神に願いを
「長かったっすね……」
「うん……長かった……」
拝殿参拝の順番待ちの列に並んでから一時間。
やっと、拝殿の階に足を掛けるところまで来て、俺と諏訪先輩は小さく溜息を吐く。
ふと振り返ると、俺たちの後ろにはずらりと人の頭が二列になって並んでいて、その最後尾は門の向こうまで続いていて、ここからは見る事が出来なかった。
「ああ……『人がゴミのようだ』――」
「言うと思った」
「……」
某大佐の名言で悦に浸ろうとした俺に、冷ややかな声を浴びせかけた諏訪先輩は、肩からかけていたショルダーバッグから、ガマ口財布を取り出し、中から小銭を二枚取り出すと、一枚を俺に差し出した。
「はい」
「……へ?」
突然五十円玉を突きつけられて、俺は意味が解らずに首を傾げた。
「な……何すか、いきなり?」
「何って……お賽銭だけど」
「お……お賽銭?」
諏訪先輩の答えに、俺はますます混乱する。
そんな俺に、諏訪先輩も怪訝な表情を浮かべる。
「どうしたの? 知らないの、お賽銭?」
「い――いや、さすがに賽銭くらい知ってますけど……。何で、それを先輩から渡されるんですか?」
「? あげないの? お賽銭……」
「いや、あげますけどぉっ!」
俺はそう叫ぶと、尻ポケットから自分の財布を取り出す。
「何で自分の分の賽銭を、諏訪先輩から貰わなくちゃいけないんですか! こ、子供じゃないんで、それくらい自分の財布から出しますって!」
「あ……そっか……」
俺の言葉に、諏訪先輩はビックリした表情を浮かべ、五十円玉を乗せて、俺に向けて差し出していた手を引っ込めた。
「……そうよね。いっつも、ウチのタイガに渡してるから、ついいつもの癖で……」
「……俺の事を、たいがくんと同じレベルとして認識してるって事っすか……」
先輩の言葉に、俺は地味に傷つく。
意気消沈する俺を前に、諏訪先輩はオロオロしながら、首を横に振った。
「ち……違うのよ。昨日、ウチの近所の神社に初詣に行った時にも、タイガたちにお賽銭を渡したから、つい条件反射で……」
「あー、なるほど」
俺は、珍しく――でもないか。……とにかく、狼狽えている諏訪先輩に小さく頷きかけると、二つ折り財布の小銭入れのテープを、これ見よがしにベリベリと音を立てて剥がしながら言った。
「ありがとうございます。――でも、たいがくんとは違って、俺は立派な高校一年生ですからね。もちろん、神様への賽銭は自腹……で――」
俺のドヤ顔は、言葉の途中で曇った。眉を顰めると、小銭入れの中に突っ込んだ指をせわしなくまさぐってみる。
――が、俺の指は、小銭入れの中で虚しく宙を掻くだけだった。
「あ……あれぇ? お、おかしいな……? ええと……」
「……どうしたの? あ、ひょっとして……」
俺の怪しい動きと表情に気付いた諏訪先輩が、ズイッと顔を寄せてくる。そして、眼鏡の奥の黒い瞳を俺に真っ直ぐに向け、小さな声で囁きかけてきた。
「……小銭、持ってないの?」
「う……まあ、は、はい……」
俺は、色々な意味で頬を赤く染めながら、小さく頷いた。
「お……おかしいなぁ。お札は入ってるんですけど、細かい小銭が……」
「……」
「……あ! で、でも、Suikaならありました!」
俺は、カード入れから緑のカードを取り出し、顔を綻ばせる。
「こ……これがあれば、小銭を持っていなくても電車に乗れるし、買い物もできるし、神様に賽銭をあげる事も出来る! 高坂晄は、あと十年は戦える――」
「……ここのお賽銭箱、Suikaに対応してるかしら?」
「……してないっすよね、こんな古い神社で、電子マネー対応なんて……あはは、はは……」
諏訪先輩の冷静で的確なツッコミを前に、ぐうの音も出ずに、乾いた笑いを浮かべる事しかできない俺。
そんな俺に呆れ顔を向けた諏訪先輩は、溜息と共に肩を竦めると、一度引っ込めていた手を伸ばし、指先に摘まんだ五十円玉を俺に押し付けた。
「来年は、ここの神様がSUIKAを導入してくれてればいいわね」
「あ……はい……すみません……」
俺はバツの悪い思いを抱きつつ、掌を出して、諏訪先輩から五十円玉を受け取った。
と、丁度その時、俺たちの前に並んでいた人たちが、拝殿に向かって深々と一礼して、階を降りていった。
「あ……先輩。次、俺たちの番です」
「あ、うん」
諏訪先輩を促し、俺たちはようやく拝殿の前に立つ。
目の前の大きな賽銭箱に、諏訪先輩から借りた五十円玉を放り投げ、目の前に垂れ下がった紅白の綱を左右に揺らす。
ガランガランと、頭上の大きな鈴が大きな音で鳴った。
……って、こっからどうするんだっけ……。
確か、二回お辞儀して、一回拍手して……いや、三回だっけ……? ――あれ? 最初に拍手するんだっけ? ……どうだったっけ?
「――二拝二拍手一拝よ」
「……え?」
うろ覚えだった参拝の作法を何とか思い出そうと焦る俺は、隣からの声にハッとして顔を向ける。
――顔は真っ直ぐ前に向けたまま、横目で俺の方を心配そうに見ている諏訪先輩と目が合った。
俺は、目をパチクリさせながら、オウム返しで先輩の言葉を繰り返す。
「え……えと、ニハイニハクシュイチハイって……、確か二回お辞儀して、二回拍手して――」
「……私のする通りに動いて」
諏訪先輩は、眉根を顰めて目を険しくさせると、小さく囁いた。
……何か呆れられたっぽいけど、しょうがない。ここは先輩の言葉に甘える事とする。
「……はい」
俺が頷き返すのを確認した諏訪先輩は、目を前に向けると、両手をおへその辺りで軽く組んで、45度くらいの角度で二回頭を下げた。
それに倣って、俺も先輩と同じようにへその前で手を組むと、カクカクとぎこちない礼を二回する。
「……ぷっ!」
……何か、隣で噴き出された。
俺は思わずムッとするが、
パンッ パンッ
という乾いた音を耳にして、慌てて自分も二回手を打つ。
拍手を打った諏訪先輩は、打った手を顔の前で合わせると、静かに目を閉じた。
……あ、このタイミングでお祈りするんだ。
俺も慌てて手を合わせると、ぎゅっと目を瞑る。
……
…………
………………あ。
そして、この期に及んで、俺は重大な事に気が付いた。
――そういえば……俺、神様に何をお願いするか、全然考えてなかった……。