CORKING‼
早瀬の提案により、彼女と俺は、駅前広場から少し歩いたところにあるファミレス『サイデッカア』に入った。
「はい、いらっしゃいませ! サイデッカアによう……こ、そ……」
重いガラス扉を開けて店内に入った俺達を、にこやかな営業スマイルを浮かべながら出迎えた、可愛らしいチェック柄の制服を着た女性店員さんは、俺達を見た瞬間、思わず言葉を詰まらせた。
長い茶髪を後ろでまとめた、学生アルバイトらしい彼女は、艶やかな晴れ着姿の早瀬にチラチラと視線を向けながら、おずおずと声をかけてくる。
「え……えーと、に、二名様で宜しかったでしょうか?」
「あ……はい」
「ランチタイム中は、全席禁煙ですが、宜しいでしょうか?」
「あ、はーい! っていうか、私達はまだ高校生なんで、タバコ吸わないでーす!」
「あ! そ……そうですよね。――失礼しました」
早瀬の言葉に、店員さんはハッとした顔になり、慌てて、俺達を店内へといざなう様に、真っ直ぐ手を伸ばした。
「あ……お、お席にご案内しますね。――どうぞ、こちらへ」
「あ……はい、お願いします」
店員さんに先導され、地味なダッフルコート姿の俺、その後ろに晴れ着姿の早瀬が続く。
――と、満員に近い店内のテーブル席から、コソコソという囁き声が聴こえてきた。
「うわ……すごい。気合入ってるね、あの娘……」
「元旦なら分かるけど、もう6日なんだけどなぁ……」
「でもさ……めちゃくちゃ晴れ着が似合ってない、あの子?」
「マジで……ごっさ可愛い……!」
「……オレ、あの子にちょっと声かけてくる!」
「止めとけ止めとけ。トイレ行って鏡見てこい、お前」
「――ちょっとッ! あっくん、あたしの目の前で、デレーって鼻の下を伸ばしてんじゃないわよ!」
「あ……ご、ごめん、ルイちゃん! や、止めて! 顔面にステーキの鉄板押し付けるのは……あああああああっ!」
「……」
脇を通り過ぎる度、耳に届く囁き声に、俺は思わず頬を引き攣らせる。……つうか、最後のテーブルの男の人、顔面は大丈夫だっただろうか……?
「……えと、こちらで宜しかったでしょうか?」
「あ……はい。大丈夫っす」
店員さんが指し示したのは、大きな窓ガラスに面した席だった。道を歩く人たちや、通りを走る車が行き交うのが良く見える。
俺は、店員さんに促されてソファに腰を下ろしながら、ふと数ヶ月前の事を思い出した。
そういえば――あの時、早瀬と初めてこの店を訪れた時は、一番奥で目立たない席に通されたんだっけ……。
――まあ、あの時は、早瀬は臓物柄Tシャツだったし、俺は俺で、某世紀末ザコモヒカンみたいなイカレた格好だったのだから、当然といえば当然である。
だが、あの日はまるで厄介者扱いで奥の席に案内されたのに対して、今日はこんなに外から目立つ席に通された――。
実に、感慨深い……。
俺はまるで、“人権を認められた”ように思えて、何だか嬉しくなる。
「……どうしたの、高坂くん? ニコニコして」
「……え? に、ニコニコ?」
早瀬に指摘され、俺は驚いて自分の顔に手を当てた。
「お……俺、笑ってた?」
「うん。何かにやにやしてたよ。何か、子供みたいでかわ……あ、ううん。何でもない」
「かわ……?」
慌てて口を押さえた早瀬が、途中で呑み込んだ言葉の続きが気になった俺は、首を傾げて、考えを巡らせる。
かわ……かわ……かわい……あ!
――かわいそう!
