係員様、もう一度だけ
俺たちの乗っているゴンドラは、既に大観覧車の四分の三を過ぎている。前方斜め下の位置に見えるゴンドラ降り場がゆっくりと――そして確実に近付いてくる。
「……どうしよう。もう……終わり……?」
俺は、ユラユラと揺れるゴンドラの窓に顔を押し付け、途方に暮れていた。
早瀬に、自分とシュウとの仲が誤解である事を伝えられたまでは出来たが……、さすがに時間をかけ過ぎた。今からでは、もうひとつの事を早瀬に伝えるには時間が足りなすぎる。
……ああ、こんな事になるんだったら、いつまでも躊躇ってないで、スパッと早瀬に伝えてしまうんだった――。そう後悔しても、もう遅い。
「……あ、もう終わりだね。――下りる準備しなきゃ……」
向かいの席の早瀬も気が付いたようだ。人差し指で自分の目尻を拭うと、足下に置いていたリュックを背中に担ぐ。
そして、力無い笑みを俺に向けて言う。
「……高坂くん。さっき言いかけてた事……ちょっと気になるけど――私、大丈夫だから」
「……は、早瀬――いや……」
「――だから……気にしないで、ね」
「……いや……」
彼女の寂しそうな表情を目にして、俺の胸は鉛の釘を打ち込まれたかのように痛んだ。
違うんだ。
俺が伝えたかった事は、俺がシュウに惚れていないって事だけじゃないんだ。
君に、そんな哀しい顔をさせる為なんかじゃないんだ。
俺が、本当に君に伝えたい事は……!
「はや――!」
思わず声を上げると同時に、またゴンドラが大きく揺れた。
――遂に、ゴンドラが降り口のコンコースに滑り込もうとしているのだ。
「……行こ」
早瀬が、俺に呼びかけて、席から腰を浮かせる。
と、次の瞬間、ガコンと音を立てて、ゴンドラの扉が開かれた。
そして、開いた扉の間から、遊園地の制服姿のオッサンが、にこやかな笑顔を覗かせる。
「はーい、到着でーす。気をつけてお降り下さーい」
「あ……は――」
「あ……あのっ!」
俺は咄嗟に、ゴンドラから降りようとした早瀬の手首を掴み、係のオッサンに向けて声を張り上げた。
早瀬とオッサンが驚く顔をするのにも構わず、俺は必死で懇願する。
「あ――あの! このまま、もう一周回っていいですか! ちゃんと後で、2回分料金払うんで!」
「は――?」
俺の言葉に、オッサンは目をまん丸くし、そして、険しい顔になって首を横に振る。
「ダメダメ! そんな事出来ないよ! ほら、そんな我が儘言ってないで、早く降りて!」
「そ、そこを何とか! お願いします!」
「こ……高坂くん?」
それでも必死に頼み込もうとする俺に、早瀬が窘めるように声をかけるが――俺は譲らない。
譲る訳にはいかない!
「あの! ホントマジでお願いします!」
「……だから、ダメだっ――」
「まだ、ちゃんと伝えられてないんです! だから――!」
「っ……」
俺の必死の懇願を聞いたオッサンは、口をつぐむと、俺と早瀬の顔を一瞥し、大きな溜息を吐くと――「……しゃあねえなぁ」と、小さく呟いた。
「……! それじゃ……」
「……お前ら、黙ってろよ。バレたら、おじさんのクビが飛んじまうかもしれねえからよ」
おじさんはそう言ってニヤリと笑うと、一度開けた扉を勢いよく閉める。
俺は扉越しに、おじさんに向かって深々と頭を下げた。
「――ありがとうございます!」
「次はねえからな、ボウズ!」
おじさんは、扉越しでも充分に俺の耳に届く声で応えると、親指を立てて、
「だから――がんばれよ!」
そう叫んで、俺に向かって日焼けした顔をクシャクシャに綻ばせた。
俺は、もう一度おじさんに向けて頭を下げた。
――と、
「……こ、高坂くん……痛いよ」
「……へ? あ!」
早瀬の呻くような声が耳に入り、ハッとした俺は彼女の方を見て――俺の手が早瀬の手首をずっと握ったままだった事に気が付いた。
俺は、慌てて握っていた手を離す。
「ご……ゴメン! 大丈夫?」
「う……うん。大丈夫……」
早瀬は、微かに顔を顰めながらも、俺を心配させまいとするように、柔らかな笑みを浮かべてみせた。
俺は、彼女を心配そうに見ながら、右手に残る彼女の温もりと感触を逃すまいと、キュッと握りしめる。
――それにしても……彼女の手首は、細かった。女の子の手首って、あんなに華奢なんだな……。
「あ……、また上がっていくね……」
「……え? あ……ああ――」
早瀬の呟きに、上の空だった俺は我に返って、慌てて頷いた。
彼女の言う通り、ゴンドラ降り場で、円の一番下まで下がったゴンドラは、再び上昇しようとしていた。僅かな揺れと共に、床に押しつけられるようなGを感じる。
「……座ろっか」
「あ……うん……」
俺が促すと、彼女はコクンと頷き、背負ったリュックを再び床に下ろすと、ゆっくりと席に腰かけた。
それを見て、俺もドスンと腰を下ろす。
「……」
「……」
ゴンドラの中を、重苦しい沈黙が垂れ込める。
ドーン! ドーン!
パパパ……。
中とは対照的に、窓の外では、色とりどりの花火が、我れがちにと咲き乱れていた。もう、花火大会のフィナーレが近いのだ。
「……」
俺は、細く長く息を吐く。
……いよいよだ。
遂に、この時が来たのだ。
――早瀬に、俺の気持ちを伝える時が……!
「――早瀬さん」
俺は、両太腿に肘を置き、やや前屈みになりながら、早瀬の顔をジッと見つめる。
「……うん」
早瀬も、小さく頷いた。
その顔を、窓の外の花火が、様々な色で照らし出す。
――綺麗だった。
俺は、大きく息を吸い、胸いっぱいに空気を溜めてから、
「……さっき、言いかけてた話の続き――するよ」
ゆっくりと、口を開いた。