同人誌コーナーでロマンスを……?
アニメィトリックス――。
『ここに行けば、日本のアニメ・マンガ関連商品の殆どが手に入る』と言われる、二次元メディア販売チェーン店の最大手だ。
全都道府県はもちろん、海外進出も果たしている『アニメィトリックス』の支店のひとつが、栗立駅から延びる大通りの一角に立つ五階建てのビル――この『アニメィトリックス栗立店』である。
いわゆる、“ウナギの寝床”型の、奥に細長く延びた構造のビルだ。
その店頭には、今週発売されたマンガ雑誌やアニメ情報誌、そしてコミック本が平積みにされて並べられ、その前で、沢山の客が立ち読みをしていたり、少しでも状態の良いものを選ぼうと、平積みの山を崩したりしている。
そんな、ごった返す店頭の前に立った俺は、微かに顔を引き攣らせていた。
「も……目的地って……ココ?」
「うん、そうだよー! もっと言うと、ここの四階かな」
俺の呟きを聞きつけた早瀬が、ニッコリと笑いながら答えた。
その答えを聞いた俺の顔の引き攣りは、更に激しくなる。
「よ……四階? そこって……」
「あ、大丈夫だよ。奥にエレベーターがあるから」
俺が顔を引き攣らせているのを、『階段で四階まで昇る事にウンザリしているからだ』と解釈したのか、彼女は店の奥を指さした。
「……まあ、確かに、このメチャクチャ重たいリュックを背負って、あの急な階段を昇るのは大変だから、エレベーターがあるなら有り難いのだけれど――」
と、俺は、確実に三桁キロはありそうなデ……巨漢が、額の汗を拭き拭き降りてきた狭い階段を横目で見ながら、小さく呟いた。
――しかし、俺の表情が優れないのは、それが理由では無い。確か、俺の記憶が確かならば、この建物の四階は……。
「……は、早瀬さんッ? あ、あのさ、ここの四階って――」
「ほら、早くおいでよ、高坂くん! エレベーター閉まっちゃうよ~!」
「……て、早っ!」
いつの間にか、エレベーターに乗り込み、俺を手招きしている早瀬の姿を見止めた俺は、思わず呆れ声を上げ、慌てて彼女の元へ急ぐ。
狭い店頭の導線を小走りで通る際に、立ち読みをしていたおっさんにぶつかった。おっさんにジト目で睨みつけられた俺は、「……あ、スンマセン」と、形だけで謝りつつ、閉まりかける小さなエレベーターの扉の隙間へと身を滑り込ませる。
その直後、俺の尻を掠めるようにして、エレベーターの扉が軋みながら閉まる。
「ふう……間に合った」
「ギリギリセーフだったねえ、高坂くん」
「う……うんんんんんっ?」
――近い! 早瀬が……近いッ!
想像以上にエレベーターの中は狭く、それに加えて先客も載っていた為、俺の眼前二十センチほどのところに、早瀬のおでこがあった。
え――エマージェンシーッ!
俺の心臓が、早鐘どころじゃ無い勢いで鳴き喚く。
――と、早瀬が上目遣いで、俺の目を見ながら言う。
「高坂くん、きついでしょ? もうちょっと寄っていいよ」
「ファ――ッ?」
止めてくれ、その攻撃は、俺に効くゥッ!
俺は、頭上のHPバーがみるみる減って、数字が真っ赤に変わるのをひしひしと感じながら、油断すると、
『じゃ、じゃあ、お言葉に甘えて……』
と漏らしそうになる口に固くチャックを掛け、なけなしの理性が吹き飛ばないように、しっかりと掴み直す。
「い……いや。だ――大丈夫! 気にしな……」
――と言いかけて、
俺の目が、早瀬の後ろに立つ男のニキビ面を見止めた。
その顔は、だらしなく緩み、口を半開きにして、眼鏡の奥の目を血走らせて、早瀬を凝視している。
そして、そいつがもぞもぞと身を動かし、胸ポケットからスマホを取り出すのを見た俺は、
「……あ! や、やっぱ、ちょっと場所を入れ替わってもらっていいかな? さ――さすがに、ちょ、ちょっとキツいから、うん!」
と言いながら、早瀬とニキビ男の間に割り込むように、身体を入れる。
「……? うん、別にいいよぉ」
早瀬は、きょとんとしながらも、身体をずらしてスペースを空けてくれた。
――俺の背後で、何やら舌打ちが聞こえたが、知ったこっちゃ無い。
◆ ◆ ◆ ◆
扉の上の液晶が“4”を表示し、エレベーターが停まる。一拍おいて、不安を覚える軋み音をあげながら、ゆっくりと開いた。
「……うわあ……」
嫌な予感が見事的中し、思わず引き攣り笑いを浮かべる俺を出迎えたのは――、
