I am a Lock
「……ホントにどうしよう……」
結局、あっちこっちと脇道に逸れながら、暫くBL同人誌の上手い返し方を考えた俺たちだが、なかなか良策が思い浮かばないまま、時間だけが虚しく過ぎていく。
俺は、同人誌の横に置いた、自分のスマホの画面を見る。
画面に表示されている時刻から、シュウと話し始めてから、既に1時間半以上も経っている事に気付いて驚きながら、俺はずっと頭の片隅にあった一案を舌に乗せる。
「……こうなったら……郵送かなぁ……」
「うわ。最悪だろ、ソレ」
窮余の策として、俺がぼそりと呟いた案に、シュウは速攻で首を振った。
自分でも薄々『無いな』とは思っていた郵送案だったが、即却下された事には、些かムッとする。
俺は、不満を顔にありありと浮かべながら、首を傾げる。
「そ……そうかなぁ? ――でも、ぶっちゃけ、それしか無くねえか?」
「いや、向こうの新生姜最悪だろ。そんな返し方」
「……ひょっとして、『心証が』か、今の?」
「それな」
「……」
俺は、ブスッと頬を膨らませると、大きな溜息を吐いた。
「……つうかさ。今更、俺に対する早瀬の心証が悪くなろうがどうなろうが、別に良くね? ……だって、告ってフラれた時点で、既にドン底だろ?」
「いや、別に最悪だと決まった訳でも――」
「あーっ! もういいよ。もう……彼女にどう思われようと、どうでもいい。さっさと、早瀬にコレを返して、これっきりにしたい――」
「――お前は、本当にそうしたいのかよ、ヒカル……」
「そ、そりゃ……」
シュウに真剣な目で見つめられ、そう訊かれた俺は、迷わず即答しようとしたが、喉の手前で言葉が詰まった。
俺の頭の中で、色々なシーンで見た、早瀬の顔が思い浮かぶ。
――A階段で最初に言葉を交わした時の、制服姿の早瀬の顔。
――栗立のアニメィトリックスで、楽しそうにBL雑誌を漁る早瀬の楽しそうな顔。
――北丈寺の映画館で『新撰組契風録』の映画を見ている時の、スクリーンの光に照らし出された早瀬の横顔。
――シュウの退院祝いでしゃぶしゃぶを食った後、駅まで送った別れ際に、彼女が手を振りながら見せた笑顔。
そして――、あの日の観覧車のゴンドラで、打ち上げ花火に照らし出された、早瀬の泣き出しそうな顔……。
「……ッ!」
俺の記憶に残る、早瀬の最後の顔が思い浮かんだ時、俺は鼻がツンとして、おもむろに視界が揺らぐを感じて、慌てて上を向いた。
地球の重力の力を借りて、目尻から何かが零れ落ちるのを堪える。
――と、
「……つうかさ、ヒカル」
ぼそりとシュウが口を開いた。
「だったら、尚更、キチンと終わらせなきゃダメだぜ。郵送だ何だって、中途半端な真似をしてケリをつけたような気になってても、絶対に心のどこかで、結果に納得できてない自分が居座る事になる。……そうしたら、いつまで経っても先には進めなくなっちまう」
「んだよ。まるで知ってるかのような口を利きやがって――」
「……知ってんだよ、オレは」
ハッキリと言い切ったシュウの言葉に、俺はハッとした。
シュウは、やや目を伏せながら、ぽつりと呟くように言う。
「オレは……知ってるからさ。お前の今の気持ちがどんな感じなのか……どれだけ辛いのか……。だけど、いつまでもそのままじゃ、ずっと変わらないままなんだ。そんな宙ぶらりんな気持ちを、どこかで吹っ切らないと――」
「……シュウ……」
シュウの重みのある言葉は、俺の胸にズシン響いた。
俺は唇を噛んで、ローテーブルの上のBL同人誌の山に目を遣る。
――と、
「――っていうか、結局、オレに相談したって事は、こうして欲しかったって事だろ、ヒカル?」
「……へ?」
急に口調が変わったシュウの声に、俺は驚いて顔を上げた。
そして、テーブルの向かい側で、見慣れたスマホを見せびらかすように手に掲げているシュウの姿が目に入る……。
「――って、あれ? そのスマホって……?」
俺は、シュウが手にしているスマホが、俺のものによく似ている事に気付き、慌ててローテーブルの上に目を戻す。
――無い。
同人誌の横に置いていたはずの、俺のスマホが消えている……!
