底辺喪男の勘違い暴走譚
早瀬からの「ごめんなさい!」という謝罪の言葉を聞いた俺は、つい先ほど、LANEのトーク画面でも感じた違和感を思い出した。
純粋な疑問と、僅かな不満が、ない交ぜになって混乱する気持ちを抑えて、俺はおずおずと訊き返す。
「あ……あの……そ、それ……、何に対しての――」
『あ! そうだ! その前に――』
「ふ、ふぇっ?」
『あの……あけましておめでとうございます、高坂くん!』
「え……あ、あぁ……あけましておめでとうございます、は、早瀬さん……」
突然の新年のあいさつに、俺は意表を衝かれながら、慌てて挨拶を返した。電話越しで、早瀬には見えようはずもないのに、ペコリと頭まで下げてしまい、思わず苦笑いを浮かべる。
――と、電話越しに、早瀬のはにかんだような声が聞こえてきた。
『えへへ……そういえば、まだ高坂くんにおめでとう言ってなかったなぁって思い出して。ごめんね』
「あ……いや、それは別に――って、さっきの『ごめんなさい』も、その事で――?」
『――あ、ううん。それは……また別の件だよ』
一瞬、いつものように和んでいた早瀬の声に翳が射したように感じ、俺の胸は不安で高鳴った。
俺は、ゴクリと唾を呑むと、恐る恐る問いかける。
「……じゃあ、あの『ごめんなさい』は、どういう意味の――」
『ええとね……それは……』
俺の問いかけに、早瀬は一瞬言い淀むが、すぐに言葉を続けた。
『あの……何か、去年のうちに、高坂くんからメッセージをもらってたのに、返してなくてごめんなさい――って』
「ああ……そっちか……」
さっき、メッセージを見た時の推測の一つが当たっていた訳だ。
俺は小さく頷き、小さく息を吐いた。
「――別に大丈夫だよ、そんなに気にしないでも。俺も……全然気にしてなかったから」
……もちろん、嘘である。
メッセージを送ってからずっと、心のどこかで常に気にかけていた訳だが。
それこそ、朝から晩まで、暇さえあればスマホのスリープを解除して、返信が来てないかチェックしていたのだ。この数日間の酷使で、スマホとバッテリーの寿命は確実に縮んでいるに違いない……。
――なので、今の言葉は、完全に強がりだ。
『……本当に、ごめんなさい……』
「だから、もういいって……」
重ねて謝罪の言葉を繰り返す早瀬に、俺は宥める様に言った。
いや、正直、少しイラついて、棘のある言い方だったかもしれないが、しょうがない……。
――と、
「……でもさ」
俺は、ふと気になって、彼女に向けて訊いてみる。
「何で、今になって……?」
『ええと……それは……』
俺の問いに対し、早瀬が口にしようとする答えを聞き逃すまいと、高鳴る血管の脈動音をうるさく感じながら、じっと耳を欹てる。
僅かな沈黙の後、早瀬の答えが電波に乗って、俺の鼓膜を震わせた。
『実は……あのクリスマスの後、私は家族と一緒にハワイまで旅行に行ってたの』
「は――わい……?」
意外な早瀬の答えに、俺は思わずあんぐりと口を開けた。
「は……はわいっていうと、業界で言うところの“ワイハー”ってヤツ?」
『えと……ハワイはハワイだよ……? 歌で有名なカメハメハ大王の島……。あー、あと、チョコレートのお土産も有名な――』
「あ、ああ、ハイハイ! ハワイねハワイ! あー完璧に理解したわー! あははは……」
早瀬の答えを聞いた俺は、声を上ずらせつつ、甲高い笑い声を上げた。
「あー、ナルホドナルホドォ~! 海外に行ってたんだ、早瀬さんは……! 確かに、海外でスマホを使ったら、料金がヤバいって聞くしね……。それで、スマホを家に置いていった――と」
『あ、ううん。……一応持って行ったけど、メインはデジカメとして使ってたって感じかな? 機内モードにして、電波が入らないようにして……』
「あー、なるほど……」
彼女の言葉を聞いて、俺は思わず頷いた。道理で、LANEのメッセージを送っても既読が付かないわけだ。早瀬は、ずっと電波の届かないハワイに居たのだから……。
「それで……、今日帰ってきたって事?」
『うん』
「え……? じゃあ、今居るのは空港なの?」
『うん。入国手続が終わって、親戚のおじさんが迎えに来てくれるまで待っているの。それで、待ってる間に、溜まってたLANEのあけおめメッセージの返信とかしてたら、高坂くんからメッセージが届いてる事に気が付いて……それで』
そこまで言うと、早瀬は僅かに言葉を途切れさせ、一拍置いてから『ごめんなさい……』と言ってきた。
それを聞いた瞬間、俺はブンブンブンブンと激しく首を横に振りながら、慌てて早瀬の事を宥めようとする。
「あ、い、いいや! 大丈夫大丈夫、ダイジョーブ博士! 『科学ノ発展ニ、行キ違イハツキモノデース!』だよ! 全然平気だから、気にしないで、ね!」
『そ……そう……?』
「そうそう! つか、こっちこそゴメンね! 変に不安にさせちゃったみたいで……」
――ああ、なんだ。勘違いだったんだ。
俺が送ったLANEメッセージを、早瀬がわざと未読スルーしていた訳じゃなかったんだ。海外旅行という、やむにやまれる事情によって、読むどころか、メッセージが到着していた事自体、彼女は今日まで知る由も無かったんだ……!
早瀬の説明によって、さっきまで俺の心に蔓延っていたはずの、鬱屈とした負の感情はきれいさっぱりと消え失せてしまった。
そしてそこには、今更ながらに、自分が早瀬と一対一で通話できている事に気が付き、優越感と多幸感に満たされながら、エヘラエヘラと気持ち悪い笑みを浮かべる俺の姿があった。
――嗚呼、チョロい。チョロすぎるぞ、高坂晄!