ショウマの奇妙な相談
放課後――、
帰りのホームルームが終わった瞬間、俺とシュウはカバンを引っ掴むと、休み時間に打ち合わせしていた通り、一目散に教室を飛び出した。
「あ――! ちょ、コーサカ氏! クドー氏……!」
教室と廊下を隔てる壁の向こうから、俺たちを呼び止めようとする声が聴こえたが、それに振り向きもせず、脱兎の如き勢いで廊下を疾走する。
「おい! 廊下は走るなっ!」
ウチのクラスと同様、帰りのホームルームを終えたらしいC組のドアから、C組担任の室賀先生が顔を出し、俺たちを怒鳴りつける。
「「サーセンッ!」」
俺とシュウは一旦立ち止まると、くるりと振り向いて、形ばかりに頭を下げる。
「――じゃ、そういう事でっ!」
「あ、おい!」
申し訳ないが、先生の言う事を大人しく聞く訳にはいかない。うかうかしてたら、教室で出し抜いたはずの小田原に追いつかれてしまう。
どうやら、奴は俺に何か相談があるようだが、俺は俺で、シュウに是非とも相談したい事があるんだ――諏訪先輩の件で。
至急を要する内容なので、小田原には悪いが、今日は勘弁してほしいところだ。
俺は、傍らのシュウに目配せすると、素早く身を翻――そうとした間際、
「……あ」
見てしまった。
丁度、室賀先生の後ろから、帰り支度を整えて教室を出てきた、俯き加減の早瀬の姿を……。
そして、彼女を見留めた俺が、思わず上げた小さい声に気付いたらしい早瀬が、ふと顔を上げ、俺の方に視線を向ける。
「え? ……あ」
「……!」
彼女と目が合った瞬間、俺の身体は金縛りに遭ったかのように硬直した。
一方の早瀬も、僅かに口を開いたまま、その大きな目を見開いて、俺の事を凝視している。
「……」
「……」
俺は、息をするのも忘れて棒立ちになったまま、彼女の顔をじっと見ていた。
――と、早瀬の唇が、微かに動き始めるのが見えた。
「……こ」
「ヘイ、結絵ちゃ~ん! お帰りかい? 一緒に帰ろうよ~!」
「いやいや! こんな奴なんかより、俺と一緒に遊びに行こうぜ~」
「ユエ~! アタシ達と一緒にミック行こうよ~」
「……結絵ちー、映画行かな~い? 今、太刀川のワイシネで『キリトド』の劇場版やってるんだよぉ。マツイチが主演のやつ、結絵ちー観たがってたでしょ?」
だが、彼女が何か言おうとした瞬間、ダムの放流水のような勢いで、教室のドアから続々と出てきた男女混合の陽キャ集団が、俺と早瀬との間を遮った。
「――!」
俺は、陽キャの壁の向こうに隠れてしまった早瀬の姿を見ようと爪先立ちしたが、小柄な彼女の姿は、派手な髪色の陽キャ共の頭の中に埋もれてしまって、もはや頭の先しか見えない。
それでも無意識のままに、早瀬の方へと歩を進めようとした俺だったが、
「……おい、ヒカル!」
「……あ」
シュウの鋭い声に、ハッと我に返った。
俺は小さく息を吐くと、力無く首を横に振る。
そして、険しい顔のシュウの方へ振り返ると、無理矢理に笑顔を拵えた。
「悪い、ボーっとしてた。――行こう」
「……いや」
だが、シュウは、促す俺に苦笑いを向けながら、小さく頭を振る。
そして、俺の背後を指さして言った。
「いや、ヒカル……。もう、遅いみたいだぜ」
「――え?」
シュウの言葉にキョトンとする俺だったが、汗ばんだ肉付きの良い手で肩をがっしと掴まれて、その意味をようやく理解した。
瞑目し、思わず天を仰いだ後、恐る恐る背後を振り返る。
そこには――
「ふ、ふふ……ふぅ……こ、コーサカ氏……い、いきなり走り出すとは、冗談がす、過ぎるなぁ……。で、でも……お、追いついた……よ……ふぅ……ふぅ」
