ご注文はドリンクバーですか?
「まあ……それはともかく」
店員さんは、コホンと咳払いをすると、俺に向かって言った。
「そういう訳っすから、オレの経験上、あの女の子が戻ってくるまで、まだ時間がかかると思うっす」
「は、はあ……」
「だったら、あの子が戻ってくるまで注文を待っているよりは、あの子の分まで注文を済ませてしまった方が、スマートなエスコートだと好印象を持たれるっすよ」
「な……なるほど……そうなんですか」
妙に自信ありげな店員さんの言葉に、俺は戸惑いつつも頷いた。“修羅場二ケタ以上”という触れ込みが引っ掛かるが、俺よりはずっと女性と接する経験が豊富な店員さんの言う事には、確かに妙な説得力がある。
「じゃ……じゃあ、ちょっと待ってて下さい」
俺は店員さんにそう告げると、再びメニューに目を落とし、ペラペラと捲る。
「うーん……ど、どうしよう……」
だが、早瀬が何を食べたがっているのか、いや……そもそも、彼女が何が好きなのかすらロクに知らない俺に、そんなに簡単に注文を決める事は出来なかった。
メニューとにらめっこしながら、俺がウンウンと唸っている――と、
「お客様、お客様」
さすがに見かねたのか、店員さんが俺の肩をトントンと叩いてくる。
「え……はい?」
怪訝な表情を浮かべながら、顔を上げた俺に、彼はこう提案した。
「――こういう時は、無難なところで、サラダあたりが良いと思うっすよ」
「え……? サラダですか……?」
店員さんのアドバイスに、俺は思わず聞き返す。
「いやぁ……でも、お昼時なのに、サラダだけじゃ足りなくないですか?」
「いえいえ」
店員さんは、口の端にニヒルな笑いを浮かべると、小さく首を横に振った。
「今日のカノジョさん、あんな晴れ着姿じゃないですか。お腹を帯で締めつけられてるから、そんなにガッツリとは食べられないっすよ。それに、汁気のある物だと、撥ねたりしないか心配ですしね。それに、もっと食べたいようだったら、後でオーダーを追加すればいいだけっすから」
「あ……な、なるほど。だから、サラダか……」
店員さんの言葉に、俺は目からウロコが落ちる思いだった。確かに、彼の説明は、キチンと理屈が通っている。
「さすが……、数々の修羅場を潜り抜けた歴戦のツワモノなだけありますね」
「ふっふっふっ、大した事ではあるっすよ」
自慢顔で胸を張ってみせる店員さん。
……いや、そんな誇らしげにする様な事でも無いんだよなぁ……。
俺は、内心で呆れるが、その忠告はありがたく受け入れる事にする。
「じゃあ……、この『チキンとブロッコリーのサラダ』で」
「はい、畏まりました」
店員さんは、俺のオーダーにコクンと頷いて、ハンディターミナルを操作し、
「あと……、サラダの方にはドリンクバーが付いておりませんが、ご一緒にいかがですか?」
と尋ねてくる。
だが、俺は少し考えると、首を横に振った。
「あ……と、取り敢えず、無しでいいです」
「……畏まりました」
俺が断ると、店員さんの眉が一瞬ピクリと跳ねたが、直ぐに元の表情に戻った。――いや、何だか、さっきまでよりもよそよそしい表情のような……?
