死苦離無惨(デスクリムザン)
「……いやぁ。正直、こんなボロボロのお化け屋敷なんてって侮ってたけど……結構本格的じゃん」
蝋燭を模した間接照明の心細い光だけで照らし出された通路を歩きながら、俺は強張った笑顔で言った。
「そうかぁ? そこまでじゃなくね?」
先頭を歩くシュウが振り返り、苦笑いを浮かべながら首を傾げた。
「さっきの井戸の奴も、いかにも何かありますよ~って雰囲気がプンプンしてたしさ。案の定、皿を数えるアレだったし……」
「ま……建物が洋館なのに、和風テイストたっぷりの古井戸と、定番のお菊さんはちょっとなぁ……。もうちょっと、テーマに拘って欲しいよな」
全然平気な顔をしているシュウに負けないように、平然を装って精一杯の虚勢を張る俺だったが、実はさっきからビクビクしっ放しだった。暗闇の向こうから、カサリという微かな音が聞こえてくる度、俺は顔面を引き攣らせて、ビクリと身体を震わせてしまっている。
周囲が闇に包まれているおかげで、他の二人に不様な顔を見られずに済んでいるのは幸いだ。
と、シュウがくるりと振り返り、俺の背後に向かって声をかけた。
「――おおい、早瀬、大丈夫か? 何か、さっきから妙に静かだけどよ」
「……」
シュウの呼びかけにも、答えは返ってこない。
心配になった俺も、後ろを振り返って、最後尾を歩いている早瀬に言葉をかける。
「あの……、早瀬さん、大丈夫?」
「……」
「え、ええと……早瀬さん……? マジで大丈夫――」
「ふぇっ――? あ、ハイッ!」
何故か、らしくもない虚ろな目をしていた早瀬は、繰り返す俺の呼びかけにやっと気付いて、大きな声で返事した。
その瞬間、
――ゴトンッ!
「ヒャッ!」
「きゃぁ……ッ!」
突然、通路の向こう側で大きな物音がして、俺と早瀬は思わず悲鳴を上げた。
「……いや、平気だよ。向こうの柱の陰でスタンバってたJソン役のバイトさんが、今の早瀬の大声にビックリして、持ってたチェーンソーを落としただけだ」
「あ……そうなんだ」
俺とは打って変わって落ち着きはらった顔のシュウが指さした先には、確かに白いホッケーマスクを被ったJソンが、バツが悪そうな様子で、刃に血糊がベットリついたチェーンソーを拾い上げる姿があった。
と、Jソンが顔を上げ、白け顔の俺たちと目が合う。
思わず動きが固まる俺と――Jソン。
「……」
と、Jソンが手を頭に当てて、俺たちに向かってペコリと会釈をした。
「「あ……ども……」」
つられて、俺たちも会釈を返す。
すると、Jソンは半身になって、下に向けた手を左右に振った。
「……」
――どうやら、『通って下さい』と言いたいらしい。
まあ……、突然飛び出してきて驚かせようとするはずだったのに、その前に自分の姿を思いっ切り晒してしまったのだ。
「NGしちゃったんで、テイク2オナシャス!」
……という訳にもいかないだろう、お互いに。
俺とシュウは顔を見合わせると、無言で頷き、後ろで固まっている早瀬に手招きする。
俺たちに促されるままに、ぎこちなく歩を進める早瀬の後についた俺とシュウは、もう一度Jソンさんに頭を下げた。
「あ……お、お勤めご苦労様でーす……」
――そう言って、Jソンさんの脇を通り抜ける時に、彼のホッケーマスクの奥から、「……すんませんでした……」という小さな声が聞こえたような気がするが……聞かなかった事にしよう、うん。
◆ ◆ ◆ ◆
強敵Jソンが立ち塞がる難関を越えた俺たちは、時々発動するギミックや、襲いかかってくるバイト……亡霊や妖怪の皆さんに、俺とシュウはそれなりに驚かされながらも、おおむね順調に通路を進んでいく。
――だが、
早瀬は少し違っていた。
「……早瀬さん、大丈夫?」
俺は、いつもの元気いっぱいな様子とは打って変わって、さっきから無言のまま、俺たちの後をついてくるばかりの早瀬が心配になって、思わず声をかけた。
「その……ぐ、具合が悪いんだったら、もうリタイアした方がいいんじゃない? 係の人、呼んでこようか?」