本棚の側面に張り付けられた、上半身裸で熱く抱擁し合うふたりの男のイラストがプリントされた、大きな抱き枕シーツだった。
思わず目眩を覚え、天井を仰いだ俺の目に飛び込んできたのは、フロアのコーナーサイン。
『4F 女性同人誌(BL)』
そこには、そう書いてあった……。
「さ! 早く行こ!」
弾んだ声をあげて、早瀬は小走りで売り場の奥へと入っていく。
俺はひとり、エレベーター前に取り残された。
「……いや、早く行こって言われても……」
無理です。
――行けるはずない。
目には見えないが、ハッキリと分かる。俺が立つ、このエレベーター前から奥は“男子禁足の地”なのだ。男の俺が、一歩でも足を踏み入れようものなら……想像もつかないし、想像もしたくない。
……ほら、もう既に、売り場のそこかしこから、冥王星の大気よりも冷たい警戒心と、太陽よりも熱い嫌悪感が混じった鋭い視線が幾筋も放たれ、俺の身をズタズタに切り裂いている。
ぶっちゃけ、さっき北口広場で注目を浴びていた時よりも何十倍もキツい。
もう、この場に立っているだけでも居たたまれない……。
――と、
「……どうしたの? 高坂くん、行かないの~?」
「あ……」
エレベーター前で立ち尽くしたままの俺に気付いた早瀬が、早くも見繕ってきたらしい薄い本を手にしたまま、こちらへ戻ってきた――戻ってきてしまった。
……早瀬が奥に行った隙に、回れ右でエレベーターに乗り込んで他階へ逃げれば良かった――そう後悔したが、もう遅い。
売り場の女性客様達の射るような視線は、今や殺気すら帯びて、俺に向けて容赦なく浴びせかけられる。
正に針の筵状態で、心理的に追い詰められた俺は、困り顔で苦笑いを浮かべつつ、おずおずと早瀬に言った。
「い……いやぁ。何か、この売り場、女の人しかいないから、き……気後れしちゃって……。俺は、下のマンガコーナーにいるから、早瀬さんだけで見てきなよ……」
「え~、それじゃ意味ないじゃん」
俺の提案に、早瀬は頬を膨らませた。……ああ、むくれた顔も可愛いなぁ、チクショウ!
思わず鼻の下を伸ばす俺の顔にも気付かず、早瀬はプンプンしながら言葉を継ぐ。
「今日、ここに来たのは、高坂くんの為なんだよっ。……まあ、私の買い物も、ちょっとはあるけどさ」
「俺の……為?」
意外な言葉に、俺はキョトンとして聞き返した。
早瀬は「そうだよー」と、大きく頷く。
「高坂くんが、工藤くんと付き合える為のヒントを探しに、ここに来たんだよ。高坂くんも一緒に見て、選ばないと意味ないじゃん!」
「え、ええ~……?」
早瀬の返答に、俺は言葉を失った。
そして、虚を衝かれた俺が思わず見せた隙を、早瀬は見逃さなかった。
「そういう事で! さ、行こっ♪」
「――! あ、ちょ、ちょっと待って……! こ、心の準備が……」
すかさず俺の上腕を掴むや、強引に売り場の中へ連れ込もうとする早瀬に、ズルズルと引きずられながら、俺は抗おうとし――、
(……あれ?)
女性同人誌売り場の雰囲気が、先程までとは一変している事に気が付いた。
(な……何だ、この空気……? みんなの視線が――優しい?)
俺は狼狽して周囲を見回した。――気のせいではなかった。
先程まで、散々俺を敵意剥き出しで睨みつけていた女性客達が、今は微笑みすら浮かべながら、俺の事を温かく見守っている。
俺は、何でだろう? と首を傾げつつ、空気が変わったきっかけとなった筈の、早瀬との会話を思い出す。
……“高坂くんが、工藤くんと付き合える為のヒントを探しに”――。
……アァッ――!
俺は、気付いた。女性客達の態度が、突然軟化した理由に。
それはつまり――、
(もしかして、この人達、早瀬と同じ様に、俺が男に片想いしてると勘違いを――!)
……ッつー事はさ。今の俺って、このフロアの女の人全員に、この棚に並んでいるキャラ達と同じ性癖の持ち主だと思われてるっ――て事なのかぁっ?
(違う……違うんだッ!)
俺は、涙目になりつつ、ありったけの大声で叫ぶ……心の中だけで。
(や……止めろぉっ、そんな哀れみに満ちた、生温かい目で俺を見るのはッ! 俺は――俺は無実だアァッー!)
今回のサブタイトルの元ネタは、サザンオールスターズの『死体置場でロマンスを』です。
前作『好色一代勇者』でも拝借しましたが、使い勝手がいいんですよね、もじるには。
古い曲ですが、歌詞にストーリーがあって面白い曲です。オススメ!