「こ……高坂くん? ど、どうしたの……?」
「あ……いや……気にしないで……」
突然、がくりとテーブルに突っ伏した俺に驚いた早瀬が、慌ててかけてきた呼びかけに、俺は力無い声で応える。
そ、そうか……。俺の笑顔って、早瀬には“可哀そうな子供の強がり笑い”みたいに見えているのか……。
そう心の中で考えながら、俺は出来るだけ平静を装った表情を作って顔を上げる。
そして、壁面に立てかけられたメニュー表を手に取った。
「ね、ねえ、早瀬さん!」
「へ、へっ? な、何……?」
俺が突然、妙に明るい声を上げた事に、早瀬は驚いた顔をする。
そんな彼女のややヒき気味の顔を見て見ぬふりして、俺はメニューを見せながら、早口で捲し立てる。
「さ、さあ、何を食べようか? ちょうど今お昼時だからこのランチメニューが頼めるみたいだよあっこのチーズインハンバーグランチとか良いなぁでもこっちの鶏肉の南蛮漬け定食も美味そうだしあでもこっちのグランドメニューもいいなおっミックスグリルってやつだとハンバーグと鶏肉のグリルとソーセージが一緒に載ってるんだでも少し多いかなぁあじゃあこっちのパスタメニューの方は――」
「ちょ、ちょっ! ちょっと待って、高坂くん!」
緊張やら何やらですっかりテンパって、まるで速射砲のように次々と言葉を紡ぎまくる俺を、早瀬は慌てた様子で制止した。
それでハッと我に返った俺は、顔を真っ赤にすると深々と頭を下げた。
「あ……ゴメン。な、何か……ご迷惑をおかけしまして……」
「う、ううん。大丈夫だよー。ちょっとビックリしただけだよ、えへへ」
そう言ってはにかみ笑いを浮かべた早瀬は、急にスッと立ち上がって、通路の方に出た。
俺は、突然の早瀬の行動に、少し驚いて、思わず尋ねる。
「あ、あれ? どうしたの、早瀬さん?」
「あ、うん……」
早瀬は、少し口ごもったが、ニコリと笑って答える。
「うん……ちょっと、帯がきついから、トイレで緩めてくるね。――高坂くんは、先に注文してて」
「え……? じゃ、じゃあ、早瀬さんは何にするの……?」
「ええと……高坂くんに任せるよー」
「え……で、でも……」
俺は『俺、早瀬さんが何を食べたいか、良く分からないんだけど……』と言いかけたが、早瀬は「じゃっ!」と言い残して、さっさとトイレの方に行ってしまった。
彼女が通り過ぎた傍らのテーブルから次々と、微かなどよめきと嘆息が、まるでさざ波のように起こって、そして静まっていく。
――そして、窓際の広いテーブル席には、ポツンと俺ひとりが残された。
「……はあ。だから、君が何を食いたいのか、俺には全然分かんないんだって……。帯を緩めるだけだったら、せめて何を注文するか伝えてから行ってよ……」
そう独り言ちた俺は、小さな溜息を吐くと、テーブルの上で開いたままのメニューを、取り敢えずペラペラとめくってみた。
いかにも美味しそうに見えるよう、計算されて撮影されたメニューの数々に、いつの間にか俺の口の中には唾がいっぱいに溜まっていた。
――と、その時、
「――ご注文は、お決まりですか?」
「ぶ、ふぉおっ!」
突然耳元でかけられた声に、俺は仰天して口を大きく開けて、絶叫した。――当然、口の中で満水状態だった唾は、俺の叫び声に乗って、まるで悪役レスラーが吐いた毒霧のように、テーブルの上に広く拡散してしまう。
「あ……す、スミマセン!」
俺は、慌ててナプキンを引き抜き、飛び散った唾を拭き取り始める。
――と、
「ああ、大丈夫っすよ。今、布巾で拭きますから」
そう言いながら、慣れた手つきでテーブルをゴシゴシと拭き始めたのは、オーダーを聞きに来たらしい、茶髪の若い男性店員だった。
俺は、慌てて店員さんに頭を下げる。
「あ、すみません。……て、あれ?」
俺は平身低頭して謝りながら、ふと眼前の男性店員の横顔を見て、ふと首を傾げた。
――何か、この人、どっかで見たような気が……?
と、テーブルを拭き終わった店員さんが、身を起こす。そして、俺の顔を見ると、ニコリと爽やかな笑みを浮かべた。
「あ――!」
そのチャラついたイケメン顔を正面から見た俺は、完全に思い出した。
この人は、この前、早瀬と一緒にこの店に来た時に、俺にさりげないアドバイスをしてくれて……、
「――お久しぶりっす、カレシさん」
――俺の事を、早瀬の“カレシさん”と呼んでくれた、あの店員さんだ!