重荷を負いて遠き道を行け
「じゃあ、行こっか、高坂くん!」
早瀬はそう言って、ニッコリと俺に微笑みかけると、先に立って歩き出した。
「あ――は、ハイッ」
俺も、慌てて頷くと、彼女の後に続く。――と、
「――ッ!」
彼女が背中に背負ったリュックの異様な様子に気付いた俺は、思わずギョッとして歩みを止める。
小柄な彼女には、些か大きすぎるように見えるそのリュックの表面には、小さな缶バッジがビッシリとくっついていたからだ。――もはや、本来の生地が見えないレベル……。
そして、その缶バッジの柄に目を凝らすと――その全てが、何やら耽美なキャラふたりが、艶っぽい流し目で微笑んでいたり、熱く絡み合ったりしているイラストだった。
そのキャラが、何の作品に出てくるキャラなのかは知らない。……だが、その作品がどういったジャンルに所属しているものなのかは一目瞭然だ。
……ボーイズ・ラブ。――所謂、BLものと呼ばれるヤツだ。
「は――早瀬さんっ? そ……そのリュックは……?」
目をまん丸に見開き、声を裏返しつつ、俺は思わず早瀬に訊いてしまった。――そして、口に出した直後に激しく後悔したが、もう遅い。一度吐いた言葉は、もう二度と口の中には戻らない……。
俺の言葉を耳にした彼女は、くるりと振り向くと、
「えへへ~! 気付いた? いいでしょ~」
と、自慢げな様子で、リュックを肩から下ろす。
そして、
「集めるの大変だったんだよ~。特に、このウォレッツ様は、イベント記念のスペシャルデザインで、三千個限定だったんだよ。――私ね、どうしても手に入れたかったから、始発で会場に行ったら、徹夜で並んでた人が、もう列を作っててさぁ。こりゃ、もうダメかなぁ……って半分諦めてたんだけど、そしたら運営の人が来てね――」
「あ――! そ、そうなんだ~! ……その……興味深い話だけど、それはまた今度、ゆっくりと聴きたいなぁ~、ははは……!」
どう考えても長くなりそうな早瀬の話を途中で遮って、俺は乾いた笑いを吐いた。
さも、興味ありげな雰囲気を醸し出したが、本音は、こんな広場の真ん中で交わす話題では無い事を悟り、一刻も早く会話を中断しなければならない必要に駆られたからだ。
幸い、早瀬は「つまんないの……」と愚痴りながらも、おとなしく頷くと、リュックを背負い直そうとする。……が、かなりの重量なのか、早瀬の腕力では、一度下ろしたリュックを持ち上げる事が出来ないようだ。
――あれ、これってチャンスじゃね?
その時、俺の眉間に、某ニュー〇イプの様に稲妻が走った!
……ほら、良くあるじゃん。デートの時に、彼が彼女のバッグを持ってあげるシチュエーション!
ひょっとしなくても、今が、それを実践する格好の機会なんじゃないだろうか?
俺は、爽やかな笑みを浮かべ――ようとした結果、無惨に失敗した、気持ち悪い引きつり笑いを浮かべつつ、彼女に申し出る。
「あ……あの……! りゅ……リュック……も、も、持つ――よ?」
――と、正直、通報されても文句を言えなさそうな、挙動不審の塊と化した俺に声をかけられた早瀬だったが、
「え、いいの? ありがと。じゃ、お願ーい!」
と、一片の疑念も無い朗らかな笑顔を俺に向けて、あっさりとリュックを俺に差し出してきた。
「あ、え……えと……あ、はい……」
こんな怪しい俺相手に、早瀬があんまり素直にリュックを委ねてきたモンだから、俺は逆に拍子抜けしてしまったが、取り敢えず、彼女に差し出されたリュックを受け取った――次の瞬間、
「う――ウオッ?」
肩が外れたかと思う程の急激な負荷に、俺は思わず呻き声を上げた。
ガクンと腕が下がり、早瀬のリュックを落としそうになるが、慌てて上腕に力を入れて、それを防ぐ。
「な……何コレェ? め――ッちゃくちゃ重てえ!」
ドラ○ンボールZで観た覚えのある、ピッコ○さんのマントを受け取ったクリ○ンの様な形相で、必死にリュックを持ち上げる俺。
「あ、ごめーん。その中身、ちょっと重いかもー」
