ハレ着レユカイ
俺と諏訪先輩は、参道脇のベンチに座って、参拝の為、本殿へと歩いていく人々を眺めていた。
正月らしく、華やかな柄の和服を着た女の人たちもちらほらと居て、道行く人々の顔も心なしか晴れ晴れとしている。
「……こういうのを見ると、正月だなぁ~って思いますね」
俺は、目の前を通り過ぎた、着物姿の若い女の人達を目で追いながら、何の気なしに呟いた。
すると、
「……ごめんなさいね。着物じゃなくって」
「ふ――ふぇっ?」
明らかに険のある諏訪先輩の声に、俺は慌てて振り向いた。
見ると、口をへの字に結んだ諏訪先輩が、頬をぷうと膨らませている。
ありありと不満の表情を浮かべた諏訪先輩の横顔を前に、俺は目を白黒とさせつつ、おずおずと尋ねてみた。
「え? ど、どうしたんですか、いきなり……」
「――だって今、高坂くん、着物姿の女の人を偏執的に凝視しながら言ってたじゃない。それって、暗に私に向けて言ってたんでしょ?」
「あ――い、いやいや!」
諏訪先輩の言葉に戸惑いつつ、俺は慌てて首と手をブンブンと横に振る。
「い……今のは、そういう意味で言ったんじゃなくって……。っていうか、何ですか、『偏執的に凝視』って! それじゃまるで、何か俺がヤバい人みたいじゃないですか! そ……そんなネットリとは見てませんって!」
「あ、見てたのは認めるのね」
大声で否定する俺を横目で睨みながら、先輩は言った。
俺は――金魚のようにパクパクと口を開閉させながら目を白黒させたが――しぶしぶ頷く。
「ま――まあ、み、見ましたけど、本当に一瞬ですヨ……」
「あら、そう? まるで防犯カメラみたいに首を廻らせながら、じっっくりと見てたみたいだったけど」
「う……」
誤魔化そうとしたが、先輩には先刻お見通しだったようだ……。
と、
「……って」
俺は、ある事に気付いて首を傾げた。
「ていうか……、何で先輩知ってるんですか? 俺が、着物姿の女の人をガン見してたって――」
「う……」
今度は、諏訪先輩が口ごもる番だった。
俺は、何故かモジモジしている諏訪先輩の様子を、怪訝に感じながら、更に問いを重ねる。
「俺がガン見してるのを見てたって事は、先輩も俺の事をガン見してたって事――」
「や……やっぱり! お、お正月だったら、和服とかを着た方が……い、いいのかしら?」
「え? あ……そうっすね……」
俺の問いかけを途中で遮るように、声のトーンを上げた諏訪先輩に逆に尋ねられ、俺は戸惑いながらも考え込む。
「ま……まあやっぱり、『正月イコール晴れ着』っていうイメージはありますよね……正直」
「そのイメージって、どうせラノベとかアニメとかからのものでしょ、高坂くんの場合」
「……ええ、まあ……はい……」
図星を衝かれて、しぶしぶ頷く俺。
そんな俺の顔を、再びジト目で睨んだ諏訪先輩は、大きな溜息を吐く。
「発想が単純よね、男の子って」
「……」
言い返す事も出来ず、気まずい気分になった俺は、口を尖らせて甘酒を啜った。
――すっかり冷めちゃったけど、それでも美味いなぁ。もう一杯、おかわりとかできないかな……?
