ピースとハイ“Lie”ト
「……え?」
俺の言葉を聞いた早瀬は、その瞬間、ポカンと口を開けて、ちょこんと首を傾げる。
そして、頼り無さげに宙に視線を彷徨わせ、最後に俺の顔に目を合わせると、困り笑いを浮かべながら俺に尋ねた。
「……えっと……? それって――どういう事……?」
「え……ええと……」
不安げな表情の早瀬を目の当たりにして、俺は早くも後悔し始めた。……やっぱり、今までの設定が全部嘘だったと伝えなければ良かったんじゃないか――?
と、ややもすると湧き上がる不安を無理矢理胸の奥に押し込みながら、俺は麻酔を打ち込まれたかのように重たくなった口と舌を懸命に動かす。
「あ……あの……だから……、実は――俺は……シュウの事が好きな訳では無くて――って、あ、いや! だからって、嫌いって訳じゃないんだ! 好き……好きは好きなんだけど、それは――あくまで親友としての“好き”であって……」
「……」
アワアワと捲し立てる俺の顔を、じっと見つめる早瀬。
その顔には、何の感情も浮かんでなかった。――ただ、その目を大きく見開き、その耳を澄まして、俺の一言一句を聞き逃すまいと集中しているのが分かった。
そんな彼女の様子を見た俺は、思い切り自分の頬を引っぱたいた。
――早瀬が、こんなに真剣に俺の言葉を聞こうとしてくれてるのに、何を躊躇ってんだ、俺は!
俺は、ビビる自分を心の中で叱咤すると、大きく息を吸って、言葉を続ける。
「だから……俺がシュウに対して抱いている“好き”っていう感情は――早瀬さんが考えているような……恋愛的な“好き”とは――違うんだ」
「……っ!」
その瞬間、早瀬が小さく息を呑んだのが分かった。――そして、キュッと唇を結び、俺から視線を逸らして、窓の外に向けた。
そんな彼女の態度に、俺の心は鈍い痛みを覚える。
そして、俺は顔を背けた早瀬に向かって、深々と頭を下げた。
「――ごめんなさい、早瀬さん。……本当だったら、あの日――呼び出されたA階段で、俺とシュウの関係を尋ねられた時に、俺がキッパリと否定すれば良かったんです。――なのに、いつまでも本当の事を言えないまんま、ズルズルと今日まで来てしまって……」
「……それじゃ――、高坂くんが……工藤くんと恋人になりたいっていう話は……」
「うん……」
俺は、早瀬の問いかけに、溶けた鉛のように唾を飲み込み、それからゆっくりと口を開いた。
「……全部、俺が吐いた嘘……です……」
「……」
「……」
「…………高坂くん」
永遠にも思えるような数秒の沈黙の後、僅かに震える声で、早瀬が俺の名を呼んだ。その一言だけで、俺の身体はビクリと震える。
俺は、ゴクリと唾を飲み込むと、早鐘のように鳴る心臓の音を煩わしく感じながら、覚悟を決めてゆっくりと顔を上げた。
そして、俺の目に飛び込んできたのは――、さっきまでの俺と同じ様に、深々と頭を下げた、早瀬の形のいい頭頂部――!
「え――?」
予測だに出来ない光景を目の当たりにした俺は、思わず言葉を詰まらせる。
――と、
「……私の方こそ、ごめんなさい」
「え? ……え? 何で……? え?」
彼女の口から紡がれた、思いもかけない謝罪の言葉に、俺は混乱した。
「……だって――」
おずおずと顔を上げたが、視線は下を向いたまま、早瀬は囁くような小さな声で言った。
「私が……高坂くんと工藤くんの仲を勝手に誤解しちゃったのに、高坂くんが気を利かせて、今まで話を合わせてくれてたんでしょ? それなのに私ったら、高坂くんの本当の気持ちも知らないで、ひとりで舞い上がって、挙げ句の果てに遊園地まで……」
そう言うと、彼女は力無い微笑みを浮かべた。その目尻には……花火の光を受けて輝く、透明な滴が浮かんでいた。
「えへへ……馬鹿だよね、私。BLマンガとは違って、男の子同士の恋愛なんて、現実の世界じゃそうそうある訳なんか無いのに……。ホント、BLの見過ぎだよね……」
「早瀬……さん……」
「……でも、本当に、見てて尊かったんだよ……高坂くんと工藤くん。だから私、絶対にふたりには幸せになってもらいたいなぁって思って……だから、色々と頑張ってきたんだけど……」
そう言うと、早瀬は手の甲で目を擦ると、苦笑いを拵えつつ、ボソリと呟く。
「そっか、私の勘違いかぁ……」
「……」
「高坂くん……本当にごめんね。――あと、ありがとう」
そう言うと、早瀬はもう一度、俺に向かって頭を下げた。
「――私の、バカみたいな勘違いに付き合ってくれて。……もう、いいから」
「い……いや、早瀬――」
「――高坂くんの工藤くんへの思いが、あくまで“友情”で、私が考えてた、BL的な“愛情”とは違うんだって事、ちゃんと分かったから、うん……。だから、大丈夫……」
「……」
早瀬はそう言うと、ニコリと笑った。その笑顔は、いつもと同じ様に可愛らしかったが……無理矢理作ったものである事はすぐに分かった。
だって……、あの日のA階段で最初に話した時から、ずっと俺の心の中には、彼女が居たんだ。
だから、解る。
――これは、強がりだ。
……いや、違う。
俺は、君にそんな顔をさせる為に、自分の吐いた嘘を白状した訳じゃないんだ――。
「早瀬さ――」
「だからもう、いいから。もう、こんな馬鹿な私に同情して、誤解に付き合う必要なんて無いか――」
「いや、そうじゃなくてッ!」
俺は思わず叫んで、弾かれるように、椅子から立ち上がった。
そして、驚いて目を丸くした早瀬に向かって口を開いた。
「そうじゃないんだ! 俺が、俺が君の勘違いを否定しなかったのは、同情してとか、そんな事じゃなくて――!」
「……そうじゃないって――じゃあ、どうして?」
俺の言葉に、食い気味で早瀬が問いかけてくる。
窓の外で爆ぜる打ち上げ花火の光が、青や緑や黄色や赤色に染め上げる彼女の瞳は、潤んでいた。
俺は、俺の目を真っ直ぐに見返してくる彼女の瞳に怯んで、思わず目を逸らそうとするが――グッと奥歯を噛み締め、踏みとどまる。
――今だ。今こそ告げるんだ。俺が早瀬に会ってからずっと抱いていた、この胸の想いを……!
俺は、覚悟を決め、立ったままで大きく深呼吸をしてから、彼女の顔を見つめて、ゆっくりと口を動かす。
「その……俺が、君の勘違いを訂正しないままだったのは……」
「……」
「それは――俺は……早瀬さん――君の事が……その――ッと!」
決意と共に紡がれようとしていた、俺の告白の言葉は、激しい振動によって妨げられた。
軋む音と共に、ゴンドラがグラリと揺れ、バランスを崩した俺はよろけて、椅子の上に尻餅をついた。
「痛てて……。つか、何だ? 何が――」
固いゴンドラの椅子に打ちつけ、痛む尻を擦りながら、俺は窓の外に目を向け――青ざめた。
「……! ヤバい……ッ!」
いつの間にか、大観覧車は一周してしまっていたようで――すぐ前にゴンドラ降り場が迫っていたからだ。
――まだ早瀬に、肝心の告白をしてないっていうのに……!