はじめての間接チュウ
「ふぅ……ごちそうさまぁ」
と、早瀬は両手を合わせながら言った。
「わ……早いね……」
まだ、鉄板プレートの上に三分の一ほど残ったチーズハンバーグと、早瀬の前に置かれた、すっかり空っぽになったガラスボウルを見比べながら、俺は焦りの表情を浮かべる。
「ご、ごめんね、早瀬さん。急いで食べちゃうから……ちょっと待ってて」
「あ、ううん。そんなに急がないでも大丈夫だよー」
早瀬は、グラスを手に持ってストローを口に咥えながら、柔らかい笑みを浮かべて言った。
「元々、私はサラダで量も少なかったんだから、早く食べ終わって当然だよ。焦らなくてもいいから、高坂くんはゆっくり食べてていいよ」
「あ……まあ、そうなんだけど……」
何となく、マンガとかアニメとかのこういう場面では、男の方が先に食べ終わって――ってパターンが多い印象がある。先に食べ終わった彼女を待たせて、もしゃもしゃとチーズハンバーグを頬張る男とか、あんまり締まらない……。
――って、“彼女”って何だよ、俺!
「ご! ごぐごふ……ッ!」
「わ! こ、高坂くん、どうしたのっ? 大丈夫?」
心の中で自分にセルフツッコミをした拍子に、口の中のハンバーグの欠片が気管に入り、俺は激しく噎せた。
「ほらっ、高坂くん! これ飲んで!」
驚きながらも心配顔の早瀬が、手に持っていたグラスを、咳き込む俺に向けて差し出してくる。
「あ……ありが――」
彼女の手からグラスを受け取ろうと、反射的に手を伸ばしかけた俺だったが、
(――って、それ飲んだら……は、は、早瀬とか、かん、間接キ……ッ!)
と、とんでもない事実に気付き、慌てて手を引っ込める。
そんな俺の反応に、早瀬は怪訝な表情を浮かべた。
「……どうしたの? 私は別に大丈夫だよ?」
「ふぁ……ファッ――?」
彼女の言葉に、一瞬、喉に挽肉の塊が詰まって、今まさに死線を彷徨いつつある事すら忘れ、カッと目を見開く俺。
――そ、それって……! お、俺と間接キッスする事は全然構わないとか……そういうアレ……なの?
そんな問いが頭の中を反響し続ける俺を前に、彼女は言葉を続ける。
「……だって」
――だって……?
「ドリンクバーだから、高坂くんが飲み干しちゃっても、またおかわりすればいいだけだもん。それ、全部飲んじゃって大丈夫だよー」
「んがぐぐっ!」
大丈夫って、そっちの意味かいッ!
……いや、正直、半分予測してましたけどね! こういうオチだとはッ!
「こ……高坂くん! 大丈夫っ? い……今、すごい声出して、身体がビクビクってなったけど……?」
俺のリアクションに、さすがにドン引きした表情で、おずおずと尋ねてくる早瀬。
「……あ、だ、大丈夫」
それに対して俺は、喉を押さえながら、弱々しい笑みを浮かべつつ答える。
「な……何か、今のアレで、喉に詰まってたものが、うまく飲み込めたみたい……。ご心配を、おかけしました……」
「そ……そっか……良かったぁ」
俺の言葉に早瀬は、若干引き攣りつつも柔らかい笑みを浮かべた。
そして、俺に向けてグラスを差し出していた手を引っ込める。
「――あ……」
「……ん? どうしたの?」
「あ……い、いや、何でも無いです……」
キョトンとした顔をして首を傾げる早瀬に、俺は弱々しくかぶりを振ると、自分のカップを手に取り、温くなったカフェオレをグビリと呷った。
あーあ……せっかくの間接キッスのチャンスが……。
――なんて、て、天に誓って思ってなんか、い……いないんだからね、絶対に! ……いや、八割……いや、五割……いや……。
「……ッ!」
心の中が、浅ましい煩悩に満たされつつあるのを敏感に感じ取った俺は、慌ててそれを誤魔化すように、ナイフで鉄板のチーズハンバーグを切り取る。
「――ねえ、高坂くん? あの……ちょっと、お願いがあるんだけど……」
「……ふぁい?」
切り分けたハンバーグの切れ端を、フォークで刺して口に運ぼうとした時に、唐突に早瀬が話しかけてきた。
その声を耳にした俺は手を止めて、目線を上げる。
テーブルの向かいに座る早瀬を見ると、彼女は、目線を俺の手元に向けている。
「ど……どうかした?」
「あ……あのね……」
おや……? はやせのようすが……?
――彼女は、仄かに頬を染めながら、何やらもじもじと身体を揺らしている。
「あ……」
その様子を見て、ピンときた俺は小さく頷くと、さりげなく通路の向こうに顎をしゃくって、彼女を促す。
「あ……大丈夫。俺はまだ食べ終わるのに時間がかかるから、ゆっくりで――」
「あのね……そのハンバーグ、一口貰っても、いいかな? ……って」
「へっ……?」
気を利かせた俺に対する早瀬の答えに、俺は目をパチクリさせる。
早瀬は、頬を染めた顔に照れ笑いを浮かべた。
「そのぉ……やっぱり、サラダだけじゃ物足りなくて……。高坂くんが食べてるのを見てたら、何だか私も食べたくなっちゃって……」
そう言うと、早瀬は、俺を上目遣いで見つめる。
ドキンッ……と、左胸の心臓が跳ね上がったのを感じた。
「……ごめん。やっぱりダメだよね。あ、大丈夫! もういいから――」
「ダメな訳ないでしょーっ!」
バツ悪げに首を横に振った早瀬に向かって、俺は思わず声を上げていた。
「いいよいいよ! 一口と言わず、全部どうぞ! 何なら、追加で注文するし!」
「あ……そこまではいいよー。一口だけもらえれば、うん」
俺の勢いに気圧されつつも、早瀬はにこりと微笑んで頷いた。
「……あ、そ、そうっすか? じゃ……じゃあ……どうぞ」
と、俺は、ナイフを使って大きめにハンバーグを切ると、彼女が取りやすいようにと、鉄板プレートをテーブルの中央までずらしてあげる。
「うん! ありがとー!」
早瀬は、満面に笑みを浮かべると、自分のフォークでハンバーグの一片を取ると、躊躇なく頬張った。
「うん! 美味しい~!」
「そ……それは何より――です」
正に、今にも頬っぺたが落ちそうなリアクションで、美味さを表現する彼女を前に、俺の顔も綻ぶ。
と――その時、
……あれ?
ある事に思い当たり、俺の頬は、急に熱を帯びる。
「――? どうしたの、高坂くん? 顔が赤いよ?」
「あ……い、いや……な、何でもない……うん」
俺の顔を見て、訝しげな表情を浮かべる早瀬に、ぎこちない笑いを浮かべながら誤魔化す俺。
何故なら……、
――早瀬が、俺の食べかけのハンバーグを食べたって事は……これもある意味、間接キスなんじゃね……?
という、リア充にとっては取るに足らない事なのかもしれないが、俺にとっては深遠にして重大極まる命題によって、頭の中が埋め尽くされていたからだ――。