白痴・ダンサー
「高坂くん、遅くなってごめ~んね~!」
と、早瀬が平謝りしながら戻ってきたのは、オーダーを取り終えた店員さんが立ち去ってから五分後の事だった。
「あ……だ、大丈夫。ぜ、全然待ってないから……うん」
俺は、晴れ着の裾を整えながら正面の席に座った早瀬の顔を直視できずに、窓の外に視線をずらしながら言った。
さっき、店員さんが言っていた。
『まだ諦めるのは早い……かもしれないっすよ』
という言葉が、さっきから頭の中を行ったり来たりしていて、心の中がザワザワしていたからだ。
すると、
「あ……違うからね!」
突然、早瀬が慌てたような声を出した。
「え……?」
彼女の声に、俺は思わず視線を向ける。
何故か、早瀬は顔を真っ赤にして首をブンブンと横に振っていた。
「あ……あのね! 遅くなったのは、そういう理由でじゃなくてね……! ちょ、ちょっと緩めるだけのつもりだったのに、帯が完全にほどけちゃって、直すのに時間がかかったからなんだよ、うん!」
「え? あ、ああ、分かってるよ、うん。……って、『そういう理由』って、どういう理ゆ――」
「あーっ、止めてぇ! わ……分かってないんだったら、それでいいから! それ以上、そこを追及しないで、お願いッ!」
その大きな目を真ん丸にして、今度は頭に加えて両手も一緒に大きく左右に振りながら、早瀬は叫ぶ。
俺は、何で彼女がこんなに慌てているのか良く分からなかったが、取り敢えず「う、うん……」と頷いてみせた。
と、その拍子に、テーブルの上のメニューが、視界の片隅に入り、俺は彼女に伝えておかなければならない事があるのを思い出した。
「あ……、そういえば……」
「……え?」
「あのさ……注文、何頼んだらいいか分からなくって、何となくでサラダメニューにしちゃったんだけど……大丈夫だった?」
「え……? あ、ああ……サラダ……?」
サラダと聞いて、早瀬はキョトンとした表情を浮かべる。
その顔を見て、
――あ……やべえ。この反応……やらかしたか……?
と、俺は顔を青ざめさせたが、早瀬はすぐにニッコリと微笑って頷いた。
「うん! サラダで良かったよー! ……実は、帯がきつくて、あんまりお腹に入らなさそうだったんだよね。サラダだったら、ちょうどいいかも!」
「あ、ああ、そっか……。それは良かった……デス、はい」
嬉しそうに言う早瀬の様子に、俺はホッと胸を撫で下ろす。
どうやら、店員のお兄さんのアドバイスは正しかったようだ。
さすが、幾多の修羅場を潜り抜けた歴戦の強者。何という冷静で的確な判断力なんだ!