なんて事を考えながら俺は、真っ青に晴れ渡った正月の空を見上げる。……だって、通行人なんか見てたら、また諏訪先輩にツッコまれてしまうと思ったから。
「――でもまあ、そうよね……。正月にしては、パッとしない格好よね、私……」
「え?」
俺は、隣からぼそりと聞こえてきた声のトーンの暗さに驚いて、思わず目を向けた。――隣に座っている先輩が、浮かない顔でコートの袷を寛げて、自分の服装を確認しているようだった。
つられて、俺も諏訪先輩の服装を改めて見直してみる。
――今日の諏訪先輩は、クリスマスイブの時にも着ていた茶色い膝丈のコートを着ていて、その下には灰色っぽいセーターとベージュの裾がブワッと広がったズボンという出で立ちをしていた。
「まあ、確かに地……落ち着いた装いですけど、諏訪先輩にはよく似合っていると思います……ハイ」
「今……“地味”って言いかけたでしょ、高坂くん」
「ふぇっ! あ……いや……その……スミマセン……」
「……ぷっ!」
俺を怖い顔で睨みつけた諏訪先輩だったが、答えに窮した俺がしどろもどろになったのを見ると、突然噴き出した。
先輩は、慌てて口を押さえて、俺から顔を背けるが、その肩は小刻みに震えていて、明らかに笑いをこらえているのがアリアリと分かった。
その様子を見て、俺は思わず憮然とする。
「……いや、そんなに笑わなくてもいいじゃないですか……」
「ふふ……ごめんなさい。目をキョロキョロさせてる高坂くんの顔が……おかしくって。ふふふ……」
「……」
お腹と口元を手で押さえて、愉快そうな笑い声を上げる諏訪先輩に、今度は俺がむくれる番だった。
――まあ、先輩の機嫌も直ったようなので、それで良しとしよう、うん。
と、
「……ねえ、高坂くん」
「……何ですか?」
どことなく躊躇うような調子に変わった諏訪先輩の声に、俺は小首を傾げながら聞き返す。
先輩の顔は、やや俯きがちになっていた。少しだけ茶色に染めた髪の毛で隠されていて、俺の目からは彼女の顔は窺い知れない。
先輩は、掠れ声を僅かに震わせながら、恐る恐るといった感じで言う。
「――もし、私が着物を着たりなんかしたら、どうだと思う……?」
「え……? 着物……先輩が、ですか?」
先輩からの妙な問いかけに、俺はキョトンとした表情を浮かべる。
でも、聞かれたので、視線を中空に漂わせながら、“諏訪先輩の着物姿”を想像してみた。
――うん、背が高めの諏訪先輩なら、すらりとしたシルエットの着物が似合いそうだ。ストレートの長い髪はそのままでも、アップに纏めてもいい。
うん、先輩の眼鏡もいいアクセントになりそうだ。悪くなさそう。
……まあ。着物って、胸が目立たなくなるから、そこは少し残ね――、
「――高坂くん?」
「あ――ふぁ、ふぁいっ!」
怪訝そうな諏訪先輩の声に、ハッと我に返った俺は、思わず素っ頓狂な声を上げた。
「あ! い……いや、スミマセン! その……あ、あくまで想像しただけで、そういうやらし――」
「……やっぱり、柄じゃないわよね」
「え……?」
――どうやら、先輩の胸について思いを巡らせていた事はバレていないようだ。俺はホッとすると同時に、先輩に向かって大きく首を横に振った。
「い、いえ! そんな事無いっすよ! 絶対に似合うと思いますよ、ほんと!」
「……そう、かな?」
キッパリと言い切った俺の言葉に、諏訪先輩の声が少し弾んだように聴こえた。
彼女は、顔は俯いたまま「……ありがと」と、俺に言う。そして、両手を落ち着かなさげに組み合わせながら、おずおずといった感じで言葉を継ぐ。
「じゃ、じゃあ……ら、来年のお正月には、思い切って晴れ着を着てみようかしら……」
「あ――そうですね! いいと思います!」
諏訪先輩の言葉に、俺は勢いよく何度も頷いてみせた。
「来年の正月、楽しみにしてます、はい!」
「ちょ……ちょっと大げさ……」
俺のリアクションに、若干引き気味の諏訪先輩だったが、前を向いたままコクンと頷いた。
「……う、うん。分かったわ……頑張ってみる……」
そう答えた諏訪先輩の表情は、長い髪の毛に隠れてしまっていて窺い知る事は出来なかったが――髪の毛の間から覗いたその口元は、心なしか綻んでいるように見えた。