何故か、たった10メートルそこそこの距離をダッシュしただけなのに、もう息も絶え絶えの体の小田原が、まるで潰れたヒキガエルのような笑顔を浮かべて立っていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「ハッハッハッ! 二人とも、ボクの事など構わずに、存分にお昼を食べてくれたまえ!」
廊下で小田原に捕まった俺とシュウは、中庭のベンチに“連行”された。
連行中、俺は何度か“逃走”を試みたものの、もう絶対に逃がすまいと俺の腕を掴む小田原の掌の握力が思いの外強くて、結局最後まで振り解けず、連れてこられたのが、ここ――以前、小田原から“星鳴ソラ”の情報を聞き出した時と同じ、中庭の奥にポツンと置かれたベンチだった。
「……はいはい」
事ここに到っては、観念するしかない。
俺は、ムスッとした表情のままで、カバンの中から、朝にコンビニで買った総菜パンとコーヒー牛乳を取り出す。
俺の隣に腰かけたシュウも、同じようにコンビニ袋から中身を出し始める。
おにぎりがひとーつ、おにぎりがふたーつ、おにぎりがみーっつ、おにぎりがよーっつ……。
「……ねえ、シュウ……お前、おにぎり何個買ったの?」
「7個。鮭が3つと、おかかが2つと、梅が2つ。――あとデザートで、カラアゲちゃんチリソース味」
「……相変わらず、良く食うなぁ。――あと、唐揚げはデザートじゃなくね?」
シュウの昼飯の内訳を聞いただけで、胃がもたれそうな気分になりつつ、俺は呆れ顔で言った。
それを聞いたシュウは、自慢げに胸を張る。
「オレの胃袋は宇宙だ」
「うわ、古くね? 何十年前のドラマのセリフだよ、ソレ……」
「おふくろが好きで、わざわざ高いDVDBOXを買って、良く観てたんだよ。――っつーか、その元ネタを知ってるお前こそどうなんだよ?」
「ハル姉ちゃんが好きだったんだよ。ドラマじゃなくて、中の人の方をだけどさ」
「へぇ~、そうなんだ」
シュウが、興味津々といった顔をした。
「ハル姉ちゃん、ああいうタイプの顔が好きなんだ。結構意外だなぁ……」
「あ……いや」
頻りに頷くシュウに、思わず「ハル姉ちゃんが好きなのは、お前だよ」と口走りそうになったが、すんでのところで思い止まる。
そんな事をしたら、絶対に俺はハル姉ちゃんに殺される……クワバラクワバラ。
……にしても、あの人もいい加減煮え切らないよな……。片想いし続けて、もう十年くらい経ってるんじゃないのか?
まあ、その間、自分に向けられてる想いに、欠片も気付かないシュウもシュウなのだが。……って、それは、シュウの気持ちに気付かずじまいだった俺もか……。
――と、
「えー、ゴホン、ゴホン!」
俺たちの意識の蚊帳の外に置いてかれた格好の小田原が、わざとらしい咳払いをして、ブスッとした顔をしながら言う。
「――ええと! コーサカ氏、クドー氏、そろそろいいかな? 本題に入っても」
「「え――? あ、ああ……」」
と、不満げな小田原の声に、慌てて姿勢を正す。
「え……ええと、で? 何か、俺に相談があるんだって?」
「う……うん……まあ」
俺の問いかけに、小田原はもじもじしながら、耳の先まで真っ赤にしながら小さく頷く。
「うぷ……そ、それで、ど、どういった内容なのかな?」
小太りの高校一年生男子が見せる“恥じらう乙女の仕草”に、込み上げる吐き気を堪えつつ、俺は先を促した。
小田原は、素直に首を縦に振ると、今にも消え入りそうな小声で言葉を紡ぎ始める。
「……実は、どうしても、コーサカ氏に聞いておきたい事があってだね……」
「俺に?」
「あの……ほ、星鳴ソラ先生……いや、諏訪センパイの事なんだ……!」
「――へ?」
元々、俺がシュウに相談したかった人物の名前が、よりによって小田原の口から飛び出てきた事に、俺は驚き――同時に嫌な予感を覚えた。