KNOCKIN' ON HER DOOR
「はぁ……」
部室棟2階の一番奥の部屋――文芸部の部室の前で、俺は大きな溜息を吐いた。
「気まずいなぁ……。どんな顔をして会えばいいんだよ……」
思わず、愚痴めいた言葉が口から漏れる。
俺がこの立て付けの悪い引き戸を開けるのに躊躇する理由は、言うまでも無く、既に部室の中に居るに違いない、諏訪先輩と顔を合わせる事に抵抗を覚えているからである。
『――月が、綺麗ですね』
「――ッ!」
突然脳裏に、あの時――日が沈んだ公園の中で、諏訪先輩が俺に向かって言った言葉と表情がリバイバル再生され、俺は心臓と頬が火照るのを感じた。
俺が、女性……しかも、諏訪先輩に想いを寄せられる日が本当に来るとは、あの日のあの瞬間まで、思ってもみなかった。
正直、今でも信じられない……。
「つうか、俺、本当に諏訪先輩に告白されたんだよな……?」
考えれば考える程、直にこの耳で聞き、この目で見たはずのシーンが、本当は夢か妄想か何かだったのではないかと思ってしまう……。
「実は白昼夢でした……って、そんな訳無いもんなぁ……」
俺はそう独り言ち、思わず苦笑を漏らした。
とはいえ、あの出来事は、紛れもない事実だった。それは、俺の五感で感じた全てが力強く証明してくれている。
でも……だからこそ、これから諏訪先輩と顔を合わせる事が気まずい……。
――ふと、ある考えが頭を過ぎった。
「……帰っちゃおうかな?」
何だか、今日は踏ん切りがつかない。
た……多分、今日は短縮授業で、いつもより早い時間にここに来た事で、俺の中の体内時計だか腹時計だかのペース的な何かが乱れてしまって、正常なアレがナニしてあんな感じで結果にコミットした結果、調子が乗らないんだろううんそうだそうに違いない……知らんけど。
「……よし、今日のところは、このくらいで勘弁しておいてやろう!」
俺は、誰もいない虚空に向けて、某新喜劇のチンピラのような捨て台詞を吐き、クルリと振り返る。
――いや、やっぱムリ! ま……まだ、諏訪先輩と顔を突き合わせる心の準備が出来てない!
ま……また明日来よう!
明日までには、平常心を取り戻せるはず……いや、絶対取り戻す!
――多分取り戻せる。
……取り戻せるんじゃないかな?
……もしも、明日になっても取り戻せなかったら……その時は、明後日の俺に託す!
と、部室の扉に背を向けてモヤモヤモヤモヤ考えていた、その時――、
『な……何故なら、ボクが彼女の事を、心から愛してしまったからだッ!』
ついさっき、中庭で小田原が言い放った魂の叫びが、俺の脳裏を稲妻の様に過ぎった。
帰る為に踏み出そうとしていた脚が、ピタリと止まった。
――そうだ。アイツの件もあるんだった……。
一時は、心の小宇宙を燃え上がらせ、すぐにでも諏訪先輩にアタックしに行こうとしていた小田原だったが、結局、今日は断念した。
と言っても、時間が経って頭が冷えたとかではなく、単純に準備不足だったからだ――そう、諏訪先輩に想いを伝える為の、である。
――もっとも、本人的には、準備万端整えてきたつもりだったのだが(朝、俺達の前に姿を現した時の、自爆した鬼〇隊員の欠片を掻き集めて繋ぎ合わせ、無〇様の血で中途半端に復活させたような、あのチグハグな格好の事だ)、ウチの担任の熱い生徒指導によって、羽をむしられた鶏のような格好にされてしまった為、改めて身なりを整えてからにしようという事にしたのだ。
……っつーか、小田原のヤツ、あの格好で諏訪先輩に告るつもりだったのかよ……。
改めて、朝の小田原の格好を思い出した俺は、思わず苦笑を浮かべる。――が、すぐに、笑っている場合じゃないと、緩んだ表情筋を引き締めた。
あの意気込みだ。今日は決行には到らなかったが、準備を整えた上で、明日こそは確実に目的を果たしに来るだろう。……今日よりはマトモな格好をしてきてくれればいいのだが――。
今日、俺に課された使命は、諏訪先輩にそれとなく話をしておく事だ。――もちろん、「小田原が告白しに来る」とド正直に伝える訳にはいかないから、
「星鳴ソラの大ファンである小田原が、是非一度ゆっくりと会いたいと言っている」
とでも言った上で、明日の事をそれとなく匂わせておく――そういう役目だ。
それを伝える為には――やっぱり、直接顔を合わせないと……。そう考えると、キリキリと音を立てて胃が痛んだ。
「……はぁ~」
俺は、部室に背を向けたまま、大きく溜息を吐く。
――その時、
「――どうしたの、高坂くん? そんな大きな溜息を吐いて」
「ふぁ……ファ――ッ?」
突然、背後から声をかけられ、俺は思わず仰天して、床から10センチばかりも飛び上がった。
「え――?」
慌てて、クルリと部室の方に振り返ると、
「な……何? どうしたのよ、変な声を出して……」
半分ほど開いた引き戸の隙間から、諏訪先輩が訝しげな表情を浮かべて、こちらを覗いていた。
「あ……その……ええと……」
振り向いた俺は、四方八方に目を泳がせ、呼吸困難の鯉のように口をパクパクさせる。
「あ、あの……い……いつから後ろに……?」
「……何か、『勘弁しといてやろう』とか何とかかんとか言ってた辺りから? ……何か、その前からブツブツ言ってる声が聞こえてたから、ちょっと怖かったわよ。……この建物、古いし」
「あ……、すみません……」
俺は、諏訪先輩の言葉に恐縮して、ペコリと頭を下げた。
「……」
「……」
「……」
「……」
俺と先輩の間に、気まずい空気が垂れ込める。
「……」
俺は顔を伏せたまま目だけを動かし、恐る恐る諏訪先輩の様子を窺う。……だが、部室の窓から射す日光が逆光となって、その顔が影になって見えない。
俺は、もう少し良く先輩の顔を見ようと、顔と視線を上げた。――と、その時、ガラガラと音を立てて引き戸が全開になり、
「うおっ、眩しッ!」
そのせいで、俺の顔面に、窓から射す太陽光線が直撃する。
「うわああっ! 目が! 目がぁああっ!」
強烈な目潰しを食らった俺は、思わず両手で目を覆い、悶絶する。
「……何やってんのよ、ム〇カ大佐」
「……あ、え? あ、はい……」
諏訪先輩に想定外にツッコまれた俺は、意表を衝かれて、素で答えてしまう。
つうか、“〇スカ大佐”って……『ラピ〇タ』ネタ分かるのかよ、諏訪先輩……!
そんな俺をジト目で見ながら、諏訪先輩は俺を手招きした。
「もう……、ふざけてないで、早く部室に入りなさい」
「あ……はい……」
諏訪先輩に見つけられ、すっかり逃げ出すタイミングを逃してしまった俺の脳内には、もの悲しい『ドナドナ』が流れ続けていた……。