……と、心の中で店員さんに賛辞を送りつつ、俺はおもむろに立ち上がって言った。
「あ……そ、そういえば、いっしょにドリンクバーも注文したんだった。も、持ってくるね! は、早瀬さんは、何がいい?」
「え? あ、ああ、いいよー。後で、自分で入れてくるから」
早瀬は、驚いた顔をして手をブンブンと振りながら言うが、俺は彼女の晴れ着を指さして微笑む。
「大丈夫だよ。っていうか、早瀬さん、その格好だし……の、飲み物が撥ねたりしたら大変だからさ……。ここは、俺に行かせてよ」
「あ……そっか……確かに……」
『飲み物が撥ねたりしたら大変』ってくだりは、咄嗟に口から出たもので、ぶっちゃけ、さっきの店員さんの言葉のパク……受け売……盗よ……転用だったが、意外と説得力があったようで、早瀬は自分の晴れ着に目を落とすと、俺にはにかみ笑いを向けた。
「……じゃあ、お願いしていいかな?」
「も、もちろん! 喜んで!」
早瀬の言葉を受けた俺は、胸が高鳴るのを感じながら、ぎこちなく笑いながら彼女に訊く。
「じゃ、じゃあ……何を持ってこようか?」
「うーん……じゃあ、カルピスウォーターでお願いします!」
俺の問いかけに、満開の花の様な笑顔で応える早瀬。その笑顔は、本当に可愛らしくて、こんな至近距離で拝めた事を、俺は神に深く感謝しつつ、大きく頷いた。
「りょ、了解しましたッ。わ、我が命に代えてもぉう!」
「うふふ! それ知ってるよー! 『銀やンま』のホスト回でやってたギャグでしょ?」
「……え? 知ってんの、『銀やンま』?」
早瀬が、少年ギャグマンガの『銀やンま』を知っている事に驚いて、俺は思わず訊き返す。
「もちろん知ってるよー!」
俺の問いに、早瀬は大きく頷いて言った。
「『銀やンま』は、BL界でも人気なんだよー! 『銀×年か年×銀か』とか、『ザラ総受け論争』とかで、いっつも盛り上がってるよー」
「お……おファッ?」
突然、早瀬の口から、カップリングの『×』とか、『総受け』とかいう、BL業界用語が飛び出してきた事に、俺は完全に意表を衝かれて変な声を出した。
「は、早瀬さんっ! こ……公共の場で、そういう話題はちょっと……!」
「あ……ごめん……つい」
慌てて口を押さえた早瀬だったが、それでもクスクスと愉快そうに笑う。心底愉しそうな彼女の様子を見る俺も、口元を綻ばせた。……背中は冷や汗でぐっしょりだったが。
と、その時、
「……すみません! ちょっと通してもらえますッ?」
俺は、背後から明らかにイラついた響きが含まれた声をかけられ、慌てて振り向いた。
見ると、ヒキガエルのような顔を不機嫌そうに顰めた恰幅の良いオバさんが、五条大橋の弁慶も斯くやといった様子で、通路の真ん中で仁王立ちしている。
「あ! す、スミマセン!」
俺の身体が、オバさんの進路を妨害している事に気付いた俺は、慌ててテーブルに寄って道を譲る。
オバさんは、通り過ぎる際に、横目で俺と早瀬の顔を順番に睨みつけながら、
「……フンっ! 若いからって、イチャイチャしてんじゃないわよッ!」
と捨て台詞を吐いて、プリプリしながらレジカウンターの方へと去っていった。
「……」
「……」
俺と早瀬は、無言でオバさんの面積の広い背中を見送った後、思わず顔を見合わせ、同時に口を開く。
「「……怒られちゃった」」
同じ言葉が同じタイミングでお互いの口から飛び出した事に、俺と早瀬は同じ様に目を丸くし、
「……ぷぷっ」
「……えへへ」
同じ様に口元を押さえて、忍び笑いする。
同時に同じ事を言ってしまった――ただそれだけの事なのに、それが途轍もなく愉快で面白く感じられたからだ。
「じゃ、じゃあ、飲み物を取ってくるね……カルピスウォーターで良かったんだっけ?」
一通り笑ってから気を取り直した俺は、もう一度早瀬に訊いた。
「うん……。お願いします」
早瀬は、俺の問いかけにコクンと頷いた。
ドリンクバーへ向かう途中の通路で、
「……ふんふんふ~ん♪」
俺は、いつの間にか鼻歌を歌っていた。いや、それだけじゃなく、足は軽やかにスキップを踏んでいたかもしれない……。
胸を高鳴らせながら、俺はついさっきの情景を思い返す。そして……、
にへらぁ……
という擬音がピッタリな、だらしない笑いを口元に浮かべながら、俺はこう考えていた。
(……何だか、今のやり取り……めっちゃカップルっぽくなかった?)
――って。
今回のサブタイトルは、劇場版銀魂の主題歌、DOESの『バクチ・ダンサー』からです。
なお、劇中に登場する『銀やンま』とは、一切の関係はありません(目を逸らしつつ)!