「……同じ?」

「そうです。――俺や諏訪先輩と……」

「あ……」

「小田原は、本気で先輩の事が好きだったようです。そして、どんな結果になろうとも、想いを告げると言っていました。――それって同じですよね? 早瀬に告白した俺や、俺に……告白してくれた諏訪先輩と……」

「……うん」


 俺の言葉に、諏訪先輩は微かに頬を染めて頷いた。


「確かに、そうね……。そうか……だから――彼に告白の機会を与えて、彼自身に吹っ切れさせようと……」

「はい」


 諏訪先輩の呟きに、俺は頷き返した。


「こればっかりは、俺やシュウがいくら言ってもダメですし……。だから、敢えて小田原本人に告白させて、玉砕させて自分で踏ん切りをつけさせようと思ったんです」

「でも……良かったのかしら、それで……」

「多分――大丈夫です。さっき、廊下でアイツと話しましたが、スッキリした顔してましたよ」


 そう言って、俺は微笑みを浮かべてみせた。

 それにつられたように、先輩の顔も綻ぶ。――が、すぐに、仏頂面に戻ってしまう。


「でも……それならそうと、事前に言っておいてくれれば良かったのに……」

「あ……すみません」


 微妙にご機嫌が斜めった様子の諏訪先輩に、俺は慌てて頭を下げる。


「でも……何か、事前に先輩に言ってしまうのは、さすがにアイツにひどいかなと思ってしまって……」

「……はぁ、もういいわ……」


 諏訪先輩は、釈明する俺の顔をジト目で睨んだ。

 そして、おもむろに両手を頭上で組んで、「んん~っ」と息を吐きながら、大きく伸びをする。

 ――と、彼女は伸びをした体勢のままで、ジッと俺の目を見つめ、


「――ねえ、高坂くん」


 と、いつものような調子で、俺の名を呼んだ。


「あ……はい」


 いつもの先輩に戻った事に、心中密かに安堵しながら、俺は返事をする。

 すると、先輩は手を組んだまま机の上に置き、


「――あなた、甘いのと苦いの、どっちが好きかしら?」


 と、奇妙な質問をしてきた。


「へ……?」


 質問の内容が分からず、思わず首を傾げてしまう俺。

 そんな俺に諏訪先輩は、悪戯っぽく眼鏡の奥の瞳を輝かせながら、こう言った。


「甘いか苦いかって言ったら、ひとつしか無いでしょ? チョコレートよ」

「あ……ちょ、チョコっすか」

「そう。甘いチョコレートと苦いチョコレート……どっちが好き?」


 机の向こうから身を乗り出さんばかりの勢いで訊いてくる、諏訪先輩のに圧されながら、俺は訊かれたまま答える。


「え……ええと、やっぱり、甘い方ですかね……?」

「やっぱり、そうよね。高坂くん、コーヒーも甘い方が好きだものね」


 俺の答えに、深く納得したように、ウンウンと頷く諏訪先輩。

 そんな先輩の様子に、逆に首を傾げながら、俺は訊き返す。


「な……何ですか、急に……? 何でいきなりチョコレートの事なんか……?」

「あら、まだ分からない?」


 訝しげに訊く俺に、諏訪先輩は目をパチクリさせる。……何だか、俺がまだピンときていない事に、素で驚いているようだ。

 そして、僅かに頬を赤くしながら、そっと言った。


「……今の時期に、チョコレートが絡む事なんて、ひとつしか無いでしょ?」

「――あ!」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の脳裏にひとつの単語が浮かんだ。生まれてこの方、縁が無さ過ぎて、脳内で存在を消去(デリート)してしまった、あの――チョコレート会社の仕掛ける、卑劣極まる陰キャの人権蹂躙ジェノサイド・デイを!


「ち……“血のバレンタイン”ッ!」

「何で、“血の”なんて物騒な枕詞が付くのよ……」


 諏訪先輩は、呆れたように言った。

 だが、俺はそんな事にも構わず、興奮で顔を真っ赤に染め上げながら尋ねる。


「ば……バレンタインって……! そ、それじゃ……?」

「……うん」


 はにかむような笑みを浮かべて、諏訪先輩が小さく頷いた。


「来月の14日……、甘いチョコレートを作ってくるわ」

「ふぉ――っ!」


 俺は興奮のあまり、脳天のてっぺんから突き抜けるような歓喜の奇声を上げる。


 ありがとう、バレンタインデー! 俺、今までお前の事を誤解してたよ! 阿鼻叫喚の『陰キャ撲滅最終審判日(ハルマゲドン・ディ)』だとか言っちゃって本当にゴメンなっ!


 ――が、


「――ただし!」

「ふぉー……っ?」


 すかさず掌を向けて、浮かれまくる俺を制止した諏訪先輩。

 彼女は、真剣な表情を浮かべて言葉を紡ぐ。


「ひとつ、条件があります」

「じょ……条件……?」


 ただならぬ先輩の圧に、俺は思わず固唾を呑む。

 そんな俺の瞳を、その黒い瞳で真っ直ぐに見据えながら、諏訪先輩は静かに――そして断固とした決意を込めた言葉を、俺にぶつけた。


「条件は――バレンタインまでに、あの日の告白の最終的な答えを聞かせてくれる事。――しっかり考えた末にあなたが出した、最終的な結論を……ね」

 今回のサブタイトルの元ネタは、LONG SHOT PARTYの名曲『あの日タイムマシン』からです。

『夏目友人帳』のOPですね。


 さて、次回からは遂に最終章突入となります……多分。

 どこかの銀魂みたいに、終わる終わる詐欺にならない様、頑張ります!

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