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紅茶が冷めないうちに

 「……ぶぇっくしっ!」


 茶色い膝丈のコートに、白のタートルネックセーター、チェック柄のスカートに黒タイツという出で立ちの諏訪先輩の前で、俺は思いっ切りくしゃみをした。ズズッと鼻を啜ると同時に、ブルリと体を震わせる。


「……寒いの? ……って、そりゃそうよね」


 諏訪先輩は、呆れたように呟くと、肩から下げていたショルダーバッグから赤い水筒を取り出し、フタを開けた。

 そして、開けたフタをコップにして、中の液体を注ぐ。

 真っ白い湯気と、かぐわしい香りが立ち上る。

 紅い液体が満ちたコップを俺に差し出しながら、諏訪先輩が言った。


「――はい。コーヒーじゃなくて紅茶だけど、温まるから」

「あ……すみません。頂きます……」


 俺は、差し出されたコップを受け取り、息を吹きかけて冷ましてから、縁に口をつける。


「あちちち……」


 冷え切った舌の上に、熱い紅茶が沁みる。俺は、ゆっくりとコップを傾けて、紅茶を口の中に迎え入れた。

 紅茶特有の渋みと、どことなく清涼感を感じさせる香り、そして程よい熱さが、口の中いっぱいに広がった。

 凍えていた身体が、一杯の紅茶で、心から温まった気がした。


「ふぅ~……ありがとうございます。生き返りました!」


 俺は、空になったコップを諏訪先輩に返しながら、諏訪先輩に礼を言った。


「……でも、諏訪先輩が紅茶を持ってきてるなんて、意外でした。――何か、諏訪先輩(イコール)コーヒーってイメージが定着してたもんで」

「……そうかしら?」


 諏訪先輩は、水筒のフタを閉め直しながら、不服そうに眉を顰めた。


「だって……コーヒーだったら、砂糖とかミルクとかの調整ができないじゃない? 私みたいに、ブラックでも平気だったらいいのだけれど……。その点、紅茶だったら、ストレートでもみんな飲めるでしょ? そう思って、紅茶にしたんだけど……」

「あ、そうだったんですか! 確かに、先輩の言うとおりですね……」


 俺は、先輩の説明を聞いて、思わず膝を打つ思いだった。


「さすが、諏訪先輩! そこまでみんなの事を考えているなんて――」


 ――と、諏訪先輩の頬が、ほんのりと朱に染まる。

 彼女は、いそいそと水筒をしまいながら、ぼそぼそと呟く。


「べ……別に……そんなに褒められるような事でもないし……その――」

「……へ? 何ですか?」

「……何でもないわよ……」


 そう言うと、何故か不機嫌な表情を浮かべた諏訪先輩は、プイっとそっぽを向いてしまった。


「……」

「……」


 ……う、き、気まずい――。

 まだ、早瀬とシュウが姿を見せないのに、機嫌を損ねた諏訪先輩と、何もない駅の前で突っ立ち続けているのは辛すぎる……。

 更に、この極寒の中である。集合時間までの20分弱を、この状態のままは心身ともにキツい――。


 ――あれ?


 俺は、頭の中でやにわに湧いた疑問に、首を傾げた。

 恐る恐る、背を向けた先輩に向けて、その疑問をぶつけてみる。


「……あ、あの、諏訪先輩……?」

「……」


 先輩からの返事は無いが、構わず俺は言葉を継いだ。


「えと……7時前に着いちゃった俺が言えた事じゃないかもしれないんですけど……。諏訪先輩も、随分と早く来ちゃったんですね――って、そう思って……」

「…………覚めちゃったのよ……」

「へ?」


 と、背中を向けたまま、諏訪先輩は、俺の問いに答える。


「何か……朝の4時くらいに目が覚めちゃって……。それからすっかり目が冴えて、全然眠れなくなっちゃったら、しょうがなく早めに出ようと……」

「あ……そ、そうだったんですか……俺とおんなじですね、あはは……」

「……高坂くんも、早くに目が覚めちゃったの?」


 目を丸くしながら、諏訪先輩がこちらを振り向く。

 俺は、照れ笑いを浮かべながら、ポリポリと頬を掻いた。


「いやぁ……。実はぶっちゃけ、一睡もしてないです。あはは……」

「あ……そうなんだ……」


 諏訪先輩はそう呟くと、その形のいい眉を寄せて、ずいっと俺の方に顔を近づけてきた。

 急接近した先輩の顔に、思わず俺はドギマギして、少し後ずさる。

 と、俺の顔を覗き込んでいた先輩の顔が曇る。


「本当だ……。今気づいたけど、高坂くんの目の下、クマできてる。……大丈夫なの?」


 そう囁きながら、諏訪先輩が、俺の顔に手を伸ばす。突然の諏訪先輩の行動に不意を衝かれ、俺は身体を強張らせた。


 ――う、動けない!


 先輩の細い指が、もう少しで俺の頬に触れる――

 と、その時、


 ――ピン ポンッ♪


「う、うわっ!」


 突然、俺のコートのポケットから軽快なチャイム音が鳴り、俺は仰天して、裏返った悲鳴を上げる。

 目の前の諏訪先輩も、眼鏡の奥の目を驚きでまん丸くして、慌てた様子で俺から離れた。


「あ……れ、LANEっす! た……多分、早瀬かシュウからだと思います!」


 俺は、変な雰囲気を吹き飛ばそうと、殊更に明るい声を張り上げる。


「あ……そ、そうね……。多分、そうだわ……」


 諏訪先輩は、何故か俺から目を逸らしながら、ぎこちなくこくんと頷いた。

 俺は、ダッフルコートのポケットに手を突っ込み、スマホを取り出した。

 確かに、LANEメッセージの到着を示す緑のランプが、スマホの上部で点滅していた。


「さてと……シュウか、それとも――早瀬か……どっちかなぁっと……?」


 俺はわざとらしく大きな声で呟きながら、スマホの電源ボタンを押した。

 明るくなった液晶画面のポップアップウインドウに示された、メッセージの送信者は――、


「……ん? んんん――ッ?」


 ――メッセージの送信者は――『ハルハル』!


「は……ハル姉ちゃん……ッ!」


 その名が目に入った瞬間、俺の顔から――血の気が引いた。


「え? ハルちゃんさん……?」


 予想外の事に、諏訪先輩も驚きながら、俺に尋ねてくる。


「……どうして? ハルちゃんさんがメッセージを……?」

「さ、さあ……。で……でも……」


 ……ヒッジョーに嫌な予感しかしない……。

 メッセージ開きたくねぇ~!

 ……でも、だからといって既読スルーでもかまそうものなら、家に帰った後に、何をされるか分かったもんじゃない……。

 そう考えた俺は、


「……よし」


 意を決して、ごくりと唾を飲み込むと――LANEの設定画面を開いて、『ハルハル』の通知設定をOFFにした。


 ……今日は、特別な日なんだ。

 いかに実の姉といえど、俺の邪魔はさせない。させてたまるかぁっ!



 ……帰った後の事は――まあ、後で考えよう……。

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