その無表情のままで、店員さんはハンディターミナルの画面に目を落とし、淡々とした口調で注文を読み上げる。
「――では、ご注文を確認させて頂きます。……チーズハンバーグランチセットが一点、チキンとブロッコリーのサラダが一点。……以上で宜しいでしょうか?」
「あ、は、はい。大丈夫です」
「……ちなみに、ドリンクバーは、ランチセットのみ付いております。グラスは向こうにあるものをご利用下さいませ」
「あ、りょ、了解です」
「……サラダセットには、ドリンクバーが付いておりませんので、ご了承下さい。ちなみに、ひとつのグラスにストローを二本差して、恋人飲みするのはNGなんで宜しくお願いします」
「あ……はい。……っていうか、そんなことする人いるんですか?」
「はい、たまに」
……いるんだ。
思わず顔を引き攣らせる俺の顔を冷ややかな目で見下ろしながら、店員さんは更に言葉を続ける。
「――という事で、お連れ様は、お水のみになります。お水のおかわりもドリンクバーにございますので、ご利用下さい」
「あ……はい。知ってます」
「……お客様がコーラやオレンジジュースやメロンソーダやコーヒーや紅茶を選り取り見取り好き放題飲んでいたとしても、ドリンクバーを注文されていないお連れ様はお水以外飲めませんので、予めご了承下さい」
「……」
「なお、その結果、お客様がお連れ様にどんな思いを抱かれて、その結果がどうなろうと、当店及び私は一切関知しませんので、どうぞご了承下さ――」
「……すみません」
俺は、青ざめた顔で、店員さんの言葉を遮ると、不承不承告げた。
「ドリンクバーも一点追加……お願いします」
「ドリンクバー追加、畏まりましたぁっ!」
俺がドリンクバーのオーダー追加を告げた瞬間、店員さんは、さっきまでの無表情が嘘のような満面の笑みを俺に向け、まるで回転寿司屋の板前さんのような威勢の良い声を上げる。
そして、ハンディターミナルをパタンと閉じると、ぺこりと頭を下げた。
「……では、少々お待ち下さいませ」
「あ……ハイ……お願いします」
店員さんの調子の良さに、少し恨めしげな目を向けつつも、俺はコクンと頷く。
と――、
店員さんが俺に顔を近づけ、ぼそりと囁きかけた。
「じゃ……頑張って下さいね、カ・レ・シ・さ・ん」
「へっ? ……あ、いや、だから……!」
店員さんの耳打ちに、俺は目を丸くし、慌てて首を横に振った。
「だから……さっき言ったように、俺と早瀬……あの子は、そういう関係じゃなくて! っつーか、もう、そういう望みは完全に断たれた……そういう感じな訳で――!」
「……そうっスかねぇ?」
「……へ?」
胸を痛めつつ吐き出した俺の言葉に、何故か首を傾げた店員さんの呟きに驚き、俺は思わず聞き返す。
「そ……『そうっスかねぇ』って、どういう意味ですか……?」
「あ、いや、そのまんまっす」
店員さんは、あっさりと答えた。
「傍から見たら、カノジョさん……まんざらでもないように見えますけどね」
「え……?」
俺は、店員さんの答えに、胸がざわつき始めるのを感じて、思わず身を乗り出した。
「満更でもない……って、早瀬が、俺の事を――って事ですか?」
「あ、はい、まあ」
「い、いやいやいやいや! そ、それは無いですよ!」
俺は、店員さん――と、期待で弾み始めた自分の心に向けて、殊更に強く否定の言葉を吐いた。
「だ、だって……! つい最近、俺は早瀬にこの上もなくはっきりとフラれたんですよ? なのに……満更でもないとか、そんな訳――」
「……いや、考えてみて下さいよ、カレシさん」
店員さんは、激しく首を左右に振る俺に向かって、静かに諭すような口ぶりで言った。
「――そもそも、女の子が好きでもない男とふたりきりで会うって時に、わざわざ晴れ着なんて着てくる訳無いじゃないっすか。いくら正月だからって……」
「……!」
俺は、店員さんの指摘に、思わず目を見開いた。
そんな俺を尻目に、店員さんは更に言葉を継ぐ。
「それに……さっきの感じを見ている限り、本当に楽しそうな様子でしたよ、カノジョさん」
「た……楽しそう? 早瀬が……俺と一緒に居て……?」
「ええ。少なくとも、何にも思ってない男に対する感じじゃあ無かったっすね」
「……そ、そうなん……ですか? マジで……?」
店員さんの言葉がにわかには信じられず、俺は目を白黒させながら、うわ言の様に呟くばかり。
そんな俺に、店員さんは優しく言った。
「カノジョさんが、カレシさんの事を断ったっていうのには、何か事情があったのかもしれませんね。――だから、まだ諦めるのは早い……かもしれないっすよ」
「は……早い……?」
「そう」
思いもかけなかった可能性を指摘され、呆然とする俺の肩を、店員さんは爽やかな笑みを浮かべながらポンと叩く。
「諦めたら、そこで恋愛終了っすよ。だから……頑張って、カレシさん」