晄は投げられた
「はーい。その白線を越えないで、並んでお待ち下さーい!」
「すみませーん! クリスマスイブでテンション上がってるのは分かりますけどぉ、イチャイチャするのは、ゴンドラに乗ってからにして下さーい!」
「あ、そこの方! 人のお連れ様をナンパするのはやめて下さーい!」
観覧車乗り場前では、数人の遊園地スタッフが、押し寄せるカップルたちの群れを制するのに必死の様子だった。
無理もない。何せ、“日が暮れた後の遊園地”・“打ち上げ花火”・“観覧車”という、単品でもロマンチックが止まらない状況が重なっている上、何より今日は“クリスマスイブ”。
この場に集うカップルたちのテンションは、ストップ高待ったなしだ。
――だが、
「……」
そんな熱に浮かされたような、周囲のカップルが放ち続ける異常な雰囲気の中で、俺だけは真っ青な顔をして、浅い息で肩を上下させ続けていた。
「……おい、大丈夫か、ヒカル?」
俺の様子を心配したシュウが、前に並ぶ早瀬に聞こえないように、声を潜めて俺に声をかけてきた。
「……う……うん」
俺は、虚ろな目をしながら、コクコクと頷いた。
だが、シュウの表情は険しくなる。
「いや……あんまり宜しくなさそうだぞ? ――ホントに、そんな顔してて大丈夫か?」
「だ……大丈夫だ、問題ない……!」
俺は、これ以上シュウに心配かけまいと、ピンと背筋を伸ばして、流し目でシュウを見た。
シュウは、「本当かよ……」と呟きながら、列の先頭へ視線を向けた。
俺たちの順番になるまで、あと10組ほど。
「……問題は、どうやってお前と早瀬を同じゴンドラに押し込むか、だな」
シュウは、そう独り言ちると、俺たちの前方で、“諏訪先輩を引き付ける為”、一方的に喋りかけている早瀬の肩を叩いた。
「……おい、早瀬」
「ん~? どうしたの、工藤くん?」
若干、その目を泳がせながら振り返った早瀬に、シュウは自分と彼女を交互に指さしながら言った。
「……悪ぃ、順番、ちょっと交代してくんね?」
「え……?」
早瀬は、シュウの申し出にキョトンとした表情を浮かべた後、
「だ……ダメだよ! 絶対にダメッ!」
目を見開いて、ブンブンと激しく首を横に振った。
まあ、そう来るだろうな。
早瀬にとっては、“俺とシュウを同じゴンドラに乗せる”事が主目的なのだから、シュウの提案など呑めるはずも無い。
だが一方で、“俺と早瀬を同じゴンドラに乗せる”事が主目的のシュウも、早瀬のこの反応は充分に想定内だが、だからといっておめおめと引き下がるわけにはいかない。
シュウは、早瀬の拒絶に、いかにも不満だと言わんばかりに眉を顰める。
「何でだよ。せっかくの観覧車なのに、ヤローふたりで乗るなんて色気ない真似はゴメンなんだけどよ」
「……で、でも……!」
早瀬は、シュウに気圧されたように言葉を詰まらせたが、諏訪先輩のコートの袖を抓むと、さらに激しく首を左右に振った。
「でも……諏訪先輩が、女の子と一緒に乗りたいって言ってるんだもん!」
「……いえ、別にそんな事言ってないけど」
「……」
シュウの申し出を断る言い訳代わりにしようとした諏訪先輩にあっさり否定され、早瀬は一瞬目を泳がせるが――、今度は人差し指で自分を指さして叫んだ。
「じゃ――じゃあ! わ……私が女の子と一緒に乗りたいのッ! と、というか……男の子とは乗りたくないのっ! 恥ずかしいから! ――そういう設定でひとつ、よろしくっ!」
「――お、おお……」
早瀬の剣幕に、今度はシュウが気圧された様子で、コクコクと頷いた。
