誰がために通知音は鳴る
「え……? な……何、で?」
俺は、スマホの画面を凝視しながら、うわ言の様に呟いた。
明るく光る液晶画面。LANEのアカウント一覧の中で一際存在感を放つ、赤い新着バッジ。
“1”とカウントが入ったバッジがくっついているのは、『YUE♪』――誰あろう早瀬結絵のアカウントの欄だった――。
俺は、瞬きもせずにそれを凝視しながら、グッと唇を噛み締める。
「な……何で今更……このタイミングで、早瀬からメッセージが来るんだよ……? 今まで、ずっと未読スルーしてたのに……」
……正直、あのクリスマスイブ以来、全く反応を返してこなかった早瀬に対して、モヤモヤした思いを抱いていないと言えば嘘になる。むしろ、怒りにも似た感情が胸の奥で煮凝っているのを、薄々と感じてさえいる。
でも、それ以上に――彼女から反応があった事が嬉しいと感じた事も……間違いない。
「……」
俺の胸の中で、感情がとぐろを巻くのを感じながら、ジッとスマホの画面を睨み続ける。早瀬からのメッセージが、追加で送られてこないかと思いながら。
――だが、俺のスマホは、さっき鳴動したっきり、ピクリとも動かなかった。
「ううん――どうしよう……」
俺は、“1”のまま動かない新着バッジのカウントを睨みつけたまま、戸惑いの声を上げた。
……どうやら、これ以上待っているだけでは、状況の進捗は無いようだ。
そして、俺の興味は、新着バッジの向こう側へと移る。
「――どんな内容なんだろ……?」
俺はそう呟くと、恐る恐る指をスマホの液晶画面へと伸ばした。
――だが、
俺の指は、液晶画面の数ミリ手前で、金縛りにでも遭ったようにピタリと止まる。
――怖い。
このまま“YUE♪”のアカウントを押して、開いたトーク画面に何が書かれているのか……それを知るのが、これ以上なく怖かった。
でも……知りたい。
あの日以来、何の接触もしてこなかった早瀬が、今日になって、突然送ってきたメッセージの内容が一体どういうものなのか――無性に知りたい……。
知りたいけど、知りたくない。
知りたくないけど、知りたい。
俺の心の中は、台風と竜巻が一緒に来たように、ぐじゃぐじゃに荒れ狂っていた。
――と、
ピロリンッ♪
「う、うわぁッ!」
再び鳴った軽快な通知音に、俺はテキメンに驚き――うっかり、スマホの画面と指を接触させてしまった。
「あ――! や……やべっ――くは……無い……無く……ない……?」
我ながら意味の分からない事を口走りながら、俺は、指が触れた瞬間切り替わったスマホの画面から反射的に顔を逸らし、固く目を瞑った。
左胸の中で、心臓が破裂するんじゃないかと心配になる程に跳ね回り、横隔膜は仕事をせず、まともに息を吸えない。
うう……だんだん、気が遠くなってきた……。
「ふぅ~……ふぅ~……」
このままじゃヤバいと思った俺は、スマホを持った右手を目いっぱい伸ばして、自分の視界に入らないようにする。そして、左手で心臓を押さえつつ、大きく深呼吸をした。
「すぅ~……はぁ~……すぅ……はぁ……」
だんだんと心臓の鼓動が落ち着いて、呼吸も整ってくる。新鮮な酸素を含んだ血液が、身体の中を循環し始めたのか、色んな感覚も戻ってきた。
「ふぅ~……」
ようやく平静を取り戻した俺は、最後にもう一度大きく息を吐く。
そして、顔を逸らしたまま薄ーく目を開けて、右手の先で明るく光る液晶画面を、恐る恐る……見てみた。
――開かれたトーク画面は、最後に見た時より、
『ごめんなさい!』
『起きてますか?』
という、二つのメッセージが増えていた。
「……『ごめんなさい』?」
画面を見た俺は、思わず怪訝な声を上げる。そして、薄めていた目を全開にして、早瀬からの不可解なメッセージを見直す。
……やっぱり、見間違いじゃない。
俺は、スマホを凝視したまま、首を傾げながら呟く。
「何だ……? 何に対しての『ごめんなさい』なんだ……?」
――クリスマスイブに、俺をフッた事?
