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彼女がパジャマに着替えたら

 風呂上がりで、濡れた髪の毛をタオルで纏めた諏訪先輩は、ドアの隙間から顔だけを出し、野暮ったい黒縁眼鏡の奥の黒い瞳を大きく見開いて、俺を凝視していた。

 いつもは色白の先輩の頬は、風呂上がりで火照っている為か、いつもよりも赤みを帯びていて……俺は思わずドキリとしてしまう。

 数本のソバを箸で掬い上げる途中で身体を硬直させ、パチクリと目を瞬かせながら、俺は取り敢えず、先輩に向かって会釈してみる。


「あ……お、お疲れ様です、諏訪先輩……。お、お邪魔して……ご馳走になってま――」

「何で居るのよ、あなたがっ!」


 俺の言葉を、諏訪先輩の絶叫が遮った。


「ちょ……ホント、何で? どうして、私の家が分かったの? ――いえ、それよりも……」

「あ……え、ええとですね……話すと長くなるんですが……」


 俺は、急いで口の中のソバを飲み込むと、懸命に釈明を始める。


「ええ……と。とりあえず、ここの住所はシュウに訊いて――あ、しゅ、シュウも、最初は先輩の住所が何処なのかは知らなかったんですけど、同じ野球部の先輩の伝手を使って――」

「んん! 誰だね? ウチの……いや、香澄の住所を知っていた者というのは! や、野球部というのなら、男なんじゃないのかっ? その男は、何で香澄の住所を知っていたんだねっ? も……もしや、その男というのは、香澄の事を――」

「お父さんは少し黙ってて!」

「ひ――っ!」


 何故かヒートアップし始めたお父さんを、鋭い一喝で黙らせる諏訪先輩。

 も……物凄い迫力だ。

 あの強面極道お父さんが、先輩に一喝された瞬間、顔を蒼白にして、表情を引き攣らせている――!

 これは、この光景はアレや……父さんがハマってた任侠映画の『極道の女たち(ごくおん!)』で観た、『組長が敵対組織に(タマ)を取られ、その未亡人が、組長の敵討ちに怖じ気づく若衆に喝を入れる』シーンのアレや!

 ――と、親ぶ……もとい、お父さんを睨み据えた先輩が、今度は俺の方に、その鋭い視線を向ける。


「ひ、ひぃ……!」


 諏訪先輩の剣幕に、俺は顔を引き攣らせて、慌てて背筋を伸ばした。

 そんな俺に、諏訪先輩は顔を真っ赤にして、どもり気味に尋ねる。


「そ……それは分かったけど……そ、そもそもどうして? どうして、わざわざこんな大晦日の日に、ウチまで押しかけてきたの――?」

「あ、はい、(あね)さんッ!」

「……誰が(あね)さんよ? わ……私、あなたのお姉さんになった覚えは無いんだけど?」

「あ……すみません。つい……!」


 恐怖と緊張で、思わず『極道の女たち(ごくおん!)』のノリで口走ってしまい、先輩にギロリと睨みつけられた俺は、オロオロと狼狽える。

 ――と、その時、


「――その人、姉ちゃんに何か伝える為に来たんだってさ」


 タオルで手を拭きながら、台所からリビングに入ってきたリュウガくんが、俺に向けて助け舟を出してくれた。


「姉ちゃん、スマホ持ってないじゃん。それで、連絡できないからって、わざわざウチまで来てくれたんだよ、この人。……ええと、ヒカルさんでしたっけ?」

「あ! そ、そうなんです!」


 リュウガくんの言葉で、本来の目的を思い出した俺は、勢いよく立ち上がると、諏訪先輩に詰め寄ろうとする。


「あの! 先輩――ええと、れ、例の――」

「ちょ、ちょっ! ストップ!」

「――?」


 近付こうとしたら、強い口調で制止され、俺は戸惑った。


「え? ど、どうしたんですか? 先ぱ――」

「こ……こっち来ないでっ!」

「……へ?」


 更に激しい拒絶を受け、俺は更に当惑しつつ、少しだけ傷つく。


「そ……そんなに嫌がる事無いじゃないっすか……」

「え……あ! ち、違うの!」


 ショボンとする俺を見た諏訪先輩が、慌てた様子で、首を激しく左右に振る。


「違うの! わ……私、今パジャマ姿だから……あ、あんまり見られたくないっていうか……あんまりちゃんとした格好じゃないから、は……恥ずかしいって……いうか……」

「あ……」


 先輩の言葉に、俺はハッとして、思わず先輩の顔から下に視線を落とす。

 ……確かに、彼女が着ているピンク色のトレーナータイプのパジャマの襟はヨレヨレに伸びているような気が――。


「……高坂くん!」

「……あ、す、スミマセン! はい、すぐに離れます! なる早でっ!」


 諏訪先輩の鋭い声に弾かれたように、俺は直立不動になると、クルリと回って後ろを向いた。

 同時に、バタンと大きな音を立てて、俺の背中でドアが閉まる。同時にバタバタと駆け足で廊下を走る音が聴こえ、ドア越しにもう一枚のドアが閉まる音がした。

 ――と、


「……ん?」


 ふと気付くと、三人の男の視線が、俺に集まっている事に気が付いた。


「……」

「……?」

「……ぷっ」


 気まずそうな強面(お父さん)と、何が起こっているのか良く分かってない無垢な幼児(たいがくん)、そして、笑いを噛み殺しているような少年(リュウガくん)……。


「……ごほん」


 三人の視線を一身に受けた俺は、気まずさを誤魔化すように咳払いをすると、無言のまま、こたつに座り直す。

 そして、箸を取り、丼に残ったソバを掬い、もそもそと口に運び始めた。


「……」


 お父さんも、視線をテレビに向けると、網籠からミカンを取り、皮を剥き始める。

 ――と、


「……ねえねえ~」

「……んん?」


 不意に袖を引かれ、俺は振り返った。

 俺の袖を引っ張っていたのは、目をキラキラと輝かせ、屈託のない笑顔を浮かべたたいがくんだった。


「ねえねえ、おにいちゃぁん?」

「ど……どうしたの、たいがくん?」


 俺は、たいがくんの可愛い仕草に、心の中でキュンキュンしながら、なるべく平静を装いつつ聞き返した。

 すると、たいがくんが頬っぺたを真っ赤にしてもじもじしながら、おずおずと言った感じで口を開く。


「ぼくねぇ……おにいちゃんにききたいことがあるんだけど……」

「う――うん? 何がかな?」


 やべえっ、何なのこの子超あざと可愛い~! ――と、内心で黄色い声を上げつつ、俺はにこやかな笑顔を湛えて、首を傾げてみせる。

 そんな俺に、たいがくんは、目を更に輝かせながら言った。


「あのね? おにいちゃんとねえちゃんって――」

「ん。俺と諏訪先輩が――?」

「いつけっこんするのー?」

「ふぁ……ファアア――アッ?」


 無邪気な顔で、とんでもない事を口走ったたいがくんを前に、俺は目が飛び出し、顎を外さんばかりに驚愕した。

 ――そして、


「――ぶふぉおっ?」

「――ぷっ! ぷフフフフフッ!」


 テレビに向けてミカンを噴き出すお父さんと、耐え切れずに思わず吹き出すリュウガくんの音が重なるのだった……。

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