「……いやコレ、“ちょっと”っていうレベルじゃないんですけど! な……何入ってんの、コレぇ?」
俺は、容赦無く肩に食い込むショルダーベルトの痛みに歯を食いしばりつつ、早瀬に尋ねるが、
「えへへ〜、いいモノだよー」
彼女は屈託の無い笑みを浮かべると、そう言って俺の問いをはぐらかすだけだった。
◆ ◆ ◆ ◆
(……肩痛え……)
俺は、ずっしりと肩にのしかかるリュックの重さに辟易としながら、早瀬の後をついて歩く。
日曜日という事もあって、駅前の歩道には人が溢れていたが、俺達が通ると、まるでモーゼの十戒の紅海の如く、自然に人波が割れ、道が開けていく。
――そりゃそうだ。
顔は可愛いけど、グロテスク極まる臓物Tシャツを着た女の子と、平凡な冴えない面のクセに、何処ぞの世紀末救世主か聖飢魔○的悪魔の如き、奇抜な格好の男が一緒に歩いていたら、誰でも避け……道を譲るに決まってる。
だけど、幸か不幸か――俺の意識は、この肩にめり込むリュックの重さの方に向けられていた為に、周囲から浴びせられる奇異の目を気にするどころでは無かった。
――に、しても……、
「あの……と、ところで、早瀬――さん?」
俺は、ぜえぜえと息を上げながら、もっとも気になっている事を訊こうと、声を上げた。
彼女は、こくんと首を傾げると、
「ん~? なぁに? 高坂くん」
真っ直ぐに俺を見て聞き返した。
彼女の一点の曇りも無い澄んだ瞳に見つめられた俺は、途端にしどろもどろになりながらも、なけなしの根性を振り絞って声を張る。
「あ……そ、その! あの……一体、どこに向かってるのかなって、思ってさ……。も、もう、十五分以上歩いてるけど、まだ着かないのかな……って思ってさ――はは」
「――あ。高坂くん、ひょっとして、行きたい所があった? もし、そうだったら――」
「あ、いやいや! そ……そういう訳では、全然無いんだけど……」
俺は、千切れるほどに首を激しく左右に振った。
そんな俺を前に、早瀬は整った眉をハの字にして、申し訳なさそうに言う。
「……ごめん、高坂くん。私、高坂くんの都合とか全然考えないで、プランを作っちゃった。勝手だよね、私……」
「あ――! ち、違う違う! ぜ……全然大丈夫です! つーか、俺はよく解らないから、もう寧ろ、早瀬さんのお好きな感じで……お任せでオッケーッス、ハイ!」
俺は、早瀬の顔が曇るのを見て、慌てて首をブンブンと振った。彼女にそんな顔をされたら、何も言えない……。
と、早瀬は「あっ!」と声を上げて、俺が担ぐリュックのショルダーベルトを掴んだ。
「ごめん! そういえば、荷物を持ってもらってたんだった! ずっと持たせっぱなしにしちゃって、ホントにごめんね。重いでしょ? もう良いから――」
「――あ、いやいや、大丈夫! このくらい、へっちゃらだよ、うん!」
正直、肩は限界に近付いていたが、俺は痩せ我慢をしてみせた。
――意地があんだよ、男の子にはぁ!
「……ごめんね。ありがと、高坂くん」
「あ……いや……」
すると、早瀬がニコリと俺に笑いかけてきた。その天使の様な微笑みに、俺は思わず目を奪われる。
そして、その大きな黒目がちの瞳をじっと俺に据え、はにかむ様な表情を浮かべると、小さく呟いた。
「……やっぱり、優しいんだね、高坂くんは」
「――ふ、ファッ?」
彼女の突然の発言に、阿呆の様に口をあんぐり開ける俺。
と、早瀬はくるりと振り返ると、その白魚の様な指を伸ばして言った。
「……もう少しで目的の店に着くから、そこまで頑張って、高坂くん!」
「……も、目的の店……?」
「そ。あの青い看板。あそこだよー」
早瀬の言葉に、俺は首を伸ばし、目をキョロキョロさせながら、彼女の言う“青い看板”を探す。
――幸い、その青い看板はすぐに見つかった。
俺は、看板に書かれた店の名前を読み上げ――、
「あ……アニメィトリックス……栗立店……?」
――何とも言えない、嫌な予感を覚えた。