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15才の別れ

 と、その時、俺の頭上に目を遣った早瀬の顔が曇った。

 そして、すっと右手を俺の方に伸ばして言う。


「――じゃあ、そろそろ……」

「……あ」


 彼女の声に、俺はハッとして振り仰ぎ、天井から下がった電光掲示板を見る。

 ――気付けば、俺が乗る上りの電車が到着するまで、あと10分を切っていた。


 遂に、この時――早瀬との別離(わかれ)の時が、来てしまった。


 俺は、ガックリと肩を落とすと、早瀬の方に向き直り、ずしりと重い紙袋を早瀬に差し出す。


「はい……。重いから、気を付けて……」

「……うん」


 早瀬は、俺が差し出した紙袋の持ち手を両手でしっかりと握る。


「……離すよ」


 俺は、擦れ声でそう言うと、意に反して、持ち手の紐を固く握ったまま動かない自分の指を、無理矢理動かした。寒さで悴んでいたのもあるが……『離したくない!』という気持ちが、無意識のうちにそうさせていたのもあるんだろう。


「あ……!」


 持ち手から手を放す寸前、俺の指が早瀬の手の甲に触れた。

 一瞬、俺の脳裏に、クリスマスイブの時のお化け屋敷の記憶が過ぎる。同時に、俺の手を握った早瀬の手の温かさも。

 でも――今日の彼女の手は、びっくりするくらいに冷たかった。


「……ごめんね、高坂くん。わざわざ、こんなところまで荷物を持ってくれて」


 俺から紙袋を受け取った早瀬が、そう言って俺に笑みを向けた。――心なしか、その笑みに元気が無い様に見えたのは、俺の僻目(ひがめ)だろうか?

 だが、その時の俺は、噴き出しそうになる感情を懸命に抑えながら、作り笑顔を拵えるのに精一杯で、とても早瀬の表情に気を配る余裕なんて無かった。

 俺は、必死で表情筋を笑顔の状態で固定させて、それから大きく首を横に振る。


「ぜ――全然大丈夫だよ! も……もし良かったら、家の前まで持って行くよ!」

「え……?」


 早瀬は驚いた様な表情を浮かべ、それから小さく(かぶり)を振った。


「あ……ううん、そこまでは……ここで、大丈夫……」

「で、デスヨネー!」


 そりゃ、そうだろ。――と、俺は、心の中で自分にツッコんだ。

 さすがに、自分の家の前まで、タダの知り合いに過ぎない男に付いてこられちゃ、早瀬も迷惑だろう。いくら、早瀬から離れがたいからって、いきなり何を言い出してんだよ、俺は……。


「……」

 

 何だか気まずくなった俺は目を逸らし、意味も無く駅の外のビルを凝視したりする。


「……」

「……」


 ……く、空気が……重い……。

 俺は、まるで鉛の様な重ったるい空気に圧し潰されそうになりながら、まるで親の仇の様にビルの看板を睨みつけ続ける。――というか、そうでもしていないと、電車が来るまでの時間を繋げない……。

 ――と、その時、


「――ねえ、高坂くん……?」


 唐突に沈黙を破ったのは、早瀬だった。


「――あ、は、はい! な、何でしょうッ?」


 早瀬の声を聞いた俺は、慌ててビルに向けた視線を早瀬の顔へと戻す。

 すると彼女は、視線をホームの白線へと落としながら、小さな声で言った。


「……ひとつだけ、聞きたいんだけど……」

「は……はい! な、何でしょう……?」


 彼女の言葉に、背をピンと伸ばして、オウムの様にさっきと同じ言葉を繰り返す俺。

 と、早瀬が思いつめた顔で、俺の目を真っ直ぐに見上げながら、口を開いた。


「こ……高坂くんは、か……()()()()()()()、どう思ってるのっ?」

「――は、はいぃ?」


 早瀬の口から、思いもかけない名前が飛び出してきた事に、俺は思わず呆気にとられる。

 そして、一瞬置いて、肋骨を突き破らん勢いで、心臓が跳ね上がったのを感じた。


 ……いや! つうか、何でその名前が、ここで出てくるんだ?