――っていうか、早瀬……。“設定”ってお前……。
と――その時、
「はーい、そちらの方、こちらへどうぞ~!」
「あ……はいはーい!」
早瀬と諏訪先輩の番が回ってきてしまった。ゴンドラ担当のおじさんに呼ばれ、ホッとした表情を浮かべた早瀬は、俺に向かって親指を立ててウインクをすると、クルリと振り返り、両腕を高く上げてぴょんぴょんと飛び跳ねながら返事をした。
「……おや」
と、係のおじさんは、女の子ふたりが一緒に並んだ事に少し驚いた様子だったが、かといって、それ以上何を言うわけでもなく、ふたりを乗車位置へと誘導した。
……どうしよう。このままでは、早瀬と一緒のゴンドラに乗れない。
そう思って、俺は内心で焦りを募らせるが、どうしようもなかった……。
――そして、そんな俺の焦燥を余所に、ゴゥンゴゥンと音を立てながら、黄色く塗られたゴンドラがゆっくりと下りてくる。
「……はい、どうぞ~。慌てないで、ゆっくり乗り込んでね~」
おじさんが、下りてきたゴンドラの扉を開けてから、早瀬と諏訪先輩に向かって声をかけた。
「はーいッ!」
軽快な足取りで、先にゴンドラに乗り込んだのは、早瀬だった。
次いで、諏訪先輩が乗り込む――
「……」
はずが、彼女は立ち尽くしたままだ。
係のおじさんが、訝しげな表情を浮かべて、先輩の背中を押す。
「さあ、お姉さん。早く乗って――」
「――高坂くん!」
先輩は、おじさんの手を振り払うと、俺の方に振り返って叫んだ。同時に、開いたゴンドラの扉の奥を指さす。
「早く! 乗って!」
「へ……?」
急に言われても、そんなに機敏に体は動かない。今が、早瀬と一緒のゴンドラに乗り込む、最後にして最大のチャンスだという事は理解できたが、俺の身体は動かなかった。
――その時、
「ほらっ、ヒカル! ぼさっとすんな!」
俺の背中を、大きな手が押し出した……いや、ぶん投げられた。
「お……うおっ! おおおおわっ!」
俺は、大きな力に圧されて、敵にロープへと振られたプロレスラーの様な勢いでゴンドラの中に突っ込むと、盛大に足を縺れさせて、鉄製の床に鼻頭を強かにぶつけた。
「いッ! 痛てててて……っ!」
鼻から額にかけて、ツーンとした感覚が抜け、俺は思わず涙目になりながら、鼻を押さえて起き上がる。
「ちょっ! 何やってんの! 危ないよっ!」
というおじさんの怒声が耳に飛び込んできたが、「す……すみません!」と詫びる間もなく、ゴンドラの扉がけたたましい音を立てて、勢いよく閉められた。
「――!」
慌てて窓に寄り、下を見下ろすと、諏訪先輩とシュウが横に並ばされて、係のおじさんにきつく叱られているのが見えた。
――と、ふたりが、俺が窓から顔を覗かせた事に気付き――親指を立てて、俺に向かって微笑みかけた。
「……!」
その口元は、「「頑張れ」」と動いていて……俺の心臓はトクンと脈打ち、――その瞬間、俺は覚悟を決めた。
――と、
「あ……あの? こ……高坂くん?」
聞き慣れた声が背後からかけられ、俺は小さく溜息を吐くと、ゆっくりと振り返った。
「あれ……? 何で? どうしたの……?」
ゴンドラの硬い椅子に腰を下ろしたまま、驚きのあまり身体を縮こまらせて、おずおずと声をかけてきたのは――俺にとってのお姫様……あるいはラスボスである、早瀬結絵。
俺は、ごほんと咳払いをすると、顔面にぎこちない笑いを貼りつけながら言った。
「――や、やあ……早瀬さん。お……お邪魔します……」
……締まらねえなぁ……。