ゴンドラがゆれるように
ドーン! ドドーン! パパパ……。
ド――ン! ドドドーン!
ゴンドラの外では、大小様々な火焔の華々が、肚の底に響く重低音で空気を揺らしながら、夜空に狭しと咲き乱れている。
――だが俺は、そんな外の景色に目を遣る余裕は一切無かった。
そして……、俺の向かいに座って、真剣な表情で耳を欹てている早瀬も。
俺は、乾いてゴワゴワになった唇を舌で舐めて湿らせると、静かに言葉を紡ぎ出す。
「……最初に君と会話した、あのA階段での事、覚えてる?」
「う……うん」
俺の言葉に、早瀬はこくんと頷く。
俺はニコリと微笑んで頷き返し、言葉を継ぐ。
「あの時さ……最初、早瀬さんがシュウの事を好きになって、俺に仲立ちを頼もうとしているんだと思ってたんだ」
「え……? 私が――工藤くんと?」
早瀬は、目を真ん丸にして、それからクスクスと笑い出した。
「あはは、それは無いよ。――確かに、工藤くんはカッコいいし、学校の女の子たちからも人気で、隠れファンクラブもあるくらいだけど……」
「あ……そうなんだ……」
隠れファンクラブ……、いつの間にそんなものが結成されていたとは初耳だった。……つうか、“隠れファンクラブ”なんて、マンガかラノベの中にしか存在しないもんだと思ってた……。
……まあ、確かにシュウは、顔良し・スタイル良し・運動神経良しの上に性格も良しと、まるでどこぞのマンガの主人公みたいなハイスペック持ちだ。他の奴ならいざ知らず、あいつならば、そんな組織のひとつやふたつ、結成されていてもおかしくない。
――と、そんな事を考えている俺を知ってか知らずか、早瀬は言葉を続ける。
「――でも、私は、工藤くんの事をそんな風に思った事は無いなぁ」
「あ……そうなんだ……」
……それって、シュウとのカップリングに相応しいのが俺だって、早瀬のBL脳が思い込んでたからじゃね? ――ふと、そう思ったが、口には出さなかった。
――つうか、このままだと明後日の方向に話が逸れそうだ。
俺はごほんと咳払いすると、話を元に戻そうと、再び口を開く。
「――で、いざ話を聞いてみたら、『俺とシュウの、どっちが“受け”でどっちが“攻め”か?』って来たからさ……あまりの事に、思考停止しちゃったよ」
「あ……その……ご、ごめんなさい……」
「あ、いや! べ、別に、咎めてるわけじゃないから!」
シュンとして項垂れる早瀬に、俺は慌てて付け足した。
「ま……まあ、返答に困ったのは確かだけど……」
「……ごめん。――でも」
早瀬はそう言うと、怪訝そうな顔になって、首を傾げた。
「……だったら、その次……自転車置き場で会った時に、違うって言えばいいのに。何で言わなかったの?」
「そ……それは……」
言葉に詰まる俺。それを見た早瀬の表情が曇る。
「……やっぱり、勘違いしてる私をかわいそうに思って、話を合わせてくれたんでしょ?」
「……違う。そうじゃないんだ」
「――じゃあ、何で?」
彼女の、猫のように大きな瞳が、俺の事を真っすぐに見つめてくる。
「……それは――」
思わず、今までのクセで、上手くはぐらかせる理由を探そうとしてしまっている自分に気付いた俺は、大きく首を横に振る。
……もう、逃げないって、今日で終わりにするって決めただろ、ヒカル!
そう、自分を叱咤して、俺は肚を据える。
「それは……好都合だと、思ったんだ」
「え……? 好都合……?」
早瀬が、怪訝な表情を浮かべる。
俺は小さく頷くと、言葉を継いだ。
「――もし、俺がシュウとの仲をきっぱりと否定してしまったら、多分、俺と君との接点は、あの時点で途絶えちゃってた。でも……、早瀬さんの勘違いを否定しないでおけば、俺はいつまでも君との接点を持ち続ける事ができるんじゃないか――って、魔が差しちゃった」
「え……?」
「そして――、その予測は当たってた。君は、俺とシュウを恋仲にしようと、俺に積極的に関わってくれた。本当だったら、陰キャの俺は、学校の人気者である君とは、会話すらも交わす事が出来なかっただろうにね」
「そ……そんな……事……」
早瀬は俺の言葉に、弱々しくかぶりを振る。
そんな彼女に、俺は苦笑いを浮かべて頷いた。
「そうだね……、早瀬さんとたくさん話をした今なら分かるよ。君がそういう娘じゃないって。……でも、あの時の俺は、早瀬さんの事をまだ全然知らなかったし……いや、違うな」
俺は頭を掻くと、窓の外の花火に目を移した。――早瀬の顔を見ながら言うのは、やっぱり照れ臭かったから。
「……そういう“大義名分”が無ければ、俺の方が萎縮して、君と大手を振って接する事が出来なかったから――っていう方が正しいんだろうな、うん」
「……何で?」
早瀬が、当惑した顔で呟いた。
「何で……そこまでして、私と接点を持ちたがったの……高坂くん?」
「……それは……」
俺は、思わず口ごもった。
遂に、この場面に辿り着いた。
――これから口にする事は、早瀬に初めて会ってから、ずっと伝えたかった事。
俺は、この瞬間の為に、シュウや諏訪先輩――あと、ほんの少しだけ小田原――の助けを借りて、ここまで来た。
でも、緊張しているのか、なかなか言葉を声帯から先に飛ばすことができない……。
――その時、
チャリ……
俺のコートのポケットから、金属が擦れ合う音がし、俺は思わずポケットに手を突っ込んだ。
指先が、硬くて冷たい金属を感じると同時に、俺は何が入っているのかを思い出す。
「……あ」
俺は、僅かに視線を落とし、ポケットの中に入っているそれを確認する。
――ポケットの隙間からは、金色に輝くライ夫くんとレオ奈ちゃんが、満面の笑みを浮かべて俺を見返していた。
(がんばれ!)