「え……え? な……何で……? 何で……諏訪先輩……?」

「あ……」


 訊き返した俺の声に、早瀬はハッとした表情を浮かべて、慌てて口を手で押さえる仕草を見せる。――まるで、今口走った事が、彼女の意思と反した無意識の言動だったかというかのように。


「え……ええと……、今……今のは……その……」


 彼女は、顔色を赤くしたり青くしたりしながら、激しく狼狽している様子だったが、やがて、意を決したように真剣な顔になって、俺に詰め寄ってきた。


「それは……な、何となく……だよ!」

「な……何となくっすか……」

「そう! 何となく!」


 と、キッパリと言い切ると、彼女は更に一歩踏み込んできた。


「――で、高坂くんは、香澄先輩の事を……どう思ってるの!」

「え……えぇ……?」


 彼女の放つ迫力に圧され、俺は思わず一歩後ずさる。

 と――、その瞬間、ある仮説が俺の脳裏に浮かんだ。


 ……あれ? ひょっとして、早瀬は、1月2日に、先輩が俺に告白してきた事を知っているのか?


 もしそうなら、彼女の言動の辻褄が合う。

 そう考えて、俺は、早瀬の質問に質問で返してみる。


「は……早瀬さん。ひょっとして……諏訪先輩と会って、何か言われたの?」

「え――?」


 俺の、メジャーリーガーの決め球よりもド直球な問いかけに、早瀬は目を丸くして――ブンブンと首を大きく横に振った。


「う……ううん。香澄先輩とは、あれ以来会ってないよ。ていうか、先輩は電話持ってないから、連絡も取れないし……」

「あ……確かに……」


 大晦日の日に、諏訪先輩に連絡が出来なくて、エラい苦労した記憶を思い出し、俺は早瀬の答えに納得した。

 すると、早瀬が目を見開きながら、更に俺に詰め寄ってくる。


「……もしかして、何かあったの? ――香澄先輩と」

「あ……え、ええと……その……」


 彼女の追及に、俺は答えに窮して口ごもった。

 一瞬、迷う。

 だが、すぐに決めた。


 もう、彼女に嘘はつきたくない。

 だから――正直に言おうと。


「実は……」


 俺は、大きく息を吸うと、一気に息と言葉を吐き出した。


「実は、この前――諏訪先輩に、好きだって……言われたんだ」

「――えっ……」


 俺がそう口にした瞬間、早瀬が息を呑むのが分かった。

 そして一瞬だけ、彼女が何かを堪えるように、口を真一文字に結んだように見えたが、すぐに俺に向けて、柔らかい微笑みを向けてくる。


「……良かったね、高坂くん!」

「う……うん……」

「高坂くんと香澄先輩……うん! ……お似合いだと、思うよ、うん……そだね……」

「あ――! で、でもね!」


 俺に祝福の言葉をかけようとする早瀬を制して、俺は言葉を継ぐ。


「じ……実はまだ、返事とかはしてないんだ」

「え……?」


 俺の煮え切らない言葉に、早瀬が首を傾げる。


「……どうして?」

「いや……だって……」


 俺は、思わず苦笑いを浮かべて、おずおずと答えた。


「だって、まだ……失恋してから十日も経ってないのに、そんなに簡単に心変わりできないよ……」

「あ……」


 俺の答えを聞いた早瀬が、目を真ん丸にしてから、頬を真っ赤に染めながら俯いた。


「そ……そっか……ごめん」

「あ! べ、別に、早瀬さんが謝るような事じゃないよ! 早瀬さんは、何も悪くないんだし!」


 俺は、落ち込む早瀬を宥める。

 それでも彼女は、俯いたままだったが、やがて顔を上げると、満面の笑みを浮かべながら、俺に言った。


「だ……だったら、一日も早く、()()()()()()()()()()()()、香澄先輩と付き合えるようにならないと! ね!」

「え……?」


 俺は、早瀬の殊更に明るい声に、何となく違和感を覚える。――何となく、今の彼女は無理をしているように感じたからだ。

