THE・二名様
「いやいや~、大漁大漁~♪」
テーブルの向かいで、ホクホク顔の早瀬が声を弾ませる。
――結局、あれからたっぷり二時間近くもかけて、早瀬が『俺がシュウをオトす為の資料集め』と称した女性同人誌探しに付き合わされた俺。
寄り添うふたりの男性キャラのイラストが視界のどこかに必ず入ってくるという、完全アウェイの環境下で、周りの女性客からの奇妙なモノを見るような、訝しみに満ちた視線に曝され続けた俺の精神力ゲージは、とっくの昔に空になっていた。
だから、ようやく早瀬の買い物が終わってから入った、駅近くのファミレスのテーブル席に腰を下ろした俺は、心底ホッとした。
――と、女の子とふたりで歩くという事と、他に男が全く居ない女性同人誌コーナーをウロウロさせられた事で、すっかり喉がカラカラになっていた事に気付いた俺は、一目散にドリンクバーに直行し、セルフサービスの水を立て続けに三杯呷って、喉を潤す。
「ふう……美味し美味し」
乾ききった身体と思考が一気に潤い、俺は生気を取り戻した。
不思議だ……。何の変哲もない水のはずなのに、いつも飲むコーラやサイダーの何倍も美味しく感じられる――。
俺は、ドリンクバーの前で恍惚に満ちた表情を浮かべて立ち尽くしていたが、背後でわざとらしい咳払いが聞こえて、我に返った。
「あ……スイマセン……」
空のグラスを手に、憮然とした表情で後ろに立っていた背広姿のおっさんに慌てて頭を下げ、俺はもうひとつ新しいグラスを手に取り、ふたつのグラスにそれぞれ水を入れる。
両手に持ったグラスになみなみと注いだ水を溢さないように、俺はゆっくりと歩き、店の一番奥のテーブルまで持っていく。
テーブルいっぱいに広げられた、薄い本の山の僅かな隙間にグラスをひとつ置いて、俺は彼女に声をかける。
「――はい、早瀬さん。水どうぞ」
「……あ! ありがとー、高坂くん」
同人誌を包むビニール――確か、シュリンクとか言ったっけ……を次々と剥がし、夢中で中を検めていた早瀬が、顔を上げてニコリと微笑った。
……うーん、笑顔は可愛いんだけど。さすがに、公共の場で同人誌を貪り読むのはちょっとなあ……。
そう思いつつ、俺は早瀬の向かいの席に座る。
そして、壁際のスタンドに立てかけられたメニューを手に取り、早瀬と同じように、ページを捲った。
――と、
「わあ♪ ね、高坂くん、見て見て! めっちゃキレイじゃない? この見開き!」
早瀬が嬌声を上げながら、目をキラキラ輝かせ、テーブルから身を乗り出してくる。そして、俺に開いた同人誌のページを見せてくる。
「……う、うん、そ――そう……だね……」
目の前に、きつく抱擁し合ったふたりの美青年がディープキスする絵を突きつけられた俺は、顔を強ばらせつつも、何とか口の端に笑みを浮かべて、小さく頷いてみせる。
俺の反応に、「だよね!」と、満面の笑みを浮かべる早瀬。
――だが、不純な印刷物を前に、純な興奮を隠さない彼女に、俺は声を顰めて言った。
「……でも、そういう本は、あんまりこういう場所で開かない方がいいと思う――です、ハイ……」
俺の言葉に、一瞬キョトンとした顔を見せた早瀬だったが、ハッと表情を変えると、キョロキョロと周りを見回し――小さく頷いた。
「……そうだね、――高坂くんの言う通りだ」
彼女は、心なしかショボンとした様子で、テーブルの上に広げた同人誌を重ねると、アニメィトリックスの紙袋に詰め込んで自分の席の端に置いて、小声で「……ゴメン」と囁いた。
そんな早瀬に、俺は慌てて声をかける。
「あ――いやいや! そんなに気にしないで大丈夫だよ! ここ、一番奥だから、周りに客も居ないしさ!」
そうなのだ。
俺たちふたりが、このファミレスに入店した時に応対した店員は、明らかにたじろいだ様子を見せた。そして、少し考えた後、俺たちを案内したのが、この一番奥まった席だったのだ。――他の席は、いくらでも空いていたのに。
まあ、そのおかげで、早瀬が戦利品の同人誌をテーブルいっぱいに広げても、本の内容に興奮して嬌声を上げても、他の客の迷惑にはならなかったのは幸いだった。
さすが、ファミレスの店員さん。事前にこうなるのを予測して、俺たちをこの席に……って、
――いや、違くね?
俺の目は、向かいの早瀬の胸に釘付けになっていた……って、あ、いや! け――決して、そ、そういう事でじゃないぞ!
別に、早瀬の胸が少しだけ慎ましいなあとか、でも可愛いなあとか、貧乳も全然アリだなぁとか……て、何言わすねぇんッ!
俺が言いたいのは、彼女のシャツの柄の事ッ!
そう、例の臓物柄Tシャツだ。
……そして――俺は視線を下に向けて、自分が着ている格好を見る。核戦争勃発後の荒れ果てた世界で火炎放射器を振り回していた方が相応しそうな、イカれた自分の格好を――。
――あの時、店員がギョッとした顔をしたのは、俺たちの出で立ちを見たからなのだ。
そんな、怪しさ純度100パーセントのふたりの男女が、更に、耽美な缶バッジをジャラジャラ付けたリュックサックと、きわどい水着で微笑みかけるアニメキャラがプリントされた紙袋を両手に提げているのを見たらどう思うか――。
(……そういう事かあ)
大体察した俺は、思わず頭を抱える。
――さっきの店員は、俺たちふたりの姿を見て、『なにコイツら、ヤベえの来た……』と感じ、こう判断したわけだ。即ち、
『……このふたりが店の外から見えたら、ヤバい店認定されて、客が寄りつかなくなるんじゃないだろうか。……いや、それだけじゃなく、店内のお客様も出て行きかねないかも――』
――ってね。
それで、出来るだけ目立たない席に、俺たちを押し込んだのだ――一番奥まった場所で、窓際でもない、この席に。
その事に気付いた俺は、はぁあ~……と、特大の溜息を吐き、心の中で呟いた。
(店員さん、結果的にグッジョブ……)
――と。