駅(栗立〜西八玉子)
『次は~、氷野~。氷野~。お出口はぁ~右側でぇ~す』
ガタガタと揺れる電車の車両に、鼻にかかった妙なイントネーションの車内アナウンスが流れる。
……何で、電車のアナウンスって、こんなに独特なんだろうな――。
そんな事を考えつつ、俺は吊革を掴む右手を握り直す。
そして、
「重……」
左手に提げた、BL同人誌がぎっしり詰まった紙袋の持ち手が掌に食い込み、思わず声が漏れた。
「……高坂くん。袋、床に置いていいよ」
「え……?」
前の席からかけられた声に、俺はハッとして顔を向ける。
電車の座席に座っていた早瀬が、気遣い顔で俺を見上げていた。
「重いでしょ? 別に手に持ったままでなくても……」
「あ……い、いや、大丈夫! 床に置いたら汚いし……。俺の事は気にしないで無問題!」
早瀬の言葉に、俺は慌てて首を横に振る。
と――同時に、カーブに差し掛かった電車がグラリと揺れた。
「う、おおっと!」
俺は、素っ頓狂な悲鳴を上げながら、吊革を支点にグルリと一回転してしまう。
「わ! 高坂くん!」
咄嗟に早瀬が手を伸ばし、俺の上着の袖を掴んで、身体の回転を止めてくれなければ、俺の身体は独楽のようにグルグル回りながら、遥か彼方へと吹っ飛んで行ってしまった事だろう。
「ふぅ……あ、ありがとう」
「えへへー、どういたしましてだよ~」
礼を言う俺に、ニッコリと笑って頷く早瀬。
その輝く笑顔に、俺の顔は思わず緩む。
――同時に、心の中で秘かに呆れていた。相変わらず、彼女への想いを吹っ切れられていない自分の不甲斐なさに……。
――『あのさ、早瀬さん! も……もし、良ければ……さ――』
さっき、ファミレス・サイデッカアで、そう切り出した俺は、一呼吸置いてから、こう続けたのだった。
『こ……この紙袋、重いからさ! 早瀬さん家の最寄り駅まで持って行くよ、俺!』
……あぁ、そうだよ!
早瀬と別れる時間を少しでも遅らせようと思って、言っちゃったんだよ、つい!
ホント、この期に及んでの往生際の悪さに、我ながら呆れ返るばかりだ……。
――でも、その俺の言葉に対して、
『……うん! じゃあ、お願いします! えへへ……』
と、大きく頷いた早瀬が浮かべた満面の笑みは、一体どういう事を意味していたんだろうか……?
◆ ◆ ◆ ◆
「この駅が、早瀬さんの……?」
銀色の各停電車を降りた俺は、古ぼけた駅のホームから、駅の外に広がる物寂しい風景を見回しながら言った。
天井から吊り下がる古ぼけた看板には、色褪せた文字で『にしやたまこ』と、駅名が書かれている。
「早瀬さんって、八玉子に住んでたんだ……」
「うん……」
俺の問いかけに、コクンと頷く早瀬。
「結構田舎で、ビックリした?」
「あ、いや……そういうアレじゃなくて……」
苦笑混じりの表情で言う早瀬に、俺は慌てて首を横に振った。
「だ……第一、そんなに田舎じゃないよ。――いや、ウチの高校から、結構離れた所に住んでて、そっちの方に少し驚いたっていうか、何というか……」
「えー、でも、電車でニ十分くらいしかかからないよ」
「まぁ、そうなんだけど……」
早瀬の答えに、俺は頬をポリポリと掻きながら首を傾げる。
「いやぁ……、ウチくらいのレベルの高校だったら、もっと近くにもあったんじゃないかなぁって思ってさ……。例えば、太刀川西とか、氷野高とか……」
「……うちの高校って、『中平学園高校』のモデルになってるの」
「へ? ……モデル?」
急に早瀬の口から、聞き慣れぬ固有名詞が飛び出してきて、俺は戸惑いの声を上げる。
「あはは。やっぱり、高坂くんは知らないよね」
キョトンとした俺の顔を見て、早瀬は苦笑いを浮かべ、言葉を継ぐ。
「……『中平学園高校』っていうのはね、5年位前に連載されてて、私が好きだった『1/3ラヴァーズ』っていう少女マンガの舞台で、主人公の女の子と、主人公の親友の男の子と、親友の幼馴染の男の子が通ってる高校の事だよ。作者のさくらおもち先生が大平南高校の卒業生だったから、モデルにしたんだって」
「へぇ~……」
「だから、好きだった作品の舞台になった高校に行きたいな~って、中学生の頃からずっと思ってて。それで大平南を受験して――って、感じ」
「なるほどねぇ~」
早瀬の説明に、思わず感嘆の声を上げる俺。
わが母校に、そんな著名な先輩が居たとは、今の今まで知らなかった。
……もっとも、その“さくらおもち”という少女マンガ家の事も知らなかったのだが……。
「……それって、人気があった少女マンガなの? その……『ワンカップラヴァーズ』って……?」