 だが早瀬は、そんな俺の訝しげな様子にも気付かぬように、いやにハイなテンションで、一方的に捲し立てる。


「いいじゃない、香澄先輩! 私、おススメだと思うっ! 綺麗だし、落ち着いた大人な雰囲気だし、面倒見も良くて優しいし……」

「あ……まあ、そ、そうだけど……」

「背も高いし、おっぱいも大きいし、メガネかけてるし……」

「……メガネは、そんなに関係無いんじゃないかな? うん……」


 俺は危うく、『別に、メガネフェチって訳じゃないし……』と、口走りそうになったが、

 その時、


 ♪ピロピレパラレラ ポンポーン


『間もなく~一番ホームに、新宿行き上り電車が8両編成で到着いたします~。お待ちのお客様は~黄色い線の内側までお下がり下さい~』

「あ……」

「……」


 軽快な電子音と、電車の到着を告げるアナウンスが構内に鳴り響き、俺達の会話を遮った。

 そして、けたたましい音を立てながら、俺達が下りたホームの反対側に銀色の電車が、滑り込むように駅内へ侵入してくる。

 完全に停まった車両の自動扉が、“プシュ~ッ”と音を立てて、ゆっくりと開いた。


「……じゃあ、行くね」

「……うん」


 俺が後ろ髪を引かれる思いでそう言うと、早瀬もちょこんと頷く。

 開いた扉から、暖房の効いた車内へ乗り込み、俺は振り返る。

 ホームに残った晴れ着姿の早瀬は――やっぱり、可愛かった。

 俺は、軽く右手を上げると、彼女への別れの挨拶を口にしようとする。


「じゃあ……………………」


 だが、『じゃあ』の後に、『さよなら』と続けるか、それとも『またね』にするかを迷う内に、無情にもドアは閉まってしまった。


「あ……」


 俺は、声にならない声を漏らすと、思わずドアのガラスにへばりつく。

 ガラスの向こうの早瀬は、ニッコリ笑いながら、俺に向かって手を振っている。

 その口元が、ゆっくりと動く。が、動き始めた電車の車輪の音がうるさくて、彼女が何を言っているのか、分からない――。


「え……? な、何て……?」


 俺は窓の外の早瀬に尋ねようとするが、電車は動き出してしまった。ホームに佇む彼女の姿が、ゆっくりとドアから離れていく。


「ちょ――待って!」


 俺は慌てて窓から離れると、車両の後ろに向かって走り始める。ドアが閉まった直後に、彼女が何を言ったのか、どうしても確かめたかった。

 動き出して間もない電車は、まだそんなにスピードが出ていない。車内をダッシュした俺の目はすぐに、ホームの早瀬の姿を窓越しに捉えた。

 俺は窓に張り付くと、声を張り上げて、早瀬の名を呼ぶ――


「はや――」


 ――が、その声は途中で途切れた。

 彼女は……顔を両手で覆って、ホームでしゃがみ込んでいた。


 まるで――泣き崩れているように。


「え……?」


 思いもかけない光景を目にした俺は、呆然とする。

 その間にも、電車はグングンとそのスピードを上げていき、それに伴って、早瀬の姿――そして、北八玉子駅がみるみる小さくなっていく。

 ――そして、完全に見えなくなった。


「……」


 俺は、へばりついていた窓からよろめくように身を離すと、へたり込むように空いた座席に腰を下ろした。

 車内暖房によって、熱いくらいに暖められた座席に、深く身体を沈み込ませながら、俺はぼんやりと天井を見上げる。

 今秋放送開始のテレビアニメの中吊り広告に目を移すが、その視界はすぐにゆらゆらと揺れ始める。


 ――ダメだこりゃ。


 そう思った俺は、コートの襟を立てて、その間に顔を埋めた。そして俯き、腕を組んで、さも居眠りをしている風を装う。


「うっ……うぅ……ひぐっ……」


 乗客がまばらな車両の中で、俺はしばらくの間、微かな嗚咽を漏らし続けた……。




 そして――


 俺の恋は、終わった。

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