シュウと早瀬から貰った金色のペアペンダントが、そう言って俺を応援してくれている――。
「……よし」
俺は、胸に勇気がこみ上げてくるのを感じ、小さく呟いた。
そして、正面に座る早瀬の顔をまっすぐに見つめて、今度こそ躊躇せず、その言葉を告げようとする。
「それは――」
俺は、一拍おいてから、静かに――そしてハッキリと、言った。
「それは、君の事がす“ドドドドド――ン!”から!」
「……え?」
…………。
……あああああああっ! やっちまったぁ!
肝心な……一番肝心な告白の言葉が、花火大会最後の大花火の炸裂音と思いっ切り被っちまったぁあああっ!
俺は、大きな瞳を更にまん丸くして、ポカンとした顔で固まったまんまの早瀬を前に、思わず頽れた。
あれじゃ……俺の数少ないMPを全てつぎ込んで放った渾身の呪文は、花火の音に紛れて、絶対に彼女の耳まで届いていない……。
俺の最大最強の攻撃は、あえなく不発に終わってしまったのだ……。
――そして、同じ攻撃をもう一度放つような、MPとHPは、もう残っていない。
――オワタ……。
「……大丈夫だよ、高坂くん」
「……え?」
その時、床に伏せた俺の頭の上から、静かで優しい声が降ってきた。
その声を耳にして思わず顔を上げると、視線の先に、早瀬の顔があった。
大花火の赤い輝きに照らし出された彼女の顔は、女神か菩薩かと見紛うような、穏やかな微笑みを浮かべていて、俺は思わず見惚れてしまう。
彼女の形のいい唇が動き、鈴を転がすような言葉が紡ぎ出される。
「大丈夫……。途中は花火の音で聴こえなかったけど……」
……あ、やっぱり、花火の音で掻き消されちゃったんだ……。やっぱり、オワ――
「高坂くんが伝えたい事……ちゃんと解った……から」
「……へ?」
俺は、茫然として、間の抜けた声を上げた。目を大きく剥いたまま、彼女の顔を凝視する。
「解ったって……じゃ、じゃあ……」
「……うん」
彼女は、俺の声に微かに頷くと、チラリとゴンドラの窓から下を見下ろした。その一瞬――彼女の顔が、まるで泣き出すのを堪えるかのように、僅かに歪んだように見えたが……気のせいだったかもしれない。
そして、早瀬は唇をキュッと引き締めると、再び正面を向き、じっと俺の顔を見つめる。
――ゾクッ
その顔を見た瞬間、俺は心臓を氷の手で掴まれたような気がした。
……いけない。ここから今すぐに逃げ出したい。――俺の本能が、そう必死に訴えかけてくる。
だが――ここは大観覧車のゴンドラの中。地上は50メートルほど下だ。逃げ出せようはずもない。
……いや、たとえここが地上だったとしても、俺は一歩たりとも動くことは出来なかっただろう――。
そして、彼女の唇がゆっくりと動き出す。
「……高坂くん」
「……」
「――ありがと」
「……っ」
――止めてくれ!
俺は、思わずそう叫びそうになる。
……その、声のトーンで、彼女がこの先にどんな言葉を続けようとしているのかが解った――解ってしまったからだ。
だが――俺は石化でもしてしまったかのように、指一本、舌先一寸動かすことができなかった。
そんな俺を前に、彼女は小さな声で、言葉を編む。
「高坂くんの気持ち……嬉しいよ。私なんかを、そんな風に想ってくれて……本当に、ありがとう」
「……はや」
「でも――」
「……っ」
『でも』……その接続詞の先に続く言葉は――!
俺は咄嗟に唇を前歯で固く噛み、決定的な一言が浴びせかけられるのを、まるでギロチン台にかけられたマリー・アントワネットの気分で待ち構える。
――そして、彼女の唇がゆっくりと、その言葉を紡いだ。
「……ごめんなさい……」
今回のサブタイトルは、CHAGE&ASKAのアルバム『GUYS』収録の一曲『野いちごがゆれるように』からです。
昔の恋を懐かしむ心情をしっとりと歌い上げた名曲です。
甘酸っぱい野イチゴと、今回のヒカルの告白のイメージがピッタリな気がして、サブタイトルの元ネタにさせて頂きました。