ユーソーゲーム~臆病な恋の歌~
「――ご、ゴホン。まあ、それは置いておいて、ね」
と、ハル姉ちゃんが咳払いをしながら言った。
「今、ひーちゃんが抱えている問題をどうにかしないとね」
「あ――いや、いいよ。俺が……俺とシュウで何とかするから……」
「あーら、その割には、ふたりして40分以上もウンウン唸っておいて、全然名案が浮かばなかったみたいだけど?」
「……そんなに前から盗み聞きしてたんかい、アンタ……」
盗み聞きをしておきながら、悪びれもせずにケロリとしているハル姉ちゃんをジト目で見遣って、俺は大きな溜息を吐いた。
「いや、もういいよ。さっき言ったみたいに、郵送で送る事にするから」
「おい、ヒカル――」
「いいんだって、シュウ」
慌てて声を上げるシュウを制して、俺は言葉を継ぐ。
「……あんだけハッキリと振られたんだ。今更体裁を整えたってしょうがねえだろ。……もう、変な希望は持たないで、きっぱりと諦める。先に進めなくたっていいよ。どーせ、俺みたいな陰キャ――」
「ヒカル!」
「……あ」
「――誰も好きになってくれないんだから」と、自嘲気味な言葉を吐こうとした俺に対して、窘める様に声を荒げたシュウの顔を見て、俺はハッと気づいた。
……そういえば、そうだった。シュウの前でだけは、間違ってもそんな事を言ってはいけないんだった……。
俺は、口から出かけた言葉をごくんと呑み込むと、小さく息を吐いてから言い直す。
「……しょ、正直、今は心がめっちゃ辛いけどさ……、時間が経てば、この傷も塞がるだろうし。――その為には、吹っ切る事が必要だと思うんだよ、俺」
「……そうか」
俺の言葉に、シュウは表情を曇らせながらも、小さく頷いた。
「なら――」
「いや、郵送はマズいわよ、絶対!」
決まりかけた郵送案にキッパリと異議を唱えたのは、ハル姉ちゃんだった。
ハル姉ちゃんは、地を這うような深い息を吐くと、呆れ果てたといった目で、俺を見た。
「まったく……、そんなん、ゆっちゃんの迷惑にしかならないじゃないのよ。これだから男の子ってヤツは……」
「そ……そうかぁ? そんなにダメな感じかな?」
「ダメに決まってんじゃん! そんなことも分からないような鈍さじゃ、結絵さんも、そりゃお断りだよっ! だからフラれたんだよ、この愚兄!」
「ぐ、ぐぶぅっ!」
首を傾げる俺に、忌憚のない罵声を浴びせかけてきたのは、それまでずっと黙っていた羽海だった。
その言葉は、傷ついた俺の心に、更に深く穴を穿つ。
「う……うーちゃん! それはまだ、失恋して絶賛傷心中のひーちゃんには受け止めきれないから、あまりつつかないであげて」
「あ……そっか」
ハル姉ちゃんに窘められ、羽海はしぶしぶ頷いた。
そして、俺の方を何故か睨むと、まるで血でも吐き出すかのような顔をして言う。
「……愚兄、米野菜」
「……はい?」
「コ・メ・や・さ・い! ハイ謝ったー、これでチャラ!」
「うんうん! うーちゃん、ちゃんと謝れて偉いっ! お姉ちゃん、見直しちゃった~」
「いや……謝ってねえだろ! 何だよ、“米野菜”って! さも、“ごめんなさい”って言ったように誤魔化してんじゃねえよ! つうか、そこまでして謝りたくねえのかよ!」
「……うっさい、この……デリカシーの欠片もない鈍感男がッ!」
「ぐぶぅっ!」
逆ギレした羽海に、脳天へ思い切りクッションを叩きつけられた俺は、ローテーブルの縁におでこを打ちつけられ、悶絶する。
「お、おぉい! 大丈夫かよ、ヒカル!」
そんな俺を、慌てて支えたシュウ。そして彼は、首を傾げつつハル姉ちゃんと羽海に尋ねる。
「――でも、どうしてダメなんだ、ハル姉ちゃん?」
「あー、ひーちゃんはともかく、シュウくんも分かってないのねぇ」
さっき、俺の時とは打って変わって、シュウには満面の笑みを向けるハル姉ちゃん。
「うん、しょうがないよ! シュウちゃんは、ずっと野球一直線だったんだから、分からなくても全然大丈夫!」
羽海も、ニコニコと笑いながら、頻りにシュウに頷きかけている。……つうか、俺の時とは全然リアクションが違ってねえか、オイ!