「――って、俺のだろ、ソレ!」
俺は、そう叫ぶや、シュウの手元に手を伸ばす――が、その手は軽く躱された。
俺の慌てふためいた反応に、シュウはニヤリと笑った。
「ちょ、返せよ! 何する気だオマエ――」
「――何する気だって? そりゃあもちろん、このスマホを使って、早瀬にLANEを送るんだよ。『借りてたモノを返したいから、もう一度会えませんか?』って!」
「ちょまておいバカ!」
「待ちませーん♪」
シュウこの野郎! またいつぞやのメンターキー・フライドチキンの時と同じように、俺のスマホで俺に成りすまして――!
そうはさせるか! と、スマホを取り返そうと手を伸ばす俺だったが、長身のシュウのリーチの長さで、俺の手はスマホに届かず、虚しく宙を掻く。
それでも、何とか妨害してやろうとする俺を開いた方の手で軽くいなしながら、シュウは慣れた手つきでスマホの電源ボタンを押し――
「……アレ? 開かね……?」
「ふ……ふふふ……」
――戸惑うシュウを前に、今度は俺がニヤリと笑う番だった。
「ふはははははっ! まんまと掛かったな、シュウ! 俺は二度も同じ手に引っかからぬわぁっ! こんな事もあろうかと、そのスマホは既に指紋認証ロックを設定済みよォっ!」
「し……指紋認証ッ?」
驚愕の表情を浮かべるシュウを前に、俺は手を伸ばしたまま胸を張ってみせた。
「どうだ! さしもの貴様も、スマホがロックされていては、手も足も出せまい! 今日は、俺の勝――」
「あ、指紋認証か。じゃあ、指借りるよ」
「あ――うん。…………って、アレェッ?」
シュウの言葉に、思わず素で頷き、その意味に気が付いた時にはもう遅かった。
慌てて手を引っ込める暇も無く、シュウは、伸ばされた俺の人差し指に俺のスマホを押し付けていた……。
ぶるっとスマホが震え、液晶画面に見慣れたホーム画面が表示される。
「よしよし、開いた」
「ちょおおおおっと待てぃ! 今の……今の無し!」
にんまりと笑い、液晶画面に指を這わせようとするシュウを止めようと、俺は声を上げた。
だが、当然ながら、シュウは聞く耳を持たない。
「あーはいはい。ちょっと待ってろよー。……ええと、LANEはどこですか――っと」
「だから待て言うとんねんこのドS!」
そう俺は叫びつつ、シュウに向かって躍りかかった。
「う、わぁーっ!」
俺の全体重を乗せたボディアタックには、さすがに体格に優れたシュウでも堪らず、もんどりうって後ろに倒れる。
そのチャンスを逃さず、俺は手を伸ばし、シュウが持っているスマホに手をかけた。
「ほらっ、返せ――よっ!」
「ちょ、ま……ぷふっ! そ、そこ止めろ! く……くすぐった――」
「だったら、早く手を離せっ! プライバシーの侵害だぞっ!」
「ぷぷ……ぷははははっ! やめ、止めてっ! そこ……オレ、弱いか――!」
「ちょおおおおおおっと待ったああああああッ!」
「「――ッ?」」
絶叫と共に勢いよく開いたドアに、俺とシュウは組み合ったまま、身体を強張らせた。
そこに立っていたのは――顔を熟れたトマトの様に上気させた、ハル姉ちゃんと羽海だった――。