「う……ううん、……大丈夫……」
……そんな、蚊の鳴くような声で言われても、全然大丈夫そうには聞こえないんだけど……。
「でも――」
「ほ……ホントに大丈夫。さ、先に進も!」
早瀬は、心配顔の俺に向けて、どこかぎこちない笑顔を見せると、俺の背を押し、無理矢理歩かせ始めた。
「そ……そう?」
俺は、彼女の表情に釈然としないものを感じながらも、押されるままに歩みを進めた。……分厚いコート越しにも、早瀬の柔らかい掌の感触を感じて、胸がときめいてしまったのは、ナイショだ。
――と、先を進んでいたシュウが、声を上げた。
「――ストップ! あれ……行き止まりだ」
「ふぇっ? マジ?」
マジだった。
今までより少し幅が広がった通路の先には、血飛沫のような赤い痕が付いた白い壁が、行く手を阻んでいる。
――だが、近付いてよくよく見てみると、
「あれ……? 扉が……ふたつ?」
壁に仰々しく、赤い扉と青い扉が嵌まっている事に気付き、俺は戸惑いの声を上げる。
シュウは、一歩前に進んで、扉の上に貼られた看板の文字を読む。
「なになに……『ここまで辿り着いた勇気ある者よ。選べ、恐怖の赤か、さ……さけかんの青を』……って、何だよ、さけかんって――」
「“叫喚”な」
俺は、ジト目でシュウを見やりながら訂正してやる。
シュウは、「そ、それな」と頷いた後、ちょこんと首を傾げた。
「――で、どういう事なんだ? どっちか選ぶの?」
「まあ、そういう事だろうな。入ると、中身が違うんじゃね?」
「あ、なーるほど。要するに、片方はハナコさんで、もう一方はサダコさんって感じ?」
「何その微妙な変化」
俺は、シュウの喩えに失笑しつつ、ふたつの扉を交互に見た。
「――で、どっちに行く? シュウ」
「んー、どっちでもいいぜ、オレは。どうせ、大して変わんね――」
シュウは、言いかけた言葉を途中で止めて、考え込む様に視線を宙に這わせた。
そして、ニヤリと笑うと、俺に向かって片目を瞑りながら言った。
「そうだ! ここはひとつ、二手に分かれようぜ」
「……二手?」
シュウの唐突な発言の意図が読めず、俺は首を傾げながら問い返す。
と、その時、
「で、でも、それじゃ……!」
俺たちの背後から大きな声を上げたのは、早瀬だった。
彼女は、青ざめた顔で言う。
「わ……私達は三人だから、どっちかはひとりになっちゃうじゃない……?」
「ま、そりゃそうだな」
シュウは、早瀬の言葉に軽く頷くと、爽やかな笑顔で赤い扉を指さした。
「じゃ、せっかくだから、オレはこの赤い扉を選ぶぜ! ヒカルと早瀬は、青い扉な」
「え! で……でも、それじゃ――」
シュウの言葉に、早瀬は慌てた声を発する。
彼女は俯きながら、モゴモゴと小さな声で言った。
「そ……それじゃ、高坂くんと工藤くんが……離ればなれになっちゃう……」
「ん? じゃあ、オレとヒカルが組む?」
あっさりと言ってのけたシュウの言葉に、早瀬は目を大きく見開いた。
早瀬のそんな素振りを前に、シュウは素知らぬ顔で言葉を継ぐ。
「でも、オレとヒカルがペアになったら、必然的に早瀬がひとりになるけど、それでもいい? ……ホントは怖いんだろ、お化け屋敷? そんな顔してて、ひとりで出口まで行けるの?」
「そ……それは……ええと」
シュウの問いに、早瀬は困ったように言葉を濁す。
――そんな彼女の姿に、俺は思わず口を挟んだ。
「お――おい、シュウ! 何も、そんな風に言わなくても――!」
「……だから、オレはひとりで行くから、早瀬はヒカルといっしょに行きなって言ってんの」
シュウは、オレの抗議を途中で遮ると、俺の肩をポンと叩いて、ニヤリと笑いかけてきた。
そして、俺の耳元に顔を寄せて、早瀬の耳に届かないようにそっと囁きかけた。
「……ヒカル、チャンスだぞ。釣りキチ効果ってヤツで、早瀬の気持ちをグッと掴む――」
「シュウ……!」
俺は、シュウの囁きにハッと目を見張ると、その耳にそっと囁き返した。
「それは、“釣りキチ効果”じゃなくて“吊り橋効果”だ……」
「…………それな」