3分の2の不純な哀情
「……にしても、どういうつもりなんだろう、ふたりとも……」
俺は、テーブルの上のチラシとにらめっこしながら、眉根に皺を寄せて唸った。
何で、早瀬とシュウが連れ立って、『ベストカップルコンテスト』なんて甘々しいイベントに行ったんだろうか……。
――と、その時、入り口の扉が開き、チャラついた茶髪の男と、化粧の濃いギャル風の女が入ってきた。
ふたりは、腕を絡ませ合い、見ている方が恥ずかしくなるほどに密着しながら、こちらの方に歩いてくる。
明け方のカラスの様な笑い声を上げながら、大声で言葉を交わしているので、全く聞く気は無いのだが、ふたりの交わす会話が丸聞こえだ。
「ったくよ~、惜しかったなぁ」
男が、悔しそうな声を出しながら、俺たちの座る斜向かいの席に座る。
「そうだよ~、アッツンがあそこでコケなきゃ、決勝に残れたのにさ!」
「いや、アレは、ミュンミュンが急に体を揺らすからよぉ……」
女の言葉に、男が苦笑交じりに言い返す。なかなかとんがった格好をしているが、意外と普通のカップルの様だ。
「でもよぉ。決勝に残ったからって、優勝は無理だべ。ヤバかったじゃん、あのジャージのカップル」
……ん? ジャージのカップル?
俺は、その言葉に引っかかりを感じて、斜向かいの会話に、思わず聞き耳を立てる。
「あは! 確かにヤバかったね! 何でクリスマスイブのデートにジャージで来るんだっつうの!」
「ま、そういう意味でもヤバかったけどよ……。動きもヤバかったよな」
「うんうん! 特にカレシの方! めっちゃ速くて、マジゲロヤバってカンジだった!」
そう言うと、女はケタケタと甲高い笑い声を立てる。
男は、小指を耳の穴に突っ込んでほじくりながら、ニヤリと下品な笑いを浮かべた。
「でも、レベル高かったよなぁ。女の子の方、ドチャクソ可愛かったし……」
「……あァ?」
「……ご、ごめん。も、もちろん、ミュンミュンの方が可愛いよ、ウン……」
ミュンミュンのドスの効いた低い声が聞こえた途端、アッツンは顔を引き攣らせながらピンと背筋を伸ばした。ミュンミュンの表情はこちらからは見えないが、さぞや恐ろしい顔をしていたのだろう……。
あせあせと言い繕うアッツンに、ミュンミュンは「フンッ!」と鼻を鳴らした。そして、肩から掛けたブランドものっぽいショルダーバッグからコンパクトを取り出して、化粧を直し始めながら言う。
「まあ確かに、ウチに比べたら全然だけど、まあまあ可愛かったよね。ジャージの格好はクソダサかったけど……」
「お……おう……」
「それよりも、カレシの方がめちゃイケメンでマジヤバだった! もう、ウチのカレシと取っ替えてほしいくらいだったー!」
「……」
「……どったの?」
「い……いや……別に……」
微妙に圧を感じるミュンミュンを前に、複雑な表情を浮かべつつ、口を噤むアッツン。
ミュンミュンは再び鼻を鳴らすと、言葉を継ぐ。
「でもさー、いかにもお似合いって感じだったよねぇ。ウチらがいないから、あのふたりがぶっちぎりでベストカップルだろうねー」
「お……おう! 絵にかいたみてえな、美男美女のカップルって感じだったもんな! ――あ、も、もちろん、オレらがいたらベストカップルは譲らねえけどな! あははは……!」
斜向かいから、微妙にぎこちない男女の馬鹿笑いが上がり、その後は、これからの予定を立てるらしい会話に変わった。
――ふたりの会話に聞き耳を立てていた俺は、再びテーブルの上のチラシに目を落とすと、大きな溜息を吐いた。
そして、ふたりの会話中も、手を休めずキーボードを叩き続けていた諏訪先輩に声をかける。
「あの……あそこのカップルが言ってた、“ジャージのカップル”って、やっぱり――」
「ま、工藤くんと早瀬さんの事よね」
諏訪先輩は、タブレットに目を落としたまま、あっさりと頷いた。
俺は、「ですよねえ……」と呟くと、もう一つ溜息を吐く。
すると、諏訪先輩が視線を上げて、チラリと俺の顔を見た。
「……どうしたの?」
「あ……いえ、その……」
諏訪先輩に訊かれた俺は、弱々しい苦笑いを浮かべると、ポリポリと頬を掻きながら答える。
「……やっぱり、シュウと早瀬は、何も知らない第三者が見たら、お似合いのカップルなんだなぁって……」
「……」
「まあ、そりゃそうですよね」
俺は、油断すると崩れてしまいそうな表情を、必死の思いで維持しながら、言葉を継いだ。
「早瀬は、趣味や服のセンスはアレですけど、明るくて性格もいいし、誰が見ても可愛いですし……。シュウも、頭はバカですけど身長高いし、運動神経もずば抜けてるし、顔もイケメンだし……。お似合いですよね……」
「何が言いたいのかしら?」
「……いや」
諏訪先輩の言葉に、俺は言葉を選びながら答えようとする。
「……よくよく考えたら、俺なんかが早瀬みたいなレベルの高い娘とは釣り合わないんじゃないかなって……。それこそ、シュウくらいの顔面偏差値が無いと……」
「そうかしら?」
俺の言葉に、諏訪先輩は首を傾げた。
「高坂くんには、工藤くんには無い、高坂くんのいい所があるんじゃない? ……人間、何もルックスだけじゃないのよ」
「……そうですかね?」
諏訪先輩がかけてくれた慰めの言葉に、俺は何故かカチンときて、思わず言い返す。
