ハルよ、恋
「あ……や、やっぱり、そうなるのね……」
ハル姉ちゃんの言葉に、俺は口の端を引き攣らせた。
「いや……確かに、それが一番いい方法だとは思うんだけど……、それだけはしたくない事も確かな訳で……。だから、今までシュウと一緒にウンウン悩んでた訳で……」
「じゃあ、私が代わりに返しに行ってあげようか?」
「は、はぁ?」
ハル姉ちゃんの突拍子もない申し出に、俺は呆気にとられた後、ブンブンと大きく首を横に振った。
「な、ななな何でハル姉ちゃんが早瀬に返すって話になるんだよ! 関係ないじゃん!」
「あら、関係無くなんか無いわよ。何てったって、可愛い弟が、他人の大切なものを借りパクしてるんですもの。姉として、責任もってお返ししなきゃ」
「な、何が“可愛い弟”だよ! んな事言って、ホントは面白がってるだけだろ、アンタ!」
「あらぁ、可愛いのは本当よ。……その十倍くらい、フラれたくらいでいつまでもウジウジしてるひーちゃんが焦れったいのと、更にその十倍くらい面白そうだなって思ってるだけよ」
「……」
いっそ清々しい程に身も蓋も無いハル姉ちゃんの答えに、俺は返す言葉を失う。
そして、口をへの字に曲げて、憮然とした表情を浮かべる。
「……何だよ、それ。――ハル姉ちゃんには分からねえのかよ、フラれた時の辛さってヤツをさ……」
思わず、俺の口から漏れた言葉を聞いたハル姉ちゃんは、ケロリとした顔で頷いた。
「うん、そうね。確かにフラれた事無いから、私には分からないな~。今のひーちゃんの辛さって」
「うわ、何ソレ。『フッた事はあっても、フラれた事はありません』ってヤツかよ?」
「ふふん、まあねえ」
ハル姉ちゃんは、自慢げに胸を張ってみせる。
と、その横で白けた目の羽海が、ぼそりと呟いた。
「……違うでしょ、お姉ちゃん。その年になっても、まだ一回も男の人に告白した事も付き合った事も無いから、フラれた経験が無いってだけ……」
「……誰がハタチ過ぎた、ぴちぴちの小学六年生のアタシから見たら年増のオバサンですって、うーちゃん?」
「え? あ、いや……そこまでは……言ってない……」
「そうかしら?」
「……ていうか、今のアタシの言葉をそういう意味だって感じたって事は、自分でも薄々自覚してるんじゃないの、お姉ちゃん――」
「あ゛ァッ?」
何やら、急激に険悪な雰囲気になるハル姉ちゃんと羽海。睨み合うふたりの視線がぶつかり、蒼い火花が散るのが見えるようだ。
――一方の俺は、固唾を呑んで、ただただ沈黙を貫くのみ。だって……下手にふたりの間に割って入ろうものなら、両方から血祭りにあげられるのは、目に見えて明らかだから……。
と、
「へぇ……。ハル姉、モテそうなのに、誰とも付き合った事無いんだ……」
そんなピリピリしたムードに全く気付かない様子で、シュウが呑気な声を上げた。
「あ! え……ええと、その……」
途端に、ハル姉ちゃんは、顔を真っ赤に染める。
そして、慌てた様子で顔を伏せると、両手の人差し指をくっつけて、いじいじと動かし始める。
「そ……そりゃ、告白された事は、何度かあるけど……。で、でも……私が好きなのは……ずっとひとりだけだから……」
そう、小さな声で言いながら、ちらちらと上目遣いでシュウの顔を覗き見る。……まるで、幼稚園児みたいな分かりやすい反応である。
――だが、当のシュウは、一向にその態度の意味に気付く様子が無い。
「へぇ~、ハル姉に、そんなに好きな人が居たんだ。全然知らなかったなぁ。――それって誰? オレの知ってる人?」
「へっ? ……え、ええと……し、知ってるといえば……と、とっても知ってる……」
「え、マジで? それって、誰だろ? オレがとっても良く知ってる、ハル姉の知り合い――」
「え……ええと、ちょ、ちょっと、それは……」
「誰かなぁ……。そんな奴いたかなぁ……」
「あ……あの……シュウくん、も、もういいから……その……」
やめて!
シュウ、もう止めて! もう、ハル姉ちゃんのライフはゼロよ!
他意が無い故に、容赦も無いシュウの追及に、ハル姉ちゃんの顔はどんどん赤みを増し、その頭は、熟れ過ぎたトマトの様に、どんどん低く項垂れていく……。
――と、
「そ……そんな事より! ひ、ひーちゃん!」
ガバリと顔を上げたハル姉ちゃんが、泳ぎまくった眼で俺を凝視しながら、びしりと指を突きつけた。
いきなり名を呼ばれた俺はビックリして、目を大きくする。
「な……何? ハル姉ちゃ――」
「す、すっかり話がズレたけど、は、早くゆっちゃんに連絡取りなさいッ! 今! すぐっ!」
「あ……」
ハル姉ちゃんが、シュウの追及の矛先を逸らす為、俺に決断を促してきた……。
まあ、確かに話を戻しただけなのではあるが……。
俺は、目を白黒させながら、転がったままの自分のスマホと、俺に決断を迫るハル姉ちゃんの鬼気迫る表情を交互に見ながら、ただただ狼狽する。
「ちょ……ちょっと待って……! ま、まだ、こ……心の準備が……」
「待たない! ……もし、これ以上グジグジ言ってるようだったら、さっき言ったみたいに、私がゆっちゃんに連絡して、直接アポ取るから!」
「げ! そ……それはカンベン……!」
俺は、慌てて首を横に振った。万が一にでも、早瀬に『姉貴に尻拭いしてもらったヘタレな弟』とか思われでもしたら、俺は完全に立ち直れない……。
「だったら、さっさと送る! ほら、愚兄ッ!」
「う……羽海……お前もか……!」
ぐいぐいと頬にスマホを押し付けられながら、俺は最後の砦に助けを求めようと視線を送る。
た……助けて、シュウ……!
……だが、
「こうなったら、腹を括るしかねえよ、ヒカル。ガンバレ!」
「しゅ……シュウゥゥ……」
人の気も知らずに、力強く拳を握って、爽やかな笑みを浮かべるシュウを見て、俺は万策尽きた事を悟ったのだった……。