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乾いたキズ

 「あの……あの時の――初詣に行った日の……公園での事なんだけど……」

「……ッ!」


 諏訪先輩の口から、その言葉が漏れた瞬間、俺の息は一瞬止まる。

 ――当然、どこかの瞬間で、この話題が出る事は分かっていた。出ない方がおかしい。

 もちろん、俺はそれを事前に想定し、いつ話題が俎上に乗っても冷静に対処できるよう覚悟していた――のだが、あまりにいつもと変わらぬ様子の諏訪先輩を前にしている内に、いつの間にか緊張感が緩んでしまっていたようだ……。

 無意識にガードを下ろしてしまっていた俺に突き刺さったその一言は、正に蜂の一刺しだった。

 さっき、諏訪先輩の膝頭が目に入った時とはまた別の理由で、俺の心臓はドラムロールのような音を立て始める。

 俺は、大いに狼狽えながらも、カクンカクンと、ぎこちなく首を上下に振しながら返事をする。


「あ……は、はひ……はぃ……」

「……あの……あの、ね。……あの……あの時の……こ事は……ええと……」


 ――不審過ぎる反応(リアクション)を見せるのは、俺だけじゃなかった。

 諏訪先輩もまた、その白い頬どころか、形のいい耳の先までもを真っ赤にして、その顔を俯かせながら、たどたどしく言葉を紡ぐ。


「……あの時の――『月が綺麗ですね』……、あれは間違いなく……()()()()()()だから……うん」

「あ……」


 その言葉を聞いた瞬間、心臓が肋骨を突き破って出てきそうだった。餌が投げ込まれるのを待つ金魚よろしく、口をパクパクと開閉させている俺の顔は、多分出目金よりも真っ赤だろう。

 俺は、コクコクというよりは、ガッグンガッグンという擬音の方が相応しい動きで頷きながら、必死で声帯を動かす。


「は……ハイ……わ、分かってマスデス、ハぃ……」


 ……駄目だ。すっかり声帯が麻痺してしまって、片言の異星人みたいな発音しか出てこない。

 だが、諏訪先輩も、俺の怪しげな反応にツッコむ余裕も無い様だ。

 先輩は落ち着かない様子で、前に垂れた髪を耳にかけながら頷き返す。


「そ……そう……。なら……うん」


 そこまで言うと、先輩は口をすぼめて、細く長い息を吐いた。

 そして息を吐き切ると、ゆっくりと顔を上げて、俺の目を真正面から見据えてくる。


「――あ……ッ」

「ダメ……。目を、逸らさないで。……大事な事を、言うから」

「――!」


 反射的に視線から逃れようとする俺の動きに先んじて、諏訪先輩が釘を刺す。その言葉に、真剣な響きが含まれているのを感じて、俺は目を逸らすのを止めた。

 おずおずと、それでもしっかりと、諏訪先輩の黒い瞳を正面から見返す。


「……すみません。もう、大丈夫です。――何でしょう……?」

「――うん」


 俺の声に、先輩は小さく頷き、そして口を開く。


「あの公園で……私は、あなたに――こ、告白をした訳だけれど……」

「は……はい……そうですね……」

「……今は別に、返事はしなくても……いいから」

「は……はぃ……ぃいっ?」


 先輩の言葉に頷きかけた俺だったが、その予想外の内容に、思わず素っ頓狂な声を上げた。


「え? へ、返事しなくていいって……どういう意味ですか、それ?」

「……どういう意味も何も、そのままの意味だけど」


 目をパチクリさせながら問い直す俺に、諏訪先輩は僅かに首を傾げて答える。


「……あの時、私があなたに伝えた気持ちは……本物。それは確かよ」

「……」

「でも……だからといって、()()()あなたとどうこうなりたいって訳でもないの」


 先輩はそこまで言うと、机の上に手を伸ばし、置かれていたマグカップを手に取った。マグカップの中で微かな湯気を立てるブラックコーヒーを一口啜って、小さく息を吐いてから、言葉を継ぐ。