「で、どうしてダメなのかって言うとね……」
不満を露にする俺の顔を華麗にスルーしつつ、ハル姉ちゃんは言った。
「ゆっちゃんって、一人暮らしじゃないでしょ?」
「え……?」
ハル姉ちゃんの言葉――というか質問に、俺はキョトンとして、目をパチクリさせる。
そして、視線を左上に向けながら、首を傾げた。
「え……ええと……、どうだっけ? たしか、早瀬って――」
「ああ、両親といっしょに住んでるって言ってたな」
言い淀む俺の代わりに答えたのは、隣のシュウだった。
俺は驚いてシュウを見た。
「え! な、何でお前、早瀬の家庭環境なんて知ってんの?」
「え? いや、普通に本人から聞いただけだけど……」
俺の問いかけに、逆に驚いた顔でシュウは答えた。そして、怪訝な顔で、俺に訊いた。
「……つうか、むしろ知らなかったのかよ、お前?」
「え、ええと……うん……」
「「……うわぁ~」」
こくんと頷いた俺に、心の底からの非難と呆れに満ちた溜息を吐く姉妹。
ふたりは、頻りに首を横に振りながら、アメリカ人ばりの大袈裟なジェスチャーで、やれやれとばかりに肩を竦めてみせる。
「てことは……、ひーちゃんって、相手の家庭環境も知らないまんまで告白したの?」
「うわぁ……ヒくわぁ。シュウちゃんの方が詳しいって、どうなの?」
「うーん、無いわぁ。普通、告白する相手の家庭環境から住所から生年月日から血液型くらいまでは、事前に聞き出しておくものじゃないの?」
「うん。ウチのクラスのイケてる男子だったら、可愛い子のその辺りの情報は大体知ってるよ」
「うーん、高校生にもなって、そんな事も本人から聞き出せないなんてねぇ……」
「ホント、愚兄マジ愚兄……」
「だ――ッ! うるせえよ!」
俺に背を向けて、井戸端会議の奥様達よろしく、ひそひそと密談し始めたハル姉ちゃんと羽海に、俺は堪らず声を荒げた。
……とはいえ、事実は事実なので、ふたりの話を否定できない俺は、やむなく話題を逸らす――というより、元に戻す事にする。
「そ……そんな事より、さっきの話だよ! どうして、郵送じゃダメなんだよ!」
「……だぁかぁらぁ」
ハル姉ちゃんは、「まだ分からないの?」と言いたげな表情を浮かべながら、言葉を継ぐ。
「ゆっちゃん、両親と同居してるのに、こんなモノを郵送で送ったりしてみなよ。この荷物を受け取るのが、ゆっちゃんじゃなくて、親御さんのどちらかになるかもしれないって事でしょ?」
「――あ」
「やっと気付いたか」
ようやくハッとした表情を浮かべた俺に、羽海が軽蔑しきった目を向ける。
「愚兄マジ愚鈍……」
「……」
羽海の辛辣な罵声にも、全く言い返せず、身を縮こまらせる俺。
一方のハル姉ちゃんは、大きな溜息を吐くと、話を続ける。
「……趣味が趣味だから、あのゆっちゃんでも、さすがに親には言ってないんじゃないかしら? そんな所に、あんな物を送りつけたら、ゆっちゃんの立場がどうなるか――分かるでしょ?」
「……はい。仰る通りです」
どうなるか――そりゃ、ちょうどこの前、羽海に隠していたBL同人誌を見つけられた時の俺みたいになるに違いない。
俺は、ハル姉ちゃんのド正論の前に論駁の言葉も無く、穴があったら頭から突っ込んで、そのまま出てきたくないような気分になる。
「……じゃあ、どうすれば……」
「――あら、カンタンよ」
「……え?」
途方に暮れて呟いた俺に、あっさりと言い放ったハル姉ちゃんは、床に転がったままだった俺のスマホを指さして言葉を継いだ。
「そりゃ――本人に直接連絡して、会って渡すに決まってるでしょ。ほら、そこにある便利な板で、今すぐゆっちゃんに電話でもLANEでもしなさい。ね、ひーちゃん♪」