「『1/3ラヴァーズ』だよー」
早瀬は、苦笑いを浮かべて俺の間違いを訂正すると、困ったように首を捻った。
「うーん……一応、5巻まで出たんだけど、最後は打ち切りみたいな感じで終わっちゃったから、一般的な人気は、それほどでも無かったんじゃないかなぁ」
「打ち切りか……」
俺は、早瀬が好きだったにも関わらず、打ち切りになってしまったという少女マンガの内容に俄然興味が湧いてきて、更に問いを重ねる。
「打ち切りって……どんな終わり方だったの?」
俺の問いかけに、早瀬は目を上に向ける。
「えーとね……隕石衝突エンド」
「い――隕石衝突ぅっ?」
俺は、彼女の口から飛び出した、予想の斜め上過ぎる答えに、思わず声を裏返した。
「い……隕石衝突って、何で? ……あ! 実は、そのラブコメっぽいタイトルとは裏腹に、内容が本格SFだったとか?」
「ううん。幼馴染とその親友が主人公を好きになっちゃう系の、ありがちなラブコメだったよー。最終回の前の回までは」
「そ……それなのに、何で最終回に隕石襲来? 急展開どころの話じゃないぞ……」
不可解な話に、捩じ切れる勢いで首を傾げる俺。
そんな俺に、早瀬が答えを告げる。
「――何か、はじめから色々あったみたい、作者さんと編集部との間で……。それが積み重なって、遂にさくら先生がキレちゃって――」
「……それで修復不可能な、隕石衝突でヤケクソちゃぶ台ひっくり返しエンドにして、マンガを終わらせちゃったと……」
俺の推測に、早瀬がコクンと頷いた。
「……なるほどねえ」
確かに、似たような話は、某有名週刊少年漫画雑誌のあの作品とか、某青年雑誌のあの作品とかで聞いた覚えがある。ありえない話ではない。
とはいえ、好きだった作品が、唐突にそんな理不尽な終わり方を迎えた事に対する、当時の読者の心中がいかばかりであったかは、察するにあまりある。
俺は、同情を込めた眼差しを早瀬に向けながら、おずおずと訊いた。
「それは……ショックだったろうね……」
「うーん、まあ、そうだねぇ」
俺の問いに対して、早瀬は困ったように首を傾げた。
「まぁ……でも、正直私は、そこまでじゃなかったかなぁ。――何せ、ふたりの絡みを補完できるBL同人誌が、いっぱい出てたから!」
「…………は?」
俺は、彼女が口走った不穏な単語に、思わず耳を疑った。
「び……BL同人誌……?」
「そうだよー」
顔を引き攣らせつつ訊き返す俺に、早瀬は晴れ晴れとした笑顔を見せて、ハッキリと答える。
「親友の青くんと、青くんに小学生の頃からずっと秘めた想いを抱いていた春樹くん。やがて、春樹くんの想いは青くんに届き、相思相愛に……!」
早瀬は、うっとりとした表情を浮かべてそう言うと、
「――っていうストーリーの二次作品が、たくさん描かれたんだよー。だから、本編のラストがどうなったかとかはどうでも良くって」
「ど……どうでもいいんだ」
「うん。むしろ、打ち切りエンドで、主人公がどっちともカップルにならないまま終わったから、私達としては、そっちの方が良かったっていうか、想像が捗ったっていうか……」
「そ……そういうものですか……はぁ……」
俺は、(『私達』は、正確に言うと『私達』ってルビが付くんだろうなぁ……)と考えつつ、ぎこちなく頷いた。
……と、
「……ん?」
俺は、早瀬の説明に、どこか引っ掛かるものを感じて、眉間に皺を寄せた。
……何か……、青くんと春樹くんの関係性に、そこはかとない既視感を覚えたのだ。
――『青くんの親友で、子供の頃から彼の事を密かに好きだった春樹くん』――
「……んんっ?」
俺は、既視感の正体を突き止め、思わず硬直する。
……それって、まるで、俺とシュウみたいじゃないか?
つまり、固有名詞を入れ替えれば――
『ヒカルの親友で、子供の頃から彼の事を密かに好きだったシュウ』となる。
――いや、早瀬の認識では、
『シュウの親友で、子供の頃から彼の事を密かに好きだったヒカル』の方なんだろうけど。
でも、どっちにしても――そういう事なんだろう。
「……つながった……!」
俺は、とある刑事で特撮ヒーローのように、目をクワっと見開いて呟く。
そして、目の前ににへらぁと笑っている、少し思い込みの激しい女の子の勘違いから始まった、一連の出来事のルーツが分かったような気がして、
――心の中で、ひっそりと頭を抱えるのだった。
サブタイトルの元ネタは、ゆずの『駅(恵比寿〜上大岡)』からです。
恋人との最後の別れを、切ない曲調で歌い上げた名曲です。
……もっとも、今回、後半は全然切なくない訳ですが…(汗)。