Sheer Heartbreak
ハンバーガーセットを食べ終わった俺は、テーブルの上に、諏訪先輩の持ってきた原稿用紙の束を広げた。
諏訪先輩――星鳴ソラの作品のひとつであり、『Sラン勇者と幼子魔王』を完結させた後、止まっていた更新を進め始めた『愛と呼ぶには辛すぎる』のプロットである。
クリスマスイブ以降、学校が冬休みに入ったという事に加えて、俺があんな調子だったのもあって、俺と諏訪先輩の間で、星鳴ソラ作品の“打ち合わせ”が全然出来ていなかった。
だから、初詣に来たついでに打ち合わせもしてしまおうという、俺の提案で、諏訪先輩に書き溜めていたプロットを持って来てもらうよう頼んでいたのだ。
俺は、微かな期待に胸を膨らませつつ、原稿用紙に手書きで書き込まれたプロットを手に取った――。
――そして、
プロットに一通り目を通し終えた俺は、大いに当惑した。
眉間に皺を寄せた顔を上げて、向かいの席の諏訪先輩の顔を見る。
「……こうなるんですか、ラスト?」
「ええ……おかしいかしら?」
カタカタと軽快にワイヤレスのキーボードを叩き、目はテーブルの上に立てたタブレットに向けたまま、諏訪先輩は軽く頷いた。
「いや……、おかしくは……ないっすけど……」
俺は諏訪先輩の答えに戸惑いつつ、憮然とした顔で、手にした原稿用紙に目を落とす。
「でも……、これじゃ、バッドエンドじゃないですか……」
そうなのだ。
プロットでは、ラストシーンまでの大まかな展開が、既に書き込まれていた。
それによると、
――主人公アカリが想いを寄せていた瑞樹が、紆余曲折の末に彼女と疎遠になる。アカリはふたりの仲を取り持とうと懸命に奮闘し、その甲斐あって、最終的には瑞樹と彼女はよりを戻す。
ラストシーンでは、ふたりの仲睦まじい様子を遠目で見ながら、結局、瑞樹に自分の想いを告げる事の無かったアカリは、安堵と絶望とがないまぜになった気持ちを抱いたまま、一筋の涙を流す――
というものだった。
俺は、このプロットにどうにもモヤモヤしたものを感じてしまって、口をへの字に曲げて、原稿用紙とにらめっこする。
――と、
「……高坂くんは、それをバッドエンドだと思うの?」
キーボードの上を走らせる指は止めぬまま、諏訪先輩が俺に尋ねてきた。
「え……?」
まさか、そんな風に問い返されるとは思わなかった俺は、虚を衝かれた。
思わず諏訪先輩の顔を凝視するが、先輩の表情には変化無く、キーボードで打ち込まれていくタブレットの文字を、淡々と目で追っている。
取り敢えず俺は、テーブルの紙コップを手に取り、中の水を一口飲む。
そして、ぎこちなく頷くと、先輩の問いに答えた。
「え……と、そ……そうです。バッドエンドだと思います、俺は……」
「……そうなんだ」
諏訪先輩は、俺の答えに小さく頷き返すと、キーボードを打つ手を止めて、目を俺に向けた。
「じゃあ……高坂くんは、どこら辺がバッドエンドだと感じたのかしら。聞かせてくれない?」
そして、静かな声で、そう問いを重ねた。
「あ、はい……ええと……」
俺は、先輩の声の響きに気圧されながらも、一生懸命脳内に散らばる言葉を掻き集めながら、言葉を紡ぎ出そうとする。
「そ、そうですね。……やっぱり、結果はどうあれ、アカリが瑞樹に告白はしてほしいというか、するべきだというか……」
「……『するべきだ』っていうのは、どうして?」
「う……うーん、そう言われると……」
俺は首を傾げると、テーブルに片肘を載せ、頬杖を突きながら考える。
そして、目を薄く閉じて、ぼんやりとテーブルの隅に視線を向けながら、感じた事を正直に舌に乗せてみる。
「――やっぱり、告白もしないで、想いを胸に圧し込んだままでいたら、アカリはずっと前に進めないと思うんですよ」
「……」