「だって、俺なんか……、顔は平凡だし、運動神経は平均以下だし、かといって性格もそんなに良くないし、人付き合いもヘタクソだし……」
「……」
「もう、モロに“絵に描いたような陰キャ”って感じっすからね。取り柄なんて、自分でもさっぱり分からない……あはは……」
「……はぁ」
俺の吐くネガティブな言葉の羅列に呆れたのか、諏訪先輩が大きく溜息を吐いた。
そして、キーボードの上を踊っていた指を止めると、その顔を上げて、俺の顔をまっすぐに見つめてくる。
整った顔立ちの諏訪先輩にじっと見据えられて、俺はドギマギしながら、視線を泳がせる。
すると、先輩が口を開いた。
「工藤くんだって、早瀬さんだって、いい所ばっかりじゃないわよ」
「……え?」
意外な言葉に、俺は目を丸くした。
そんな俺にはお構いなしに、諏訪先輩は言葉を続ける。
「工藤くんは、あんなに勉強したのに、結局赤点ギリギリだったくらいに頭が残念だし、教えた私が怒っても、全然反省した様子が見えないし……。結局の所、自分が持ってる先天的な資質に甘えて胡坐をかいてるのよね」
「ちょ……ちょっと待って下さいよ。アイツは確かにバカですけど、そんな奴じゃ……」
俺は、急に諏訪先輩の口から出た、シュウへの非難――悪口に驚きつつ、咄嗟に抗弁しようとしたが、先輩の舌鋒は鈍らず、更に言葉が続いた。
「早瀬さんも早瀬さんよ。これだけ高坂くんがアプローチを仕掛けてるのに、全然気が付かないくらいに、他人の気持ちに無頓着だし。――この前だって、高坂くんに無視されたとか勝手に勘違いをして、あなたを困らせたり……」
「いや……あれは――」
「案外、本当は全部分かってるのに、気付かないフリをして、振り回されてる高坂くんを見て笑ってるんじゃないかしら? ……もしかして、工藤くんもグルで――」
「止めてくださいッ!」
「――っ!」
べらべらと、シュウと早瀬に対する、勝手な憶測に満ちた非難を並べ立てる諏訪先輩に、俺は思わず声を荒げた。
その絶叫に驚いたのか、フードコート内はシンと静寂に包まれる。斜向かいのアッツンとミュンミュンも、驚いた顔を俺に向ける。
だが、そんな事にはお構いなしに、俺は目を剥き、諏訪先輩に向かって叫んだ。
「止めてください! シュウと早瀬をそんな風に言うのは! あのふたりは、そんなんじゃないんです!」
「……」
俺に怒声を浴びせられた諏訪先輩は、眼鏡の奥の目を僅かに見開き、それでもじっと俺の事を見つめる。
「シュウは本当にいい奴なんです! 自分の事なんて二の次で、俺の事を一番に気にかけてくれてるんです! それに……アイツは、自分の顔や運動神経に慢心なんてしちゃいない! 一年生で野球部のレギュラーになれたのだって、影で物凄い努力をしていたからなんです! ずっと一緒に育ってきた俺は知ってる!」
「……」
「早瀬だって、先輩が言ってたのは全然違う! 彼女は、ちょっと嗜好は特殊ですけど、本当に無垢で純真で、素直な人なんです」
「……」
「確かに、まだ知り合って二ヶ月ちょいくらいしか経ってないですけど……、でも何回か一緒に出掛けたり、話をしているから分かります! 早瀬は、本当に一生懸命に、俺の為に頑張ってくれているんです! 気付かないフリをして、俺を玩んで楽しんでるなんて……そんな事をする娘じゃない!」
「……そういう所よ、高坂くん」
「――へ?」
諏訪先輩が発した言葉に、俺はキョトンとして間の抜けた声を出した。
先輩は、口の端を僅かに綻ばせながら言う。
「そういう――他人の為に、まっすぐに正しく怒れるのは、間違いなくあなたの美点よ」
「え……?」
「自信を持ちなさい、高坂くん。あなたにだって、工藤くんに負けないくらい、良い所がいっぱいあるの。ただ、工藤くんの持っている良い所とは違って、あなたの良い所は少し見えづらいだけ……今みたいにね」
「……」
「……でなかったら、いくら幼馴染だって言っても、工藤くんがあなたの為にこんなに骨を折ってくれるはずが無いでしょう?」
「は……はあ……」
「……それに、私も……」
「え?」
「――何でも無いわ」
そう言って、慌てて首を横に振った諏訪先輩は、小さく息を吐いて肩を竦ませると、少し表情を引き締めて、上目づかいで俺の顔を見据える。
「……あと、『欠点しかない』とか、『工藤くんに敵わない』とか言って、あんまり自分で自分の事を悪く言わないで」
「え……いや、でも……」
「私が、工藤くんや早瀬さんの事を悪し様に言ったら、気分が良くなかったでしょう?」
「あ……はい」
先輩の問いかけに、俺は大きく頷いた。
「むしろ……めちゃくちゃ腹が立ちました」
「それと同じよ」
「……え?」
言葉の意味が良く掴めず、俺は間の抜けた声をあげる。
先輩は、眼鏡の奥の瞳を更に鋭くさせて、言葉を継いだ。
「大切な人や、親しい人の悪口を聞かされたら、たとえ自虐だとしても、誰だって良い気分じゃないわ。だから……」
「……は、はい」
俺は、諏訪先輩の言葉に、戸惑いながらも小さく頷いた。
「分かりました。気をつけます……はい」
「うん……」
諏訪先輩は、俺の返事に頷き返し、ぎこちない笑みを浮かべて言った。
「……ありがと」
「……」
俺は、諏訪先輩の謝辞に、何故か胸の奥が疼くのを感じつつ、無言で頷き返すだけだった――。