「あれはあくまで、私自身の気持ちにケリをつける為――秘めた想いを拗らせて()()()になっちゃう前に、ハッキリと相手に想いを告げて、スッキリ()()しようと思って言った事なの」

「! ……それは、まるで――」

「――そう」


 言葉の意味を察した俺に、諏訪先輩は、はにかみ笑いを向けながら、俺の手の中にある原稿用紙を指さした。


「その――最終プロットの『愛辛』のアカリの行動と同じね。そして……あの日、ミックで高坂くんが言っていた言葉とも……ね」

「……」

「だからね。あれは、高坂くんの気持ちなんか無視して、私が私の心の為に勝手にした事。いわば、単なる私のエゴの発露だから、高坂くんに、必ずしも返事をする義務は無いし、私から返事を求める筋合いも無いものなの」

「え……? そ、そんな事は……」

「――でもね」


 諏訪先輩は、俺の声を途中で遮り、心なしか眼鏡の奥の瞳を潤ませながら、言葉を継ぐ。


「やっぱり……出来れば、高坂くんの口から、ちゃんとした返事が聞きたい。――そう思ってしまう自分もいるの。そうでないと、この『愛辛』のアカリのように、前を向いて未来に進めない。――たとえ、あなたの答えが、私の期待するものとは違っているとしても――」

「……同じですね」

「え……?」


 今度は、俺が諏訪先輩の言葉を遮る番だった。

 キョトンとした顔を見せる諏訪先輩に、俺は苦笑いを浮かべながら言った。


「その、諏訪先輩の気持ち、俺には良く分かります。だって、同じだから。――ダメだと分かり切っていて、それでも早瀬に告白しようとしていた、この前までの俺と」

「あ……」


 俺の言葉に、諏訪先輩がハッとした顔をする。

 そんな彼女に、俺は「でも……」と、頭を下げた。


「すみません……。それでも、返事を伝えるのは、もう少し待ってもらえますか? ……正直、まだ早瀬の事を引きずってしまっていて、完全に吹っ切るには、もう少し時間が必要みたいなんです。……気持ちが落ち着いてから、先輩との事はしっかりと考えたい――」

「……分かってる」


 俺の懇願に、諏訪先輩は神妙な表情を浮かべて、コクンと頷いた。


「そうよね……。まだ、クリスマスイブから、二週間くらいしか経ってないものね……」

「……いや」


 先輩の言葉に、俺は首を横に振った。心に開いた生乾きの傷口から、再び血が噴き出すのを感じながら。


「実は……一昨日、早瀬と会ったんです。借りていた物を返す為――そして、俺の恋を、完全に終わらせる為に……」

「……そう、だったの……」


 弱々しい微笑を浮かべながら語る俺を前に、諏訪先輩の表情が曇る。

 そして、躊躇いがちに俺に尋ねた。


「それで……終わらせられた? あなたの……恋」

「……はい」


 先輩の問いかけに、俺は小さく首を縦に振り、答える。


「終わりました――完全に」

「……そっか」

「でも……さすがに、一昨日の今日なので、まだ立ち直るには程遠いですね……。だから――返事するまでに、少し時間を下さい。この心の傷が、乾くまで――」


 そう言って、俺は深々と頭を下げた。

 そんな、俺のお願いに対し、先輩は静かに答えた。、


「――うん。待ってる」


 ――と。

 そして、その声を聞いて顔を上げた俺に諏訪先輩は、更に言葉をかける。


「待ってるから、高坂くんはじっくりと考えて。自分がどうしたいのか……。そして、自分が一番納得できる答えが解ったら――」


 そして、彼女は柔らかな笑みを俺に見せ、優しい声で言ったのだった。


「私の告白に対する返事を、必ず教えて。――お願いね」

 今回のサブタイトルの元ネタは、Mr.Childrenの『渇いたKiss』からです。

 本気で想っていた彼女と別れた男が抱く、愛憎交じる複雑な心境を描いた切ない歌です。

 失恋して間もない、今のヒカルの心情に近いかもしれませんね。

 是非とも一度聴いてみてください。

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