「このラストシーンの後も、アカリの人生は続いていくんですよね。当然、瑞樹や、その彼女の美雨の人生も……。つまり、この先アカリは、幸せそうなふたりの人生をすぐ近くで見せつけられながら――ふたりに、決して自分の本当の心を知られる事が無い様、ずっと生きていかなきゃいけな――」
「……でも!」
突然、俺の言葉を遮って、諏訪先輩が声を上げた。さっきまでとは違い、メガネの奥の黒い瞳が微かにキラキラと光り、その頬は熱を帯びているかのように、赤みを帯びている。
だが、先輩が感情を剥き出しにしたのはほんの一瞬で、すぐにいつもの冷静な彼女に戻った。
諏訪先輩は、すっかり温くなったコーヒーに口をつけると、小さく息を吐くと、静かに言葉を発した。
「――でも。もし、アカリが瑞樹に告白してしまったら、それまでの三人の関係が崩れてしまうかもしれないじゃない? 険悪になるかもしれないし……もしかしたら、それがきっかけで完全に壊れてしまうかもしれない……。アカリは、そうなるのが嫌だったから……丸く収めようと、自分の心だけを犠牲にして――」
「そんな消極的な自己犠牲、クソ食らえっすよ!」
「――!」
思わず口を吐いた俺の激しい言葉に、諏訪先輩は驚いた顔をして、目を大きく見開いた。
俺は、「あ、スミマセン……」と詫びて、頭をポリポリと掻きながら、言葉を継ぐ。
「というか……結局それって、アカリは瑞樹も美雨も信じていないって事になるんじゃないですか?」
「え……?」
「だってそうでしょう? アカリは、瑞樹と美雨が疎遠になった時に、こんなにも手を尽くして、よりを戻させようとしてる」
「……」
「その時に、アカリはふたりに言ってますよね。『ふたりの絆は強いわ。何人にも、絶対に引き裂けないはずよ』――って」
「……うん」
「――それって、『ふたりの絆は、たとえ自分でも引き裂けない』って事ですよね?」
「それは……」
「そうなんですよ」
俺は、確信に満ちた声で、キッパリと言い切った。
「――アカリがそう考えているんだったら、尚の事、彼女は瑞樹に告白すべきです。瑞樹にハッキリとフラれる為に」
「でも……それじゃ……」
俺の言葉に、諏訪先輩は当惑の表情を浮かべる。
「それじゃ……アカリは、結局傷つくじゃない。だったら、自分の気持ちは伏せたままにしておいて、今までの関係を保った方が――」
「……それじゃ、アカリは地縛霊になっちゃいますよ」
「じ、地縛霊……?」
俺の口から出た場違いな言葉に、諏訪先輩は意味を掴みかねたように首を傾げた。
だが、俺はそれに構わず、言葉を継ぐ。
「そのまま、アカリが気持ちを封印してしまったら、彼女はいつまでもそこで囚われ続ける事になります。どうあっても、彼女の心は動かない……いや、動けない。――だから、地縛霊」
「……」
「――だったら、当たって砕ける事は承知の上でも、瑞樹にぶつかって心を粉々に砕いた方が良いんですよ。跡形もなく吹き飛んで、未練を絶っちゃえば、心は自由です。新しい恋を見つける事も出来ます。……ちょうど、成仏した魂が、新しい人生に“転生”するみたいに」
「…………」
「……いや、何かリアクション下さい……。自分で言ってて、無性に恥ずかしくなってきた……」
「ぷっ……ごめん」
久しぶりに、諏訪先輩の顔に笑顔が浮かんだ。俺はそれを見て、心の奥の方が温かくなるのを感じる。
――と、
「……そうね。そうかもしれない……」
先輩は、そう呟きながら、何度も軽く頷く。……それは、俺に向けてと言うよりは、先輩が自分自身を納得させようとさせているかのように見えた。
「……うん」
最後に、踏ん切りをつける様に大きく頷くと、今度は何かを俺の顔をジッと見た。
「あ……え、えへへ……」
良く分からないまま、とりあえず引き攣った愛想笑いを返してみる俺。
――と、諏訪先輩は俺に向けて、もう一度深く頷いて言った。
「ありがとう。参考になったわ。少し、考えてみる……」
そして先輩は、彼女には珍しい、屈託の無い笑みを浮かべたのだった。