――俺からのメッセージに対し、今日まで無反応だった事?
「……どっちも考えられるなぁ。――いや、その両方だって可能性も……」
頭を捻ってみるが、たった六文字の言葉から、これ以上彼女の意図を推測する事は難しそうだ……。
と、俺は、その次に送られてきたメッセージに注目してみる。
「……『起きてますか?』は、多分、自分が送った『ごめんなさい!』に俺が無反応だったから、もう寝てしまったのか確認しようと送ってきたんだろうな……」
自分の方は、俺が清水の舞台からノーロープバンジージャンプをかます思いで送ったメッセージに対して、数日ガン無視を決め込んでたクセに……と、心の中でドス黒いモノが湧き出すのを感じた俺は、慌てて首を激しく振って、頭の中からマイナスの感情を振り払った。
――そして、
「やっぱり……送られた文には、キチンと返信しないとね……うん」
と、自分に言い訳するように呟きながら、俺はしかめっ面で返信入力欄をアクティブにし、単語を入力し始める。
そして、何度か文面を消したり、言葉を足したり、やっぱり削ったりしながら、ようやく返信文を書き上げた。
『はい。起きてます』
五分以上もかけて推敲した結果、この上なくシンプルになった返信文に、俺は一抹の不安を覚える。
ただ、これ以上ああだこうだと悩み続けても埒が明かないと考えを切り替えた俺は、
「ええい、ままよっ!」
と、どこぞの金色だか赤だかが好きな人みたいに叫んで、勢いよく『送信』ボタンをポチッと押した。
「……あ」
直後、何だか取り返しのつかない事をしてしまったような気がして、後悔しかけるが、もう遅い。
『覆水盆に返らず』ならぬ『送信メッセージ取り消せず』だ。
トーク画面の最新に、『はい。起きてます』が表示される。
――と、すぐさま、メッセージの横に『既読』の文字が付いた。
「うぇっ? は、早ぇっ!」
既読が付くまでのスピードに驚く俺だったが、更に追い打ちをかける様に鳴った通知音に、俺は文字通り飛び上がった。
そしてまた、恐る恐るスマホの画面を覗き込む。
そこには、
『今、大丈夫ですか?』
という短いメッセージが……。
「だ、大丈夫……? な、何がだろ……?」
またしても短文のメッセージに、早瀬の意図が掴めず戸惑う俺だったが、
『はい。大丈夫です』
と、取り敢えず返信してみた。何に対する“大丈夫”なのかは、全く分からないままだったが……。
「……」
そして、汗の滲む掌でスマホを持ちながら、彼女からの返信を待つ俺だったが、
……チャン チャララ チャン チャン♪ チャン チャララ……
「う――うおぉっ? ――いでぇっ!」
突然、手元で軽快な音楽を奏で始めたスマホにビックリして、思わずベッドから転がり落ちる。
「い……痛ちちちち……」
強かに打った腰を擦りながら、俺は涙目で、まだ鳴り続けるスマホを見た。
スマホの液晶画面は、今度は通話の着信画面になっていて、そこには11ケタの電話番号と――“早瀬さん”という名前が表示されている……!
「う……うぇ? は、早瀬さん……? 電話、かけてきた……?」
俺は、激しく狼狽しつつ、『早く出ないと切れてしまう』という焦燥に駆られ、画面の『通話』ボタンに指を置く。
一瞬、躊躇するが、意を決して、緑の通話ボタンを勢いよくスワイプした。
――画面が切り替わり、『早瀬さん』の名の下のカウントが動き始める。
「……」
俺は、ゴクリと唾を飲み込むと、ぎこちない動きでスマホを耳に当てた。
「……も、もしもし……」
そして、緊張でひび割れた声で、スマホの向こうに呼びかける。
――すぐに、あのクリスマスイブの夜に耳にしたっきりだった……聴きたくて聴きたくなかった声が、俺の耳に届いた。
『あ……こ、高坂……くん?』
「……あ……ハイ……」
一言、名を呼ばれただけで、溢れ出しそうになる色々な思いを、瀬戸際で懸命に食い止めながら、俺は電話越しに頷く。
スマホの向こう側で、微かに息を呑んだような気配がした……次の瞬間、
『……ごめんなさいッ!』
上ずった早瀬の声が、俺の鼓膜を激しく揺らした――。