世に失恋男の悩みは尽きまじ
「……で、羽海ちゃんにバレて、どうなったんだ……ヒカル?」
俺の部屋で、腕を組んで眉間に皺を寄せたシュウが訊いてきた。――一見、その顔は真剣そのものだが――、
「……いいよ、嗤えよ。我慢は身体に悪――」
「――ぷっ、プハハハハハハハッ!」
俺が許可の言葉を言い終わらぬ内に、シュウの笑いのダムは決壊した。懸命に拵えたであろう仏頂面が歪んだかと思ったら、シュウは腹を抱えて爆笑し始めた。
「ふ、ふふふふははは……! ぷぷっ……ぷぷぷ……」
「……確かに我慢するなとは言ったけど、そこまで爆笑しろとまでは言ってないんですけど」
「フフッ……あ……悪ぃ……プププ……」
「……」
両手で口を塞いで、必死でこみ上げる笑いを抑えるシュウを、パジャマ姿の俺はジト目で睨んだ。
「ふぅ……よし……大丈夫……ふ、ふふ……」
ようやく笑いの発作が収まったらしいシュウは、肩を上下させて息を整えながら、ローテーブルの上に積み上げられたBL同人誌の山に目を落とす。
俺は、やっと落ち着いた様子のシュウに、渋い顔をして打ち明ける。
「……羽海に、ハル姉ちゃんや母さんには内密にしておくよう頼み込んで、何とか説得できた。――その代わり、俺のプライドと財布は壊滅的なダメージを受けたけどな……」
俺は、交渉時に羽海に提示した“献上品リスト”を思い出して、暗鬱たる気分になった。来年のお年玉は、実質ゼロ――いや、下手したら赤字になる……。
盛大な溜息を吐く俺を、憐れむような目で見ながら、シュウは尋ねる。
「……で、羽海ちゃんの誤解は解けたのか?」
「一応……、最終的には『分かった』って言ってたけど……、あれ以来、露骨に避けられる……っつーか、目も合わせてくれなくなった……」
「ぷぷっ! ……あ、ごめん」
「……」
再び噴き出しかけたシュウを、ギロリと睨みつけて黙らせてから、俺は言葉を継ぐ。
「いや……、ぶっちゃけ、そっちはどうでもいいんだよ! ……あんまり良くないけど。問題は――」
「――この薄い本の山をどうするか、だな」
シュウの言葉に俺は無言で頷き、ローテーブルでこの上ない存在感を放つ、耽美な男同士が濃厚に絡んでいる色鮮やかなBL同人誌の表紙を、暗鬱な目で見下ろした。
――と、シュウが事も無げに言ってのける。
「――いや、LANEか電話で、早瀬に連絡して渡せばいいじゃ――」
「それが出来たら苦労せんわボケェェッ!」
「あ……そう、だよな……。ゴメン……」
思わずカッとして、関西弁で吠えた俺の剣幕に、シュウは思わず首を竦ませた。
そして、俺の顔をジッと見つめて、ぽつりと言う。
「……残念だったな、ヒカル――」
「ガチテンションで慰めるなあああああっ!」
シュウの慰めの言葉に、血を吐く様な声で叫ぶ俺。
「その傷口は、まだ乾いてないの! かさぶたにもなってないから、触れると血が噴き出るんだよ! 今はガラスどころか、雲母くらいに脆いの、俺のハート!」
「お……おう、悪い……」
一方的に捲し立てる俺に、素直に頭を下げるシュウ。――それを見た俺は、気が済むどころか、更に胸が締め付けられる思いに駆られる。
……当然だ。
今のはまごう事無く、俺の我儘だ。シュウは全然悪くない。――俺が一方的に八つ当たりしただけなんだ。
なのに、シュウは言い返すこともせず、素直に頭を下げている。……その事でつくづく、シュウが大人っぽくてカッコいいと感じるし、翻って、自分の幼稚さが情けないと感じる。
……そして、そう感じながらも、シュウの優しさに甘えて、八つ当たりの壁役にしている自分の浅ましさに、心底腹が立った。
でも俺は、そんな複雑な思いに駆られながらも、シュウに返す言葉も思いつかず、ただ「フンっ!」と鼻を鳴らすだけだった。
……こんな性格の悪い男、そりゃ早瀬にあっさりと振られる訳だ……。
「――おい、ヒカル……大丈夫か、お前……」
「……え、あ、ああ……」
心配そうな様子でシュウがかけてきた声で、俺はようやく我に返った。
シュウは、憑き物が落ちたような顔で頷いた俺に、安堵の表情を浮かべると、話題を戻す。
「……で、じゃあ、どうするんだよ、コレ……」
「…………分からない……から、恥を忍んでお前に相談してるんだよ」
途方に暮れて、頭をガシガシと掻き毟る俺。
シュウは、困ったような顔をして、視線を宙に這わせていたが、ハッとした顔をすると、自分の事を指さしながら弾んだ声で言った。
「あ! じゃあ、オレがお前の代わりにこの本を返してやるよ! それなら――」
「いや、却下」
俺は、シュウの提案を、僅か0.2秒で否決した。
「さすがに、そりゃダメだろ……男として。フラれた上に、親友にイケない同人誌を返させるとか……」
「……じゃあ、あのセンパイに――」
「もっとダメだろォっ!」
俺は思わず声を荒げる。
「諏訪先輩には、早瀬が俺とお前の仲を誤解してどーのこーのっていう顛末は話してないんだから! これ以上事態をややこしくさせんな!」
「あ……言ってなかったんだ、ソレ」
俺の言葉に、シュウは驚いた顔をした。
「……てっきり、そこら辺の事情を了解済みで協力してくれてるんだと思ってたけど……」
「ま……まあ……そのあたりの何やかんやは、うまい事ぼかしながら……だな」
「ふーん……」
シュウは唸ると、眉根に皺を寄せる。そして、ぼそりと呟いた。
「……でも、あのセンパイの事だから、何となく察してて、敢えて知らんぷりしてそうだよな……ぶっちゃけ」
「……そ、そうかな……?」
シュウに言われて、おもむろに不安に駆られる俺。確かに……あの諏訪先輩の事だ。実は大体の事情を把握した上で、完璧なポーカーフェイスで“オトナの対応”を決め込んでる可能性が微レ存だ……。
「――でもさ。そしたら実際問題、どうするんだよ? このエロ本の山――」
「エロ本とかゆーな!」
俺は、シュウの何気なく漏らした一言に、思わず言い返していた。
「コレはエロ本とかみたいな、そういう即物的なアレじゃなくて、もっと次元の高い愛の形を表現した作品なんだッ!」
「え、ええぇ……ソコで怒るんだ……」
声を荒げた俺に、シュウは顔を引き攣らせる。
「案外、早瀬に感化されてきてんじゃねえか、お前……」
「あ……いや、そういう事じゃなくて……」
シュウの一言に、しどろもどろになる俺だった。